Novel〜biyori〜
□曽妹で現パロ
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玄関から出た瞬間から寒いとは思ってはいたが、まさか雪が降ってくるとは妹子は考えていなかった。出掛けにマフラーを何重にも巻いてきている。そこに妹子は深々と顔を埋めた。ずれた耳当てをもとの位置へと戻す。
今日はずっと芭蕉の家から出ない予定だったのにな、と妹子は思った。というのも、妹子は現在「カレーが食べたい」という言葉と共に自転車で材料を買いに行ったアホの太子の「雪で帰って来れん…」という連絡を受けて迎えに行っているのである。彼は一人で歩いて帰るのは、どうしても嫌だと言って聞かなかった。
(…僕だって、こんな雪の中一人で歩きたくねぇよ)
妹子は赤くなった手に息を吹きかけて擦った。一瞬だけ感じる温もり、しかしそれはすぐに消える。ひとつ溜め息。
(…手袋が欲しい…)
「あぁ、妹子さん」
聞き慣れた声がした。妹子が振り返る。背の高い、細身で無表情の男がまさに今コンビニを出てきたところだった。妹子の表情がふっと緩む。
「曽良さん、どうしてこんなところに?」
「僕ですか? 僕は少しばかり買いたいものがありまして」
言って、曽良はダッフルコートから手を出し、持っている白い小さなビニール袋を掲げてみせた。中身はよくわからなかったが、おそらく甘味の類いであることか容易に想像が出来る。あまりの曽良らしさに妹子は苦笑した。
「妹子さんはどうしたんですか?」
「あぁ、実はアホの太子が…」
手短に今までの経緯を話す妹子。曽良はすんなりと納得。普段は能面のように動かない彼の表情が僅かに迷惑そうなものになった。曽良は見事に妹子の心情を察することが出来たらしい。
「仕方ないですね、僕もついていってあげますよ」
「え、本当に?」
「はい。独りでは心もとないでしょう」
妹子の表情が輝く。すっかり暗くなった道を一人きりで歩くのは確かに、寂しく虚しい気持ちになるものがあったからだ。曽良がいれば、そんな感情など霧散してしまうに違いない。
妹子は先ほどまでより軽快な足取りで歩き始めた。曽良がその隣に並ぶ。妹子よりも頭ひとつ分ほど背の高い上に、マフラーに顔を埋めているため彼の表情は、妹子からはあまりよく見ることができない。が、きっといつものような無表情でいるのだろう、曽良はずっと真っ直ぐ前に視線を向けていた。ダッフルコートのポケットに手を突っ込んだ状態で、妹子の歩幅に合わせて進む。
「…寒いですね」
妹子が鼻をすすった。冷たい空気が流れ込んでき、鼻が痛くなる。
「そうですね」
曽良が妹子を見る。妹子の鼻はすっかり赤くなっていた。鼻の下を指で擦る妹子に、曽良の顔に疑問が浮かぶ。
「妹子さん、手袋は…」
「ん? あぁ、なんか無くしちゃったみたいで今持ってないんですよ」
買わないとなぁ、と妹子は言った。耳当てをし、マフラーも巻き付けており、ダウンを着こんでいるにもかかわらず彼の手は剥き出しで、すっかり赤く腫れ上がっている。かじかんだ手を擦るも、全くの無意味だ。
「…寒そうですね」
「まぁ…はい。手だけですけど」
曽良は少しだけ考える素振りを見せ、左手を自分のポケットから出した。そのまま妹子の右手を手に取り、自分のポケットへと迎え入れる。妹子は一瞬驚いた表情をしたが、曽良の体温が暖めたポケットの中の温もりに思わず頬を緩ませた。
「ありがとうございます。こうしてると温かいですね」
「こうするともっと温かいですよ」
言って曽良は、冷えきった妹子の指に自分の指を絡ませてしっかりと手を握った。決して温かいとはいえない曽良の手も、今の妹子にとっては心地よい温もりである。妹子は曽良の手を強く握り返した。
「…妹子さん、痛いです」
「え、あ、ごめんなさいっ」
素早く手を離す妹子。しかし、その手を逃がすまいと曽良の手に力が込められ、妹子の手を引き留める。戸惑う妹子、対して曽良は相変わらずの無表情。そんな曽良を見て、意識しているのは自分だけなのだとほんの少しだけ落胆。だが、妹子は素直に曽良のポケットに右手を留めた。
「曽良さんって優しいですね」
「そうですか?」
「そうですよ。自分も寒いのに、太子の迎えについてきてくれますし、コートのポケットで手を温めてくれてるじゃないですか」
すごく優しいと思います、妹子はそう続けた。曽良の顔に素直な驚きが広がる。少しばかり困ったように黙り、しばらくして、遠い目をしながら口を開いた。
「僕は優しくなんかありませんよ」
顔を前に向けたまま曽良が言う。
「僕はただの嘘つきです」
