薄桜鬼

□隣で眠らせて
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「………そういえば、」
黙っていた天霧が、顔をあげて俺を見た。
「夕刻あたり、大通りで雪村くんを見かけました」
ああ、それなら俺も見た。
「夕刻か。巡察について出たんだったか」
土方が声をかけ、藤堂が振り向いた。
「おまえと一緒に出たんじゃなかったか?」
「ああ、うん。そうだよ」
酒で頬を赤くした藤堂が、立ち上がるのが面倒なのか這うようにして俺たちの側に来た。
「なにか、いつもと違ったことはなかったか?」
「えー……」
藤堂はしばらく考え、頭をぽりぽり掻いた。
「わかんねぇ。別に、なんもなかったし…」
言いかけて、思い当たることがあったのか、藤堂ははっとした表情になった。
「どうした」
身を乗り出す土方。向こうでは沖田もこちらに聞き耳を立てている。
「いや……よくわかんねぇんだけどさ、」
言いにくそうに、藤堂が俯いた。
「なんか、見たんかもしんねぇ。途中から、ちょっと元気がなくなったみたいで」
「途中から……?」
不思議そうに呟く土方の隣で、天霧が俺を見た。
「同じ頃、その大通りで風間も見かけましたよ」
「ああ。散歩に出ていたからな」
頷くと、天霧はあからさまに不審げな目になった。
「散歩、ですか?」
「そうだ」
「あんなにたくさん女性を連れて、ですか?」
「…………は?」

言われて思い出した。芸妓に囲まれてきゃーきゃー言われてたんだった。

「いや、あれは……」
言いかけると、いつのまにか側まで来ていた沖田がうんうんと頷いた。
「なるほど。千鶴ちゃん、それを見たわけだね」
「…………え」
「いつも自分に嫁になれとか言ってる人が、女の子たくさん連れて鼻の下伸ばしてるの見たら、そりゃ怒るよねぇ」
断じて伸ばしてない。ていうか追い払ったじゃないか。見るならそこまで見てもらわねば困る。
「ふむ。雪村くんは、風間にからかわれたと思ったんでしょうか」
そう言った天霧を制し、原田が割って入った。
「それだけじゃねぇだろ?もしか結婚が本当になったとして、浮気三昧の旦那なんか冗談じゃねぇって思ったんじゃねぇか?」
「う、浮気など俺は……」
「昼間っから女侍らせて町を歩くような男を、どこの女が信用するってんだよ」
「…………………」

キツイ。
この原田という男、言うことがいちいちめちゃくちゃキツイ。

だが、俺は立ち上がった。
もしあれを千鶴が見ていて、誤解したんだとしたら、今ならまだ、ちゃんと話せば間に合うかもしれない。

「しょーがないなぁ、もう」
沖田が拗ねたように唇を尖らせた。
「さっさと行って、誤解といてきなよ」
「おいおい総司、おまえ風間が気にいらねぇんじゃなかったんかよ」
にやにやとからかう永倉に、沖田はため息をついた。
「仕方ないじゃん。千鶴ちゃんが、ヤキモチやくほどこいつのこと好きならさ」

ええっ。
や、ヤキモチ。

って、あれか。嫉妬か。

千鶴が、俺に?

立ったまま呆然とする俺に、沖田が苦笑する。

「早く行かないと、かわりに僕が行っちゃうよ?ちーちゃん」

誰がちーちゃんだ。

「うむ、誤解であるならなるべく早いうちに話し合ったほうがいい」

刀ばかり見ていたくせにいつから聞いていたのか、斎藤が真面目な顔で頷いた。

「急げ、ちーちゃん。大丈夫だ、刀は俺に任せろ」

だから誰がちーちゃんなんだ。ていうか刀、いい加減返せ。

とかいうツッコミなんか、口にする暇はない。
俺は広間を飛び出して、千鶴の部屋へと走った。







障子の向こうを窺うが、明かりは消えていて物音もしない。もう寝てしまったんだろうか。

女の寝所へ押しかけるのもどうかと思って一瞬躊躇ってから、俺は障子に手をかける。そんな暢気なことを気にして遠慮などしている場合ではなかったんだった。

「入るぞ」

一応ひとこと声をかけ、そのまま開ける。
暗い部屋の中で、中央に敷かれた布団に千鶴が丸まっていた。

「話がある」

障子を閉め、返事を待たずに布団に近寄る。千鶴はじっと動かないが、眠っていないのは気配でわかった。

「おい、顔を出せ」

「………………」

「話があると言ったのが聞こえなかったか?」

「………………」

「千鶴、」

ひく。
布団が小さく動いた。

「……千鶴?」

またひくりと動く。布団の盛り上がり方からして、肩のあたりだ。
同時に聞こえた、小さく小さくしゃくりあげるような声。

俺は布団を掴み、一気にひっぺがした。
慌てたようにこちらを見る千鶴の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

