Matrix-2
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 雪が派手に飛沫を上げ、膝下で白波のように散る。
 だが、淀み張り詰めた冬の静寂は、破られない。
 デュークモンは、その大柄な体躯にもかかわらず、体重のない者のように軽やかに、すっくと降り立った。視界の端には、腰を抜かしたまま立てないでいる、ひどく柔弱な様子の女性がいる。
 ぎょろり。一斉に、数多の単眼が闖入者の方に向けられた。目標物だった精密機械への前進が停止される。
 小刻みに震える、か細い悲鳴が漏れた。

 「あ……あ……」

 女性が、いよいよ血の気を失って後ろにふらりと傾いた。海月の化け物は彼女ではなく、その背後に現れた純白の騎士の方を注視しているのだが、女性は自分が睨まれたと思ったのだろう。
 いずれにせよ、衆多の紅い巨眼がぎょろつくのは、デュークモンとて気分の良いものではない。

 「ご婦人、どうか案ぜられるな」

 デュークモンは女性の前まで歩み出ると、低く朗々と響く声で告げた。

 「自分が、あれを始末致すゆえん」

 広い背の後ろで、恐怖と困惑の入り交じる気配が漂った。
 仕方のないことだ。突として何処からともなく現れた異様な存在に、そう声を掛けられても慰めになどならないだろう。かえって種々の混乱を招くだけだ。デュークモンには百も承知であった。
 だがそれでも、罪なき者を守り抜き、世の安寧を脅かす存在を排除する。電脳世界だろうが現実世界だろうが、それがロイヤルナイツの――騎士の務めではないかと、電脳核デジコアに刻み込まれた己の存在理由が、高らかに叫ぶ。
 主に省みられず、打ち捨てられし黒騎士といえども、何者にも消せはせぬ本能だ。

 デュークモンは円錐状の槍を、正眼に構えた。ベルトの二本巻かれた細腰を、僅かに落とす。
 大技を繰り出すまでもない。相手を屠るのは、嬰児をくびり、花を手折るのにも等しい。
 だが、あの海月どもだけを抹消するとなれば、中々に骨が折れる。
 電脳核を疾駆するインパルスが、ただ一つの回路に集中した、その刹那。

 紅蓮の外套が、新雪を染める鮮血の如くはためく。
 女性の茶色い瞳が捕らえたのは、それだけだった。

 一陣の風の如く、デュークモンが前方に疾駆した。
 冷えた大気が鋭く切り裂かれる。聖槍グラムが光を受けて清冽に燦めき、一閃、円弧を描く。
 まさに神速、空を切る音すらしない。
 軌道上に乗ったそれら異形は声も上げず――もとより声など持ち合わせてはいないのだろうが――半透明のゲル状の肉片を撒き散らす。それは瞬く間に、砂の城が崩れるが如く、二進数の塵に帰された。その残滓が、凍てつく大気に溶け出して消えてゆく。

 酸鼻を極める光景が、女性のまなうらに焼き付く。
 だが、一瞬のうちに起こった事態への驚愕が、恐怖を凌駕した。
 女性は呆けたように目と口を開き、体が臀部から冷えていくのも忘れ、なおも雪の絨毯に座り込んだままでいた。

 デュークモンはグラムの先端を下ろした。
 しかし、すぐに構え直し、黄玉の瞳を見張る。
 海月が二匹、雪に埋もれながらも、這い出す虫のように蠢いたのだ。
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