Novel〜biyori〜

□星が綺麗ですよ
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22時43分、太子の折り畳み式の携帯電話のサブディスプレイに彼の名前が光る。

「もしもし、太子。生きてますか?」

「生きてるわ!妹子も元気か?」

「はい、相変わらず」

「そうか、よかった。今日は調子丸がな…」

いつも通りの応酬、いつも通りの1日の報告。毎晩の習慣と化した2人の電話での会話の時間は、太子にとって無くてはならない非常に大切なものであった。基本的に、電話がかかってくるのは22時半から45分までの間である。

結婚して5年が過ぎた頃のことである。妹子の単身赴任が決まった。赴任先は千葉である。それまで2人で暮らしていた奈良からはそう頻繁に会えるような距離ではない。だから太子も一緒にそちらへ行きたかったのだけれど、生憎、太子も太子の方でこちらで仕事があるため奈良を離れることが出来なかった。共働きであることにこんなデメリットがあるとは予想していなかった。また、付き合い、結婚してから今になって初めての遠距離恋愛を経験することになるとは。

任期は3年。2.3ヶ月に1度は何とか時間を見つけて帰って来てくれはするけれども、やはりなかなか会えないという事実は大きなものである。

「太子、今すごく星が綺麗なんですよ、見れますか?」

言われて、窓から外を覗く。なるほど、今夜は新月らしい。月の光がないから夜空は普段よりもずっと暗くなり、星の輝きが引き立てられている。そして雲ひとつ見当たらない素晴らしい空だ。

「本当だ、宇宙の神秘だな」

「へぇ、太子、神秘なんて言葉知ってたんですね」

「妹子は私をどこまで馬鹿にする気だ!」

クスクス、と受話器の向こうから小さな笑い声が聞こえた。彼が今しているであろう表情が目に浮かぶ。

本当ならば、こんな新月の夜には2人で肩を並べて星を見たかった。月光のない夜には眠りにつくまで妹子にすがっていたかった。変わらない、確かな存在に触れたかった。

(嗚呼、さみしいなぁ)

こうやって毎晩電話をしていても、否、しているからこそ、その妹子の体温に触れたい、温もりを感じたいと思わずにはいられなくなってしまうのだ、多分。

電話の内容はいつだって、お互いのその今日の報告のみだ。愛の言葉を囁き合う訳でもない。けれど、それだけでいいのだ。無機質な機械を通じての愛の言葉など、薄すぎるから。

「妹子」

「何ですか?」

不意に太子が妹子を呼ぶ。それが意外だったのか、妹子の声の調子が少し変わった。

「…次、帰ってくるのはいつだ?」

「そうですね、うーんと…」

沈黙。妹子が自分の予定を確認しているのだろう。暫くの無音、やがて漸く妹子が声を発する。

「来月末ですね。それまでは帰れそうにないです」

言われて、無意識に溜息が漏れた。あと1ヶ月半は離れ離れかと思うと切なくなってくる。まだまだ先のこと過ぎて、聞くんじゃなかったと後悔する太子。

「…妹子は」

私と離れ離れで、寂しくないのか?

尋ねると妹子は「そりゃあ…」と言って押し黙った。続きの言葉を聴きたくて耳を澄ます。が、妹子はその続きを言うつもりはないらしい。そういえば、とわざとらしく話題を変えた。

「太子は今、部屋の窓から星を見てるんですか?玄関に出て見た方が綺麗なのに」

「ああ、それもそうだな」

言われて、玄関へ向かう。確かに、庭に出てしまったほうがいっそ、ここの場合は暗いかもしれない。

最近、夜が冷えるようになってきたから手近な上着を羽織って靴を履く。もちろん携帯電話を持ったままだ。

「妹子も外で見てるのか?」

玄関の扉を開く。ひんやりとした空気が肌に当たった。庭に出て、空を見上げる太子。丁度影になっているから、この庭は本当に星を眺めるのには最適な場所だなと太子は思った。

「はい、そうですね。よく見えます」

妹子の声が小さく囁くようなものになった。もしかしたら電話の声が大きいと同僚に注意を受けたのかもしれない。

「そうか、そっちも暗いのか?」

天気予報では全国的に高気圧が広がっていて晴れだと言っていた。だから、恐らくは妹子のいる千葉の空も、太子のいる奈良の空も、今はきっと同じような表情をしているのだろう。

しかしここで、何故か生まれた、奇妙な沈黙。

もしかしたら自分は言ってはならない言葉を発してしまったのかと焦燥する太子。だが、口にしてはいけない言葉を発したつもりは少しも無かったし、自分の発言を振り返ったところで、何が妹子をそうさせたのか太子には検討もつかない。

暫く会っていないだけで、こんなにも妹子の存在を遠く感じてしまうのだろうか。
会うことが出来れば、そう、会うだけで、その妹子の感じていること、考えていることに少しでも触れられればいいのにーー

「……さあ、どうなんですかね」

「…へ?」

すぐ真後ろで声が聞こえた。

振り返ろうとして、しかしその前に背中に強い衝撃。バッ、と音を立てて背後から強く抱きしめられる。自分よりも幾分低い身長。それでも自分よりも力強い体格。

「お前…」

「…やっぱり、会いに来ちゃいました」

あどけない表情で、妹子はそう言って笑ってみせた。

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