薄桜鬼

□隣で眠らせて
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雑踏の向こうに、ちらりと見えただんだら模様。
目を細めて見つめると、その集団の中に薄桃色が混ざっているのがわかった。

京の街の、繁華街にほど近い大通り。
そんなに毎日仕事があるわけでもない俺は、散歩の途中だった。

ちょこまかと連中について歩く千鶴を遠くから眺め、声をかけようかと悩む。うっかりかければ血の気の多い連中のこと、すぐに刀を抜くだろう。暇潰しに遊んでやるのもいいが、白昼の大通りで騒ぎを起こすのはあまり利口とはいえない。

迷っていると、後ろから俺の名を呼ぶ声がした。
「風間様!」
「いや、偶然やわ!どちらへいかはるんどすか?」
振り向く前に、女の集団に取り囲まれてしまった。
「お暇ならお店へ来はりまへんか?」
「風間様なら大歓迎、いつでもお相手させていただきますえ」
薩摩の連中が機嫌取りのつもりだろう宴席をしょっちゅう設けてくれるおかげで、この女たちはすっかり俺を覚えてしまったらしい。化粧も違うし町娘の姿だから誰が誰だかわからんが、こいつらは花街の芸妓たちだ。誘ってくるのは商売だからわからんでもないが、体は売らないはずなのになぜこうもべたべたとしなだれかかってくるのかがわからない。
「退け。俺は先を急ぐ」
用事はないが、一応そう言って手前にいた女を押し退けてみる。案の定女たちはさっきよりさらに大きな声で騒ぎ出した。
「どこへ行かはるんどす?」
「あ!もしかして、ええ人待たしてはる?逢い引きどすか?」
きゃーきゃー喧しくなった女たちに眉を寄せて、とにかく退けと強引に足を進めると、女たちは買い物かなにかの途中だったらしく、意外にあっさり引いてくれた。
「次はいつどす?」
「お呼び、お待ちしてますえ」
知るか、そんなの。薩摩の偉いさんにでも聞け。

女たちから離れ、ようやくほっと息をついてから通りの向こうを見渡してみる。
新選組と千鶴は、もうどこにも見えなかった。





その夜。

昼間後ろ姿を見かけただけの千鶴を思い出し、俺は刀を手に屯所へ出掛けた。千鶴を口実に、またあいつらと遊ぶのも悪くない。薩摩の連中のへらへらした顔を眺めるより、よほどマシというものだ。

塀を飛び越えて中庭に立つと、たまたま縁側にいた男が大声を出す。そうして周囲が騒がしくなり、見慣れた連中が奥から飛び出してきた。
「てめぇ、なにしに来やがった」
そう聞かれるのはいつものこと。
「妻を迎えに来るのに、貴様らの許可が要るのか?」
からかうように答えるのもまたいつも通り。
刀が抜き放たれ、槍の穂先が俺へ向く。あとについて来た天霧が拳を握って構えれば、あとは刀がぶつかる音と怒号が飛び交う戦場になる。

「島田!千鶴の護衛を頼む!」
「はい!」
体格のいい男が奥へ走り、その方向と俺の間に数人が割り込んで来る。
「千鶴は渡さねぇぞ!」
まだガキのように見える男が、俺に向かって地を蹴る。動きは素早いが、俺からすればまだまだ。軽くいなしてやれば、悔しそうな顔で睨んでくる。
「よそ見してっと危ねぇぜ!」
紙一重で避けた槍が、俺の髪をひと房切り取った。赤い髪を翻した男が、続けて踏み込んでくる。避けながらちらりと天霧を見ると、他の数人を相手に馬鹿力を振り回しているようだった。

こいつらと遊ぶと、退屈しない。薩摩の腰抜けどもとは大違いだ。

斬り込んでくる男の剣を受け流し、千鶴がいるらしい方へと足を踏み出すと。

「千鶴!」
「馬鹿、引っ込んでろ!」
口々に言う連中の視線の先を追う。
千鶴が、夜着姿で縁側に立ってこちらを見つめていた。

千鶴が、隠れているのをよしとせず出て来るのもいつものことだ。なにもできないくせに無謀なことをと思うが、俺は千鶴のそういうところも気に入っている。

「なんだ、待ちきれなかったか?」

そう問えば、違います!と怒鳴り返してくるのがいつもの千鶴なのだが。

今日は違った。

「…はぁ?」

…………え。

なんだその返事は。
なんなんだその冷えきった瞳は。

「迎えに来たぞ」

気を取り直してそう言うと、

「ふぅん」

……………えええ?

