Matrix-1
50ページ/66ページ

 「派遣した完全体7体、成熟期11体がファントモンを残して全員、あの蝿の王――ベルゼブモンの凶弾に斃れたというのよ」
 「ふうむ」

 アスタモンは顎に手を当てる姿勢を取った。暴食の魔王の姿を実際に見た事はない。しかし、かの者が二丁銃を操り、「鉄の獣」とやらを駆って戦いに臨む話は有名だ。その神速で繰り出される銃撃を逃れる術などないという。ファントモンとて標的になったのならば例外ではなかっただろうが、生き延びて戻って来たのはおそらくあの死神の実体が「この次元に存在していなかった」からであろう。流石の神速の銃撃といえども、異次元にまで達しなかったということか。
 だとしたら、この目の前に座っている艶麗な妖女はどのようにしてファントモンを――と考えかけて、アスタモンは思考を止めた。
 
 
 「了解しました。“血塗られし瞋恚の館”――でしたね。そこに私が事情を説明し、更に麾下のデジモンを派遣して頂けるよう交渉しに伺えばよろしいので?」

 リリスモンは然りと頷いた。

 「そうよ。さあ、直ぐに行って唯一の我が同士、デーモンに約束を取り付けてくるのです……!」
 「了解しました。それでは行って参ります」

 そう言いつつ、アスタモンは微かに口を歪めた。傍目に絶対分からない程度の――渋っ面である。

 (第五圏――か)

 さっきこそ状況が状況だったのでろくに考えなかったが、よく考えるとダークエリア第五圏は、鮮血色の泥沼、スティージュの中に広がるひどく気味悪い空間ではないか――という事だ。憤怒の魔王デーモンが統治する場所というだけあって、そこかしこから己の堕天を不当だと激昂するデジモン達が居て、非常に殺伐とした雰囲気が漂う。
 魔王の邸宅同士はテレポーティングシステムで直結しているため、心底気味の悪い沼を潜って館まで行く必要性は全くないのだが、血の霞でけぶったような空気の邸宅それ自体アスタモンは苦手であった。加え、ダークエリア住まいの究極体デジモンにはアスタモンをいけ好かなく思っている者も多く、そういう意味でもアスタモンはどうにも気が進まないのである。

 しかし、上司――リリスモンは今こそ収まっている様に見えるが、腹の内は――といってもあの通り消し飛んでしまっているが――相当煮えたぎっている。この状態の色欲の魔王にほんの僅かでも逆らうような真似をすると、即座にデリートされだろう。実際にたった今、消されたうつけがいた訳であるし。
 此処は素直に従うのがリリスモンの為にも――自分の為にもなる。
 だが一方で。 
 
 (暴食の魔王――ベルゼブモン様。私が斃すというわけにはいきませんかね)

 自分にはメタルエンパイアとのパイプとなる役割があり、またリリスモンの伝令であるという重要なポストにいる。おいそれとそれを投げ出して戦いに赴く訳には行かない、束縛された立場にある。
 実際には、アスタモンは自分の立場を自由に乏しいものだと感じた事はない。だが今、ベルゼブモンという名を眼前に突きつけられ、正直気分が高揚するのを抑えられない。
 
 ベルゼブモンは、リリスモンの名にかけて、怒りにかけて、そして障害を取り除く目的に於いて抹殺されるべきだ。
 だが同時に、同じ銃使いとして――どちらの方が優れているのか試してみたい気持ちはある。右手に携えた二連銃の引き金を、軽くカチリと引いてみる。

 (いつか相対する事が出来るその時まで――暴食の魔王よ、生きていてもらいたいものですな)

 ダークエリアの貴公子は身を翻して扉の向こうに消えながら、人知れずその胸の内で願った。誰にも打ち明けるつもりはない、打ち明けてはいけない思いだ。

 地獄界の闇は深いが、それは何色もの絵の具を混ぜ合わせたような濁りだ。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