Novel〜biyori〜
□コンヒュ
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「お疲れ様でしたー」
「お疲れ様でーす」
長い時間をかけて、お偉いさん方が決めたシナリオ通りにはならないような会議を終わらせ、人々は席を立って挨拶をして去ってゆく。
つい先ほどまで、今後の日本への圧力をどうかけるかについての話し合いが行われていた。が、話し合いなどしなくても結論は同じだ。日本へ開国を迫り、そしてゆくゆくは占領。未知の国ではあるが、アメリカの手にかかれば小さな島国など、すぐに服従させられるであろう。
だからコンテーは、この会議なんてものはどうでもよかった。大尉などという中途半端にいいご身分になってしまったため、厄介事は全て押し付けられてしまう。
正直言って、以前日本へ行った時のペリーは全く役に立たなかった。だから、彼以外に仕切るものがいないのも事実である。
けれど、コンテーはこの部所を離れたくなかった。
「ヒュースケン」
「はいっ!?」
英語とオランダ語の通訳者の彼もまた、この会議に出席していた。真っ直ぐな黒髪を洒落た形に整え、いつも眉尻が下がっていて困ったような表情になっている彼、ヒュースケン。コンテーは椅子に座ったまま彼を手招きした。
「…? どうしたんですか、コンテーさん」
「ちょっと僕の向かいに座ってくれないかな」
コンテーの言葉に不思議そうな顔をしながらも、近くにある椅子を引き出してコンテーの目の前に軽く腰かける。コンテーが再び軽く手招きをすると、ヒュースケンは椅子を引いてコンテーへ近づいた。机の傍らに、持っていた書類を置く。
優しい柔らかな笑顔を浮かべてヒュースケンが言う。
「どうしたんですか、コンテーさん」
「うん、いや、特に用はないんだけど」
コンテーも笑顔を浮かべる。眼が三日月のように弧を描いた。
「そうなんですか」
「うん。あ、この後に用事があるなら行きなよ。引き留めて悪かった」
「あぁ、それなら大丈夫です。しばらくは僕も暇ですから」
ヒュースケンの答えに、コンテーはふっと嬉しそうな表情を浮かべた。
ヒュースケンはこのコンテーの表情が好きだ。いつもは何事にも興味がなさげな彼の、ふとした柔和な表情。緊張感が一気に緩む、穏やかな笑顔。
それが自分の目の前でだけ見せてくれるものであるとは、ヒュースケンは気づいていない。
コンテーの顔に見入っていたヒュースケンは、ふと思い出したように表情を引き締めた。仮にも大尉の前、お偉い方の前では気を引き締めなければならない。
しかし、ヒュースケンが表情を緊張させてもコンテーはただ、黙ってヒュースケンの眼をじっと見つめるだけである。奇妙な沈黙の中で、コンテーのその遠い海からそのまま汲み上げたような深い碧がヒュースケンを捉える。
綺麗な眼だ、とヒュースケンは思った。透き通っているのとは違う、深い深い色合い。その瞳には自分が映っている。
(ずっとこのままならいいのに…)
ただ、コンテーのその美しい瞳の中には自分の姿だけを写していて欲しい。ふとそう思った。
「……!!!!」
額を掠める感覚。
思っていたよりも近いところにあったコンテーの顔。
心臓が跳ね上がる。
はっと我に返ると、コンテーがヒュースケンの眼にかかった前髪を指先で軽く寄せたのだということがわかった。
「眼にかかって邪魔だろ?」
「あ……や、は…や、……///!?」
ヒュースケンの顔がみるみるうちに紅潮してゆく。コンテーは愉快そうに笑った。
「可愛いな、君は」
「や、ややややめてくらさいよっ!!!」
ヒュースケンはコンテーの手を払い、勢いよく立ち上がった。その勢いで椅子が後ろへ倒れる。机に置いた書類を手に取り、しかしそれを床へ撒き散らす。急いでそれらをかき集め、「お、お、お疲れ様でしたっ!!」と言い後ろを向く。一歩踏み出した瞬間に倒れている椅子に躓き、バランスを崩しながらしかし、ヒュースケンは逃げるようにして部屋を後にした。
後に残ったのはコンテー1人である。ヒュースケンの慌てぶりにしばらく呆気にとられていたが、やがて、くすりと笑みを溢した。
可愛い奴だ、本当に。