Matrix-2
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 彼は力の全てを集中した。
 大盾の表面外周を飾る黄金の三角が、一つずつ赤く点灯し始める。
 その度、盾の中央にあしらわれた赤い三角とそれを取り囲む三つの逆三角の図柄にエネルギーが充填されてゆく。エネルギーの密度が高まる度、中央の図柄が発する輝きは激しいものとなる。
 刮目しているダスクモンにも、空間を隔て尋常ではないエネルギーが圧縮され、大盾に集中しているのがはっきりと感じ取れた。物理的な圧力さえ受けているような感覚だ。

 「“ファイナル・――」
 
 デュークモンは静かに、壁に張り付くような姿勢のまま視線を泳がせる怪物を見据えた。

 「――エリシオン”!!!」

 閃光が放たれる。
 全ての可視光が縒り合わされた、最もまばゆい光の束。若い恒星の輝きのように、常昼の楽園を照らす光のように、河底に沈む汚泥にも等しい広がりを、清浄で神聖な光線が妨げなく真直に貫いてゆく。
 閃光が、あやまたず大蜘蛛の右前肢に炸裂する。

 「やったか――?」

 期待を込めた様子で彼方を仰ぎ、呟いたのはダスクモンだった。 あの強大無比な技をその身に受けては、如何に恐ろしく尋常ならざる魑魅の類といえども、無傷ではいられまい――殆ど確信する。
 しかし、その結果は――あまりにも予想とも、期待とも違っていた。

 「――無傷だと」

 絶望の底に叩き落とされる。騎士も、幽鬼も、惚けた様に呟くばかりだ。
 黄玉と深紅の双眸に映り込むは、赫灼たる光線の束をその身に受けようが受けまいが、そんなのは関係ないとばかりに君臨する巨体。怪物は、少しばかり眩しかったとでも言いたげに、混濁した黄緑の両眼を細めるような仕草を取っただけであった。
 金剛石を撫でるそよ風にも等しい――自分の全力の攻撃を評するならば、それが最も相応しい表現のようにデュークモンには思われた。この技――聖騎士デュークモンの最大の技、ファイナル・エリシオンを受けてただで済んだ者など開闢以来皆無だった。その堅固な歴史を、デュークモンと、そしてダスクモンの抱いていた期待もろとも打ち砕いたのだ。

 紅蓮の外套なびかす騎士は呆然として視線を落とした。
 だがそれでも尚、彼は諦めまいとしていた。破砕させられたプロバビリティーの砂粒にも等しい細片を握りしめながら、彼はひたすら心の内で繰り返していた。何とかしなければ!!! 何とかしなければ!! 何とかしなければ! 何とかしなければ。何とかしなければ、何とかしなければ…………

 突然の出来事だった。輪郭のない薄らぼやけた、それでいて酷く重量のある記憶が、濁流となってデュークモンの情報処理機構に押し寄せてきたのは。胸の奥、心臓と頭脳を司る錐体がどんどん高まる内部圧力に悲鳴を上げる。両手さえ塞がっていないなら、胸の辺りを押さえたい程だ。

 何とかしなければ……あの時もそう思っていた……あの時もこんな状態だった……どうやって生き延びたというのだろう……デリートという道を辿る以外なかったはずの状態から……あの時……一体いつの事だろう……ロイヤルナイツに任ぜられてから……それよりも遥かに昔……予言……イグドラシルの……それとも別の……預言……黙示……

 訳が分からなかった。こんな事に気も時間も取られている暇ではないのに――記憶の浜辺に打ち寄せ飛沫を上げる波濤に、抵抗する意思すら飲まれていく。

 「うあぁぁ……っ」

 純白の騎士は呻き声を上げた。かろうじて上がったと言った方が正しいかも知れない。

 「――デュークモン?」

 突如上がった共闘者の苦悶の声に、ダスクモンは甚だ当惑した。自身の最大の技が全く通用しなかった絶望のあまり、精神が不安定になってしまったのかと最初は思ったが、それにしては様子がおかしい。寧ろ、過去の恐ろしい記憶を閉じ込めておく蓋が開いてしまったような風だ。

 「ううっ……このデュークモンは……我は……自分は……私、は……!」

 「落ち着け! 大丈夫か、デュークモン!?」

 ダスクモンが、自己同一性の危機に陥ろうとしているらしい純白の騎士に大声で呼びかける。運命共同体として、相方が危険な状態に置かれるのは歓迎される事ではない。

 「くっ……ううっ……私は……」

 「デュークモン!」
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