いつもなら怯えて震えている千鶴が、今夜はどうしたことか、背筋を伸ばして仁王立ちしている。
千鶴は縁側。俺は庭。
そんな位置関係だからだろうか、見下ろされているような気がするのは。

気づくと、騒がしかった庭は静まりかえっていた。
天霧は拳をおろし、新選組の連中は構えを取るのを忘れ、ただ刀を握っているだけの状態。
そうして全員が、真ん丸な目でいつもと違う千鶴に注目していた。

「……で?風間さん、なんのご用でしたっけ?」

相変わらず冷たい瞳と冷たい声。

「……いやだから。我が妻を迎えに」

なぜか口ごもってしまう俺。

「へぇ。妻、ですか」

嘲るように言う千鶴の目は笑ってない。視線が氷の刃になって俺に突き刺さる。

なんだ、どうしたんだこれ。そりゃ歓迎されてないのは承知の上だが、こうまで冷たくあしらわれたことは今までなかったのに。

「……どうかしたのか?」

やっとでそれだけ言うと、千鶴は鼻で笑った。

「どうかした、って言われましても。私も皆も、そんなに暇じゃないんです。風間さんの気まぐれには付き合ってられません」

「気まぐれ?」

「気まぐれでしょう?私を妻にしたいなんて言って、ただ遊びに来てるだけじゃないですか」

ちょっと答えに詰まった。ここの連中と遊ぶのが好きなのは事実だからだ。
だが、千鶴を妻にしたいというのは気まぐれじゃない。そこは訂正せねば。

しかし千鶴は、俺の言葉を待たずにすたすたと奥へ消えていくところだった。

「おい!ちょっと待て!」

慌ててあとを追う。誰も止めようとしない、というか止めるのも忘れて俺と千鶴を見ている。

縁側に飛び上がり、待ってくれと腕を掴もうとしたが、千鶴の袖すら掴めないまま。

「いい加減にしてください。私、朝は忙しいので早く休みたいんです」

それじゃ、さ・よ・う・な・ら!

