Matrix-2
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 「これとこれと……これでしょうか」

 大きな三本の鉤爪が生えた手が、少し躊躇いがちに三枚のカードを順々に指差してゆく。

 「この三枚でいいのね?」

 「イエス、シノブ」

 その言葉を受けると、忍は手早く他のカードを回収して床に置いたデッキに混ぜた。テーブルの上には選ばれた三枚のカードのみが残っている。乗馬した騎士が金貨を持っている“ペンタクルのナイト”、棒を持って立っている人物の背後に更に棒が八本描かれている“ワンドの9”、そして寝台に横たわる人物の足下に一本、壁に三本剣が描かれた“ソードの4”である。

 「なるほど……変わったカードを選ぶのね」

 無表情なのは相変わらずだが、忍の声には楽しさが滲み出ていた。ワンドの9が不安を煽るというのは、忍も共感できる。ソードの4が休息を表すカードでありながらも、何処か緊張感に包まれているため多少不安を煽られるのも分かる。しかし、ペンタクルのナイトの何処に不安になるような要素があるというのだろう。他三人のナイトに比べると、非常に落ち着いた体をしてはいるけれども。堅実な男はつまらないかも知れないが、安定性は抜群だ。

 (そういえば、最近龍輝君どうしているのかしら)

 ペンタクルのナイトをじっと見ていると、何故か唐突にそう思った。
 このアルカナが体現する堅実さや真面目さといった気質、それが彼を思い起こさせたのだろうか?理由は分からない。
 龍輝というのは、忍の近所に住んでいる三つ年下の少年だ。勉強ができることで有名で、将来はどこそこの大学に入るのだというような噂が沢山立っているが、彼の志望大学が一体何処なのか真実知っているのは彼の母と忍だけだ。その大学は今まさに忍が通っているところであり、もしかしたら龍輝が自分の後輩になるかも知れないのだ。そういうわけで忍は彼を応援している。友人は少ないしそもそも作る気もない忍であったが、龍輝だけは別だ。
 少し自分の世界に没入してしまったようだ。忍は急いで現実に引き返した。
 
 「えーと……じゃあ、まずこのペンタクルのナイト。何故これを選んだの?」

 「うーん、それはこの騎士が……」

 コマンドラモンがまさに答えようとした時、突としてそれは起こった。
 がちゃり。激しい音を立ててドアノブが回り、勢いよく扉が開け放たれる。
 忍は慌てて口をつぐむ。心臓が高く飛び跳ねる。

 (敵襲よ!隠れて!)

 忍は眉根を寄せ、視線にメッセージを乗せて全力で飛ばした。イエス、シノブと目線で応答する彼は、さして慌てた様子もなく淡々とM16A4を手にした。全身のテクスチャーが、漆黒の銃身が、周囲の色彩に対応して迷彩パターンを決定する。一瞬にしてコマンドラモンの姿は部屋の景観に同化した。

 「ねーちゃんあのさー」

 間抜けな声を出しながら入ってきたのは、半袖半ズボンの活動的な少年だった。
 いやというほど目にしている姿ではあるが、忍はその度呆れざるを得ない。今は冬である。夏でもあるまいし、室内とはいえ半袖半ズボンなど非常識だ。更に恐ろしいことに、この餓鬼は外でも一年中半袖半ズボンである。よく今まで風邪を引いたことがないものだとかいう以前に、正気を疑うような格好だ。おそらく脳炎でも起こしているのだろう。コンポの音量つまみを小の方に回しながら、忍は少し棘のある口調で言った。

 「またあんたは。ノックぐらいしてから部屋に入りなさい」

 「別にいいじゃん! ねーちゃんはカードいじってるか本読んでるか音楽かけてるか以外ないんだし」

 どうやらばれていないらしい。しかし、ノックについて注意した事など今まで一度もないので、もしかしたらそれは万に一つ怪しまれているかも知れない。

 「それは事実だけど、マナーくらい身に付けておきなさい。社会に出たとき苦労するわよ」

 「オレまだ小学生だし〜」

 「口だけは中学生くらいね」

 全くこいつは、と口の減らない弟に対し忍はもう一度目を顰めてやった。ところが単純な悪がきは忍に褒められたと勘違いして少し嬉しそうな顔をしている。

 「へへーん。ところでさねーちゃん、いいものがあるんだけど」

 「どうせろくでもないものでしょうね」

 「今回はマジでいいもんだって!てか凄いもんだって!」

 「ふうん」

 忍の態度はひどく冷めている。またどうせ友達の変顔を撮影して加工したものとか、悪い意味で小学生らしいつまらなさだろう。期待するだけ無駄だという心情だ。

 「この写真見てくれよ。すごくね?」

 「ふうん」

 少しも関心のなさそうな返事をしつつ、忍は画面を覗き込む。
 彼女は僅かに目を見開いた。
 携帯電話の画面に映っているのは、奇妙な生物だった。雪上でうずくまる、紫の体毛に覆われた全身を見れば犬のような、しかし尾を見れば狐のような動物。背中の黒い付属物は、よもや翼だろうか? 加え額には逆三角形の紅いつるりとした金属。何とも可愛らしい合成獣だ。
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