曽良は視線を落とし、そして妹子の方を向いた。曽良の言葉の意味が解りかねているのか、小首を傾げる妹子。曽良は深く息を吐いた。今度は右手をポケットから出し、コンビニの袋を妹子に見せる。
「そういえば先ほど、雪見大福買ったんですけど、おひとついかがですか?」
「え、いいんですか?」
「いいですよ」
「じゃあ、貰います」
丁度お腹減ってたんです、と嬉しそうに妹子は笑みを浮かべた。曽良は妹子の手を離し、馴れた手つきで器用に素早くパッケージを開ける。ふたつあるうちのひとつを妹子に差し出す。自分の分も手に取り、そして曽良は再び妹子の手を掴んで自分のポケットへと入れた。さすがにこう何度もされると妹子の方も慣れてきて、曽良の手を軽く握り返した。左手に持った雪見大福を口へと運ぶ。
「冷たっ!」
「当たり前でしょう、中身はアイスですよ」
曽良の呆れたような声。妹子は「へへっ」と笑った。
「でも、美味しいです」
「……。」
曽良は目を細めた。思いがけない言葉に反応できない。が、雪見大福を食す妹子にとっては何気ない言葉だったのであろうとわかると、曽良もまた雪見大福に食らいついた。
「あれ、太子いない」
それから5分ほど歩き、到着したスーパーマーケットで妹子は辺りを見回した。しかし、どこにも太子の姿は見当たらない。確かに彼は、駐輪場の前にいると言っていたのに。
「全く…これだからアホの太子なんですよ…」
「……。」
「すいません、曽良さん。ちょっと太子に電話してみます」
「太子さんなら、もう芭蕉さんの家に着いている頃だと思いますよ」
「……へ?」
妹子が間抜けな声を出す。曽良の言っている言葉の意味が上手くとれない。曽良はほんの少しだけ視線を落とした。
「太子さんに少々、協力をお願いしました」
「え…それってどういう…?」
妹子に浮かぶ最大級の混乱の表情。曽良が妹子の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「言ったでしょう、僕は嘘つきだって」
「ま、まぁ…はぃ?」
「太子にお願いして、妹子さんが一人で外に出るような状況を作っていただいたんです」
妹子の動きが止まる。思考が追い付かないようで、ゆっくりと瞬き。曽良の方を真っ直ぐに見つめる。
「太子さんが妹子さんに迎えに来て欲しいと言ったのはあなたを一人にさせるためです。
僕がコンビニに居たのはあなたを待っていたからです。
そして、妹子さんの手が冷たいのも僕のせいです。」
曽良は右手に何かを掴んだ状態でポケットから手を出し「お返ししますよ」と言ってそれを妹子へ差し出した。妹子があっと声をあげる。
「それ…」
「あなたの無くした手袋です」
「……曽良さんが持ってたんですか?」
「えぇ、でないと」
曽良はそう言って、自分のダッフルコートのポケットを軽く叩く。
「一人きりの妹子さんの手を僕のポケットにお招きする口実が出来ませんからね」
「……。」
「歩いてみたかったんです、妹子さんと二人きりで」
思いがけない曽良の言葉に妹子は言葉を失った。じっくりと曽良の言葉を噛み締め、やがて理解が出来ると遠慮がちに口を開く。
「……そんなことしてくれなくても…」
妹子が僅かに目を伏せる。ほんの少しだけ赤面しながら、小さく溢した。
「…曽良さんが誘ってくれたら僕は喜んでその誘いに乗りますよ…」
「だって照れ臭いじゃないですか」
「…!!」
妹子は驚いたように顔を上げた。そこには相変わらず無表情の曽良の顔。なに食わぬ顔で言うものだから、もう少しで聞き逃してしまうところであった。まさか曽良の口から照れ臭いなどという言葉が出てくるとは。
突如妹子の携帯電話が震えた。現実へ引き戻され、条件反射で開いたままの携帯電話のボタンを押してメールボックスを開く。メールは太子からだ。
【すうぃーとたいむをたの死/んで】
「…ムカつく」
「どうしたんですか」
「何でもないです」
妹子は携帯電話を閉じてズボンのポケットへとしまった。再び曽良の顔を見上げる。今度は曽良の方も妹子の目を見つめ返した。
「…多分ですけど、曽良さんは嘘つきじゃないと思いますよ」
「…と言うと?」
「そういうのは、素直になれない、って言うんです」
曽良が驚いたように目を見開いた。しばらくして頬が紅潮してくる。それを隠すように、曽良はマフラーに顔を埋めた。妹子から目を逸らす。
そんな曽良に妹子は、曽良が手を入れているダッフルコートのポケットに自分の手を忍ばせた。びくりと曽良が身を震わせる。妹子が優しく微笑む。
「…帰りましょうか」
「……そうですね」
ポケットの中で妹子は曽良の手を握った。