目の前でぴしゃりと障子が閉まり、もう開く気配はない。

「………………」

「………………」

無言で立ち尽くす俺を、無言で見つめる新選組。

やがて、槍を持った男が近づいてきた。

「風間……おまえ、なにやったんだよ」

知らん。
こっちが教えてもらいたいくらいだ。

がっくりと肩を落とす俺を、短髪の男が慰めるようにぽんぽん叩いた。

「振られて辛い気持ちはよくわかるぜ。こんなときは、酒だ!」

「酒……?」

「そう。飲んで騒いで、元気出そうぜ!な?」

「……………」

引きずられるように広間に連れていかれながらもう一度見たが、やはり障子は閉まったまま。

俺は一体、千鶴になにをしたというんだろう。





「……で、なにをしたんだ?」
なみなみと注がれた酒を一気にあおったら、それを待っていたように土方と名乗った男が目の前に座った。
「あいつがあんなに怒るのは初めて見たぜ。なにをしたらあんなふうになるのか、ぜひとも教えてもらいたいもんだ」
「………知るか」
側の盆から徳利をとり、手酌で湯飲みに注ぐ。その様子を見た近藤という男が、やんわりした微笑を俺に向けた。
「やけ酒は体によくないぞ。もっとゆっくり飲まんと」
「あはは、近藤さんて本当にお人好しですよね」
少し離れたところから、曖昧な笑顔の男が言った。
「でもね、好きな子に振られたらやけにもなりますよ。飲みたいだけ飲ませてあげればいいじゃないですか」
そんで寝ちゃえばこっちのもんだしね、なんて笑う男の目は本気だ。
「八又の大蛇じゃないぞ、俺は」
睨んでみるが、そいつには効き目はないようだ。変わらない微笑で肩を竦め、まっすぐに俺を見る。
「僕は千鶴ちゃんの味方だからね。なにかしたんなら、許さないよ」
「………………」
答えようにも、答えられない。まったく全然、身に覚えがないのだから。
「まぁまぁ、酒が不味くなるじゃねーか。睨み合いはまた今度っつーことで、今は飲むほうに専念しようぜ!」
俺をこの場に無理やり引っ張ってきた男は永倉と名乗った。槍を持っていた男は原田、すばしこいのが藤堂。覚える気もなかったが、耳に入るので覚えてしまう。喧しすぎるんだよ、この三人。
「だが、どうしたことか…雪村くんのあんな態度は初めて見ました」
考えこむように呟いて、天霧がちびちびと酒を口に運ぶ。土方も腕を組み、宙を見つめて唸った。
「昼間はいつもと変わらなかったよな?」
「はい」
姿勢を正して酒を飲んでいた男が、畏まって頷いた。
「夕食の席では、なにか考えこんでいるような様子も見受けられましたが…でも、俺たちに対する態度には変化はありませんでした」
俺たちには、って強調するところが嫌な感じだ。おまえだけ嫌われてるんだよと言われたような気分になる。

嫌われた。

そうなんだろうか。

いやでもしかし、もとから好かれてなかったような気もするんだが。

「それで、風間」
斎藤とかいうその男が、改めてこっちを向いた。
「なんだ」
真面目な、真剣な面持ちに、俺も改まってそいつを見る。
「おまえの剣は、どこの流派なのだ?」
「………………けん?」
来ると思ってなかった質問が来て、頭が追いつかずに妙な聞き返し方をしてしまった。
ていうか、それと千鶴と、なんの関係があるんだ。
「関係はまったくない。俺の興味だ。それで、流派は?刀は名のあるものなのか?」
「えーと……流派は、特には……」
あまりに真剣に聞いてくる斎藤に、少し引き気味になる。なんだこいつ、剣術オタクか?
「刀を見せてもらってもいいだろうか。もちろん大事に扱うし、見たらすぐ返すから」
うっ、目がきらきらしてる。俺としたことが、ちょっと怖い。
刀を渡すと子供のように嬉しそうな顔になった斎藤を眺めていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。
「……なにか、」
用か。と聞く前に、叩いた男はにっこり笑った。
「ちょっとでいいので、血をもらえませんか」
…………血?
なんで血?なんで短刀構えてるんだ?手に持ってるのは丼のようだが、まさかそれへ血を注げとか言うんじゃないだろうな?
「雪村くんに頼もうとすると、土方くんが怒りますのでね。あなたにいただこうかと」
いやいやいや!千鶴の血はもちろん、俺の血も嫌だ!丼一杯とか、いくら鬼でも貧血になるだろうが!
腰に手をやったが、刀はない。それは今斎藤が嬉しげに眺めている。
「ふふふ、刀から手を離すのを狙っていたのですよ」
確信犯の微笑みで短刀を構える男。
「さぁ、血をください。大丈夫大丈夫、すぐ済みます。ちょっとちくっとするだけですからね」
ちく、で済むか阿呆!殺る気満々だろうが貴様!
「山南さん、そいつは今一応客人だ。そのへんでやめてくれ」
土方の言葉に、山南と呼ばれた吸血鬼は残念そうな顔をして引き下がった。

どういうところなんだ、ここは。妖怪の巣か。

ビビったことを悟らせぬよう、居住まいを正して酒を口に含む。とりあえずさっさと飲んで、千鶴のところへ行かなくては。



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