□Matrix-2
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声が、ほんの僅かに――千分の一波長程の乱れを伴っていることを、ドゥフトモン自身も認識していなかった。
「・・・・・・出来るとでも?」
「ああ」
肯定。
特段自信があるといった風情でもない。
「お前など相手にならない」「オレが強いのではなく、お前が弱いのだ」――そういった含みだ。
――竜は、百獣の王すら嬰児のように縊る。
そんな箴言か戒告か、ドゥフトモンの脳裏を過ぎる。
ドゥフトモンは畏れを前にして、臓腑を焼き尽くすような激烈な瞋恚を覚えたことすら、忘れ去ろうとしていた。
「反対に、オレが背信者だとは疑わんのか?」
問い掛けに、ドゥフトモンは僅かに首を振った。
もはや疑うだけ愚かだ。
そうであるならば、自分の躯は疾うに二進数の屑へと散らかされているはずだ。相手はそれを呼吸するが如く実行できる力を有しているのだ。
剣を交えずとも、既に全身でそれを理解させられている。
「・・・・・・なら、何故私をさっさと始末しない? 端末の制御権が欲しいのだろう?」
「分かっているじゃないか」
初めから答えを確信していたような風だった。
要は、お前は信用していると言いたいらしい。
だが、ドゥフトモンは少しも喜ばしさを感じなかった。
皇帝竜に刀礼を施され、聖騎士に叙任された時。
ベルフェモン討伐の緊急召集がかけられた時。
数える程しか、この竜人とは顔を合わせていないにもかかわらず、全て分かったような口を利かれるのは、気味が悪くすらある。
自分が相手の性質を把握しかねる場合には、尚更。
ともあれ、ドゥフトモンに、是を口にする以外の選択肢はなかった。
「……“デュークモンはダークエリアに送られた”、そう方々に伝達しておこう。データベースからも直ちに抹消する。――しかし」
ドゥフトモンは敢えて一歩踏み出し、威圧感を放ちながら佇んでいる竜人との距離を詰めた。相手は、それをどうとも思った様子はなかった。
「二つ問わせてもらう」
「何だ」
「貴殿は、デュークモンが真にダークエリア送りになってしまうとは考えていないのか」
「いない」
返答に、間は半秒となかった。
そして続く答えは、ドゥフトモンの想像を逸したものだった。
「デュークモンが、下郎の下策を前にしてくたばるわけがないだろう」
思わず息を呑む。
有無を言わせぬ、あまりに強い語調。
何より、今までの物言いと違い、遥かに感情的だった。
先程ドゥフトモンをデリートすると脅迫した時のように、己の強さに対する絶対的自信に裏打ちされているのを――否、あれ以上の自信、信頼を置いているのだと、否が応でも感じ取らねばならない程に。
だが、それは不可解なことこの上ない事だった。
何故、デュークモンを信頼しているのだろうか?
寧ろ、全電脳世界でデュークモンのみが接続可能な、“プレデジノーム”なる神秘の原初プログラムの力をば信頼しているのか。
デュークモンと特別親しい間柄なのだろうか。
だが事情の一切をつまびらかにするには想像を絶する困難を伴う事は考えるまでもないことだと直観し、ドゥフトモンは増幅するばかりの無為な思考を停止させた。
「では、二つ目だ。・・・・・・貴殿、一体何を考えている。自発的に来訪し、尚且つ提言までするなど、有史以来無かった珍事だぞ」
「話す義理はない」
叩き付けるような即答。
ドゥフトモンは別段失望しなかった。もとよりまともな回答は期待していない。
それ以上に、とりつく島のなさは、もはや爽快ですらあった。
「それだけか?」
「・・・・・・そうだな」
「そうか」
そうして挨拶もなしに、デュナスモンが踵を返しかけた時だった。
けたたましく鳴り響き始めたサイレンと赤光に、空間中が満たされる。
二体の聖騎士は、反射的に背後を見やる。
万象をモニタリングしているディスプレイは赤く点滅を繰り返し、警告文を中央に表示させている。
『Caution! Raiders Appearing』
危機感を煽る色、音、文言、全てがドゥフトモンの電脳核を直に強かに打擲する。
脈動が激しくなってゆく。電脳核が熱い。呼吸の――思考のパルスが乱れる。
終始自若としていたデュナスモンですら、眉を顰めたようだった。
決して起こってはならない、直視したくない、認識したくない一つの真実が、浮き彫りになってゆく。
今度こそ、神話に終止符が打たれたのだ。
「侵入者・・・・・・だと」
「鼠が紛れ込んだな」
各々独語する騎士。
この極寒の霊峰の頂きに、敵が登ってきたのだ。