Novel〜biyori〜

□監獄日和
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「あーあ、気絶しちゃったよ、この子…」

 芭蕉と呼ばれたその男はそっと妹子の髪を撫でた。一瞬だけビクッと身体を強張らせ、再び力を抜く妹子。そんな彼を自分の腕から解放し、芭蕉は妹子を壁にもたれかけさせて座らせた。

「…っていうか閻魔も鬼男も、新入りを怖がらせてなにやってるんだよ。」

 前髪をピンで留めている男が口を尖らせた。言いながら、手探りで壁にある何かを探している。しばらくしてパチン、と電気が点いた。白い明かりが部屋を照らす。

「仕方ないだろ。またこいつが俺の服を脱がせようとしやがったんだ。俺が何度言っても聞きやしねぇ」

「だからって刺さなくてもいいでしょ? 可哀想に、この子。すっかり怯えちゃって」

 額から血を流している男が妹子の頬をつついた。柔らかく血色のよい肌。まるで幼子のようである。人体模型を思わせる、白く骨張った彼の指とは対照的だ。

「まぁ、こいつがどんな罪かは知らねぇけど」

 刺した男が自分の爪の血を舐めとる。口の中に覗くのは鋭い犬歯。褐色の肌にその赤くそまった歯が不気味な色の対比を生み出していた。彼の銀髪と金髪の間のような神秘的な髪からは親指大の角が2つ垣間見し、瞳は深紅だった。

「ねぇ、鬼男くん」

「あ?」

「今度は絶対に脱がせてみせるからね?」

「させるか」

 鬼男と呼ばれたその褐色の肌の男は、その言葉にふんと鼻をならした。

 鬼男の態度に笑みを浮かべているのは、前髪を上げた男が閻魔と呼んでいた男だ。癖のある、男にしては長く伸ばされた黒髪を無造作に後ろで結い、後ろ姿だけ見れば女に見られてもおかしくはないだろう。長い前髪の下からは、鬼男よりも禍々しい闇をはらんだ紅い瞳。

 いつ見てもこの二人は不気味な雰囲気があるな、と芭蕉は思った。彼らは人間ではない、それを薄々感じながらも、同時に自分から聞く必要はないと思っている。向こうから言う時、もしくは言わざるを得ない時、それが最も適切なタイミングというものだ。

「……。」

「どうしたの、太子くん?」

「いや…曽良の奴がまだ戻ってこないなと思って…」

 前髪を上げた男、太子が眉を潜める。言われて、芭蕉の顔にも影がよぎった。

 妹子を入れて6人いるはずのこの部屋に捕らわれた囚人のうちの1人が、外に連れられたきりなかなか帰って来ない。時計がないから定かではないが、優に3時間は経過しているはずだった。

 彼が連れられたのは拷問部屋。まさに囚人を“生殺し”にする空間。曽良はそこで今何を問いただされているのか。

「…、……」

「あ、気がついたか」

 むくりと起き上がる妹子。人に気がつき、身体をびくりと震わせ、警戒した瞳になる。そんな妹子に芭蕉と太子は優しく笑いかけた。

「そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。私たち、丸腰なんだから」

 鬼男くん以外、と芭蕉は付け加える。妹子はそっと鬼男の方へ視線を動かした。ぎろりと紅い瞳で睨まれ、慌てて目を逸らす。

「お前、名前は何て言うんだ?」

「…あなたのお名前を先に教えてください」

 茶色い、大きな丸い瞳は太子を思い切り睨み付けた。厳重な警戒心。これは厄介だなと太子は笑った。怪訝そうな顔でそれを見る妹子。

「私は聖徳太子だ。太子って呼ばれてるぞ。あ、もちろん、何て呼んでくれてもいいからな」

 さぁどうだ、とでも言うように胸を張る太子。妹子は少しだけ眉を潜めた。

「…たい…し」

「うん、そうだ」

「……臭いです、太子…」

「………。」

 太子の表情が固まる。それを見た芭蕉は困ったように笑った。

「太子くんが臭いのは仕方ないよ。我慢してあげて?」

「芭蕉さん、それフォローになってない…」

 閻魔が苦笑して妹子に歩み寄る。目線を妹子と同じ高さにして、にこりと優しげな表情を浮かべた。瞳が柔らかい弧を描く。

「はじめまして。俺は閻魔。この、今君の隣にいるのが芭蕉さんであの奥にいる角が生えてるのが鬼男くん。あともう1人曽良っていう奴がいるんだけど、今はいないや。安心して。皆、君に危害を加えるつもりはないから」

 にぃ、と閻魔の口角が持ち上がる。紅い艶やかな唇が一瞬、裂け上がって見えたが、気のせいだろうか。

「ほら、全部わかったでしょ? 君の名前は?」

 紅い瞳が妹子を捉える。それでも口を開かない妹子に、鬼男は深いため息をついた。

「安心しろ。ここでは名前が知られようが知られなかろうが、外との交流は皆無だ。こっちだって、お前のことを呼ぶために名前を聞いているだけ。警戒しようとも、警戒の対象が無さすぎるだろ」

 少し乱暴な口調。すっかりやつれてしまったような彼の顔からすると、外では真面目な人物だったに違いない。

 妹子は意を決して口を開いた。

「…小野妹子です。罪は…」

「妹子か! よろしくな」

 言い終わる前に、太子が満面の笑みを妹子に向けた。
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