Matrix-1
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 するとその時、リリスモンの正面の扉から何かが擦り抜けるように入ってきた。

 「リリスモン様……!」

 音もなく宙を走るように入ってきたのは、まさに幽霊、死神然とした風体の者だった。鼠色の布地にすっぽりと身を包み赤いマントを羽織り、身の丈程もある鎖鎌を担いでいる。顔らしき顔もないが、相当切羽詰まった状態であろう事は声からしても明らかだ。

 (はて、どのファントモンかしら。アザルに派遣したファントモン?)

 同じデジモンといっても一体だけではないし、個体識別番号も名前も付いているわけでもないので見分けるのは困難だ。色欲の魔王は首を傾げつつ姿勢を正すと、相変わらず笑みを浮かべたまま尋ねた。

 「ファントモン、ご機嫌麗しゅう。どうしました、そんなに慌てて?」
 「そ、それが……」

 死神――ファントモンは微かに前傾すると、口籠もった。何とか落ち着こうとしている様だ。
 
 「只今アザルより戻って参りましたが……その、私を除く完全体6体成熟期11体……全て、アザルに潜入する前に殲滅させられました……」
 
 忽ちリリスモンの顔から笑みが消え、双眸が拡大し、石の様に固まった。思わず身を前に乗り出す。

 「何者なの!? そんな真似をしたのは……」
 「“暴食の魔王”、ベルゼブモン……様、です……」

 パリン。
 激烈な破砕音がした。
 ワイングラスが床に落ち、粉々に砕け散った。ファントモンが衣の下でひっと短い悲鳴を上げる。
 蒼い中身が一滴余さず零され、黒羽毛のカーペットにじわじわと染み込んでゆく。
 ぎりぎりと握りしめたリリスモンの両の手が、小刻みに震える。

 「失礼致します、リリ――」

 間が悪く扉がギギギと開く。悠然と入ってきたのは、二連銃を携えた貴公子然とした風体のデジモン――アスタモンだった。
 しかし呼びかけた相手の様子が目に入るなり、彼の不敵な笑みはさあっと失せ、舌が凍り付き――そして全身が凍り付いた。

 「あの蝿の王……糞山の王めがあ!」

 耳をつんざく怒号。
 余りの剣幕とに、その場に居合わせた者の息がぐっと詰まる。アスタモンは肩をびくりと震わせ、唖然とした。
 彼は半開きの扉から身を乗り出したまま、おっかなびっくり獣のマスクの下から目だけ動かして部屋内の詳しい状況を確認する。
 割れたガラス片が散乱したカーペットは、一部がやたらてらてらと濡れて光っている――中身のまだ入ったワイングラスを投げ落としたのだろう――。そして、その張本人であろう者――リリスモンは、ソファに腰掛けたまま身を乗り出し、自分など、いや、そこにふわふわ浮かびおどおどしているファントモンまでも目に入っていないという様に鬼の形相で拳を握りしめ、震えている。

 七大魔王が一角、“暴食の魔王”ベルゼブモンとの間に何かがあったのだろう。元々“色欲の魔王”が“暴食の魔王”をいたく嫌っていた事は有名であり、余程の被害を受けたのであればこの怒り様も当然かも知れない。――が。暇潰しのつもりで、ごくごく軽い気持ちで入ってきたつもりだった者の身にとっては、現状は相当応える。
 リリスモンは怨嗟の怒号を続ける。溜まっていた鬱憤を今だとばかりに吐き出す様に。
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