「………泣いてたのか?」

「な、泣いて、ません」

嗚咽をこらえて途切れ途切れに答える千鶴。涙に濡れてはいるが、瞳はまだ怒りをたたえて俺を睨んでいる。

「なにか、まだ私に用があるんですか」

「……………………」

言葉が出ない。

弁解するために考えていたあれこれは、千鶴の涙を見た瞬間にどっか遠くへ吹っ飛んで消えた。

惚れた女が、泣いている。

それだけで、頭を殴られたような衝撃。

「なんで、黙ってるんですか」

俺を睨んでそう言う千鶴の顔が、だんだん歪んでいく。

「……もう、帰って………」

あとからあとから溢れる涙を見つめて、俺はまだ口がきけないでいた。

千鶴が泣いているのは、俺のせいなのか。

俺が、他の女と一緒にいたから。

俺が、泣かせてしまったのか。

「風間、さ……!」

言いかけた千鶴に覆い被さって、小さな体を抱きしめた。
いきなりのことに驚いた千鶴は、抵抗するのも忘れて目を真ん丸にして固まっている。

もつれるように一緒に布団に転がって、ぎゅうぎゅう抱きしめた。胸に湧いて溢れてくる感情が、息をするのも忘れさせる。

嬉しい。

どうしよう。
死んでしまうんじゃないかと思うくらい、心臓が飛び跳ねる。嬉しくて嬉しくて、頭がどうにかなってしまいそうだ。

「か、かざまさん…」

やっと我にかえったらしい千鶴が、俺の背中や腕をべしべし叩く。

「は、離してください」

布団の上で男に抱きしめられるなんて初めてなのだろう。千鶴の顔は真っ赤になっている。

「………無理だ」

耳元で言うと、千鶴の肩が揺れた。

「は、話、聞きますから!聞くから、離してください!」

焦って手足をばたばたさせる千鶴は、暴れれば暴れるだけ着物が乱れていくということは頭にないようだ。
さっきまでのトゲがすっかり抜けた千鶴に、ようやくで俺は余裕を取り戻した。

「ちゃんと聞くか?」

「聞きます!聞きますから!」

こくこく頷く千鶴は、自分がどんな姿をしてるかわかってないに違いない。胸元が開き、足は太股まで見えている。上気した頬で俺から必死に目を逸らそうとする様子を見ていたら、俺のなにかがヤバくなってきた。

だが、誤解をとくのが先だ。ぐずぐずしてたら、広間にいた酔っぱらいたちが様子を見にきてしまいそうな気がする。

「では、こっちを向け」

「………………」

渋々といった顔でこちらを向く千鶴。ダメだ、これ以上密着してたら色々ダメだ。

体を起こし、千鶴の隣に仰向けに転がると、千鶴は慌てて裾を直した。遅いんだよ。

「……夕刻、街を散歩していたら、」

「散歩……?」

天霧と同じような不審げな表情をつくる千鶴に構わず、俺はそうだと頷いた。

「そしたら、顔馴染みの芸妓たちに偶然会ってな。次はいつ呼んでくれるかとか、そんなことを言われて少しの間絡まれた」

「…………」

「俺が、浮気なんぞするわけがなかろう。女はおまえだけだ。信じろ」

「………………どうだか」

小さく呟く千鶴に、まだ信じてくれないのかとため息をつく。
そうして隣を見ると、千鶴は俺の腕に頭を載せて、ひどく嬉しそうな顔をしていた。

「仕方、ないです。今日のところは信じてあげることにします」

「………ふん」

いつもの生意気で素直じゃない千鶴に戻ったらしい。
ほっとすると同時に、酔いがまわってきた。一気にあおるような飲み方をした挙げ句、ここまで全力疾走したんだ。酔わないほうがおかしい。

胸のあたりに押しつけられた千鶴の頬の感触だの、さっき見た太股だのが酔った頭をぐるぐる回る。なんでこいつはこんなにくっついてるんだ。なにか期待してるのか。応えちゃってもいいのか。応えちゃうぞ俺は。いいんだな。よし、では遠慮なく。

「千鶴、…………」

がばっと体を起こして千鶴を見る。

千鶴の目は、閉じられていた。

てゆか寝てた。

いつ寝た。さっきまでしゃべっていたくせに、どうしてそんなに素早く眠れるんだ。

伸ばした手の行き場がない。
自分のその手をしばし見て、俺はまたぼすんと仰向けになった。

すやすや眠る千鶴の吐息を聞きながら、そういえば寝てるところを見たのは初めてだと思い出した。
そうなると、離れるのがもったいなくなる。せっかく側にいて、まわりには誰もいなくて、いつも俺から逃げようとするばかりの千鶴が寄り添ってくれているのに、自分から離れるなんてとてもじゃないができそうにない。

俺は目を閉じた。
邪な思いは闇にゆっくり霧散していき、意識が霞んでいく。

千鶴が枕にしているほうの腕をしっかりとその肩にまわし、朝目が覚めても逃げられないようにと閉じ込めながら。

俺はそのまま、眠ってしまった。









それからだ。


「あれぇ、ちーちゃん。いらっしゃい」
「なんだ、酒か?いくらでも付き合うぞ!」
「千鶴なら台所で洗いもんしてるぞー」

新選組の皆と、酒を飲んで話をしたのは確かだ。屯所に一晩泊まってしまったことも事実。
だが、だからってこの対応はどうなんだ。俺を見ても戦闘体勢に入るやつなんか一人もいない。刀を抜くどころか、それを部屋に置いたまま丸腰で出てくるやつまでいる。
そうして広間に連れていかれ、座らされて酒を注がれて。
俺はこいつらと友人になった覚えも、仲間になったつもりもないんだが。
いくらそう言っても無駄。最近では俺も慣れてしまい、来るときには肴を土産に持参したりもする始末。

まぁ、薩摩に協力はしているが、俺自身はどちら側にもついていないつもりだし。元々、ここの連中は気にいっていたんだし。

まぁ、いいか。

酒を注いでくれる千鶴を眺めながら、俺は永倉たちとしょうもない話をして笑い合うのだった。





しかし、あの山南とやらはどうにかならんのだろうか。

いつもいつでも短刀と丼を抱えて俺をにこにこ見つめているのが、不気味というかなんというか。

正直、とても怖いんだが。










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