Novel〜biyori〜
□こうでもしないと
1ページ/1ページ
「ねぇ、鬼男くん…」
閻魔は深く溜め息を吐いた。手には服装チェック表とボールペン。眼鏡の奥の目が困ったように、まつ毛が悩ましげに落ちた。今日は風紀点検の日である。
「君ってば全く…今日は風紀チェックだってわかってるよね?」
「これ、地毛ですよ」
鬼男は自分の銀髪を指差した。再び深く溜め息を吐き、閻魔が嘆くように言う。
「君、昨日まで黒髪だったじゃないの…」
「気のせいですよ」
「気のせいじゃないよ…。君、普段は真面目なのに、何で俺が風紀チェックの時に限って髪は染めるわ、耳に穴開けるわ、赤いカラコンしてくるわ…」
再び閻魔の溜め息。溜め息を吐くと幸せが逃げるというが、閻魔は毎回鬼男の風紀点検をする度にたくさんの幸せを逃がしているように思う。しかし、それほどまでに鬼男のその不可解な行為は閻魔を悩ませていた。
真面目な鬼男が、閻魔が担当の風紀点検の時に限って、ことごとく校則を破って登校してくるという事実は、何か自分に対しての嫌がらせなのではないかとさえ思う。逆に、そうでないとしたら、鬼男は何のためにしているのか、閻魔には全く思い当たる節がない。
「…まぁいいや…あとで生徒指導室に来てね。わかってると思うけど」
「はいはい」
鬼男は面倒くさそうに気だるい返事をした。閻魔も本日何度目かわからないほどの溜め息を吐く。チェック表の鬼男の欄に、頭髪とピアスにバツ印をつけ、その他の欄に『カラーコンタクト』と記入した。
閻魔は気づいていなかった。こうしている時、鬼男はいつも寂しそうな表情をしているということを。
「それにしても、鬼男くんもよくやるね。閻魔先生、泣きそうな顔してたよ?」
妹子が呆れたような声で言う。鬼男は聞いているのかいないのか、適当に声を聞き流している様子である。妹子は苦笑した。
「毎回毎回…僕でさえ閻魔先生が可哀想に思えてくるよ」
「仕方ないだろ、こうでもしないと…」
言って、鬼男は口をつぐんだ。妹子が不思議そうな表情を浮かべる。鬼男は少し困ったような表情をして「何でもない」と言った。妹子は怪訝そうな顔をしながらも、鬼男の言葉については深く追及をせずに、ふっと微笑む。鬼男もそれに柔らかい笑顔を浮かべた。
(…こうでもしないと…)
瞼を下ろす。脳裏に、藤色の着物と風変わりな帽子をかぶった男の姿が浮かんだ。その男は鬼男へ優しく笑いかける。
(こうでもしないと、あのイカは…)
自分が鬼神であり、閻魔大王の秘書であった頃を思い出す。
あまりにも仕事をしない閻魔は、冥界追放の刑を受けることとなった。輪廻の輪へ一度だけ戻るのである。
「鬼男くん、また会おうね」
転生する直前、閻魔は鬼男にその言葉だけ残して、人間になった。
やがて、鬼男も人間界へと転生した。
高校へ入学すると、鬼男は案外すぐに閻魔を見つけることが出来た。が、閻魔は鬼男の記憶を持っていなかった。その事実が発覚してからである、鬼男が風紀点検の度に校則を破るようになったのは。
鬼男が閻魔大王の秘書であった時と同じような銀髪になり、紅い瞳にした。まじないのピアスもした。制服を身に纏っていても、自分が『鬼男』であることを見せつけるかのように。
(…こうでもしないと、あのイカは絶対に気づかない)
自分たちは、数千年の付き合いのある者同士であると。
鬼男は閻魔のしていたそれよりも深い深い溜め息を吐き、それから生徒指導室へと向かった。