Matrix-1
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 「次元擾乱マッピングの方で、な……何とか足取りを追えないものでしょうか?」
 「そのシステムは、寧ろそちらがお持ちでしょう?」

 緊急事態なのか、冷静さを明らかに欠いている会話相手に対し、男は達観し尚且つ事態を楽しんでいるような悠然とした態度である。喋り口から滲み出るそれに相手方も気後れし、ますます慌て訥弁気味になってゆく。

 「あ、はい……此方に、あり、ます……」
 「だとしても言っておきますが、無理でしょうね。そのシステムは、往々にして空間、次元の歪曲移動をする輩にしか利用価値がありません。その究極体が、そういう移動方法を採るとも限らないでしょう? それに、万が一そういう移動をするのだとしても、消息知れずなら広範囲をサーチしなければならなくなる。精度は自ずと下がります。結局は追跡不可能」

 物分かりの悪い生徒に懇切丁寧に説明してやる教師の様に、男は詳細に話してやる。ただ、この場合は「この程度の事は分かっているはずだろう」という種類のものに違いない。
 相手が無言でいるのを、自分の言った事を理解したのか、或いは理解しようと躍起になっているものだと男は解釈する。いずれにせよ、次に彼が突きつける結論には何ら影響がない。

 「そういう事で、今回はそちらがどうにかして頂きたい。まあ、出来ない可能性の方が高いでしょうけれどね。私の方では尚更どうしようもない」
 「はあ……申し訳、ありませんでした……」

 大変頭が高い態度である。男はかろうじて相手が口に出した謝罪の文言をさらりと無視し、とどめの釘刺しとばかりに続ける。

 「それに、ですよ。最初に言っておくべきだったでしょうけれども、私は確かにメタルエンパイアの客将のようなものですがね。便利屋とも違うし、尻ぬぐい役という訳にも行かないんですよ。D-ブリガードという半ば秘密組織の特性を持つものの事に関してなら、尚更、ね」
 「え、ええと……それは」

 釘を深く打ち込んでやる。酷く重苦しい沈黙が流れた。ディスプレイ越しに、リアルワールド風に言えば「血の気が引く」音が聞こえて来そうである。
 男はより笑みを深くし、追撃を掛ける。その人を食ったような不遜な笑みは、さながら掌上で球を転がすか、玩具を弄ぶ時のものだ。

 「いや、私はこれでも性悪ではないし、姑息でもありませんから、ここぞとばかりに外部に機密情報を垂れ流すような真似は致しませんよ。ご安心下さい。ただ、ですよ」

 男は端末に唇を寄せ、低く囁く。耳元で脅しを掛けるように。

 「今回の件で、私はお宅より一段上の所に上ったという事をお忘れなく。では」
 「ア、アスタモン様――」

 相手は何か言いたそうにしていたが、貴族然としたこの男――アスタモンは親指を軽くディスプレイの中央に触れさせると、容赦なく端末の通信を切った。ぱたんと畳み、右袖の中にそっと差し入れる。
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