薄桜鬼

□桜色の幸せ
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「お千ちゃん、いらっしゃい!」
「お邪魔しまーす!」
私が屯所の玄関に上がるのはこれで二度目。今回の訪問は、千鶴ちゃんを連れ帰るのが目的ではない。
廊下を歩き、千鶴ちゃんの自室へ入る間も、私は周囲を見回すのに忙しい。不穏な気配はないか、怪しいものが置かれてはいないか。そんなふうに警戒するのには、理由がある。
部屋に差し向かいで座って、手土産のお菓子をまず渡し、それから咳払い。回りくどいことは苦手なので、直球で聞く。
「最近、風間がよくここに来るらしいわね」
そう、それを聞いてじっとしていられなくて、様子を見に来てみたのだ。新選組の皆さんは千鶴ちゃんを守ると約束したけど、相手は鬼の中でも特に戦闘に長けた風間千景だもの。なにがあるかわからない。
「ああ、うん。よく来るよ」
にっこりする千鶴ちゃん。うん、じゃないでしょう。
「大丈夫なの?なにかされたりしてない?」
「やだ、大丈夫だよ。なにかってなに」
のんきに頬を赤くする千鶴ちゃんに、ちょっとため息が出た。なんなの、なんか前来たときと雰囲気が違うんだけど。
「それよりお千ちゃん、私ったらお茶も出さないで……少し待っててね」
思い出したように立ち上がる千鶴ちゃんに、私は慌てて首を振った。
「いいよ、わざわざ悪いし」
「ううん、いただいたお菓子も一緒に食べたいし。ちょっと淹れて来るね」
立ち上がって障子に手をかけた千鶴ちゃんを追って、私も立ち上がった。油断できないもの、一人にするわけにはいかないわ。

結局一緒に台所に行き、一緒にお湯を沸かして茶葉の用意をした。
「こないだお湯飲み買ってもらったんだ。桜の模様でね、すごく可愛いの」
嬉しそうに言いながら戸棚の奥を探す千鶴ちゃん。ここでは男の子で通しているらしいから、女の子らしい持ち物はほとんど皆無なんだろう。大事そうに湯飲みを取り出す顔はほんとに幸せそうで、私までつられて微笑んでしまう。

「じゃあ、お茶を…」
そう言いかけたとき。

視界の端を過る、黒い影。

「きゃーーー!!!」
千鶴ちゃんが悲鳴をあげた。私も体が硬直して動かない。
がさがさと素早く走る、黒光りするアレ。
私たちがいくら鬼でも、コレはダメ。怖い。キモい。
アレは助走をつけて飛び上がり、羽を広げた。
「きゃー!!いやぁぁぁ!!」
響き渡る千鶴ちゃんの悲鳴。固まったままの私。

そのとき、台所の入り口が一気に騒がしくなった。
「なんだ、敵襲か?」
「千鶴!無事か」
「なにがあった!」
新選組の連中がどたどた入ってきた。

そして、そのすぐあと。

「千鶴!生きてるか!?」
怒鳴りながら飛び込んで来たのは、風間だった。

風間は私に目もくれず、怯えきった千鶴ちゃんの腕をつかんで引き寄せた。
「大丈夫か!?怪我は?」
ちょっと、なに抱きしめちゃってんのよ。
「なにがあったんだ?」
風間は台所を見回した。けど、隅を這うアレには気づいてないらしい。私は黙ってソレを指差してみせた。
「…………?」
私の示す先を目線で辿る風間。
「…………なんだ、ゴキブリじゃないか」
気が抜けたような声を出した風間は、あれくらいのことで、と千鶴ちゃんに文句を言おうとする。

が、そのとき、静かにしていたアレがまた活動を始めた。

走り出したアレを見て、千鶴ちゃんがまた悲鳴をあげる。怯えきったその顔を見て、風間はようやく本気で怖がっていることを理解したようだ。
「下がっていろ」
私のほうへ千鶴ちゃんを押して寄越し、活発に動くアレをじっと見つめ。
風間は素早く入り口まで戻り、そこで成り行きを見守っていた連中の一人が腰に差していた刀を鞘ごと奪い取った。

「……そこだ!」

居合いの一閃。

飛び上がったところを斬られ、アレは真っ二つになって床にぽとりと落ちた。

「………や、やった………」
ほっとして倒れそうになる千鶴ちゃんを支え、もう大丈夫だと囁く風間のどや顔は、今まで見たことがない表情だった。
優しいその微笑を見上げる千鶴ちゃんの頬が、ぽわっと赤く染まる。
「あ、ありがとうございました………」
「礼には及ばん。当たり前のことをしたまでだ」
ふっと笑った風間が、刀を鞘に納めた。それを入り口で見ていた持ち主に差し出す。
「…………………」
持ち主は呆然と受け取った刀を見つめていたが、顔の色がすぅっと白くなったかと思うとその場に倒れてしまった。
「あっ、斎藤!どうしたんだ!」
「ちょ、誰か手伝って!気ぃ失ってるよ!」
みんなが口々に言いながら、斎藤さんを担いで奥へ消えていく。
「どうしたんでしょうか、斎藤さん……」
「気にするな。変なものでも食ったんだろう」
いやいや、原因はあんたがアレを斬ったあとの刀を拭かずに鞘に納めたからだと思うんだけど。どーすんのよ、刀身は拭けても鞘の中はどうにもならないわよ。
「……風間さん、素敵でした」
「そ、そうか?いや、おまえのためならあれくらい…」
千鶴ちゃんが、きらきらした瞳で風間を見つめる。それに照れたのか、赤くなって目を泳がせる風間。斎藤さんのことは無視か。
「次にまたゴキブリが出たら、迷わず俺を呼べ。どこにいても、必ず駆けつけると約束しよう」
偉そうに。ていうか、アレ斬るのに自分の刀は使わないっていう妙に冷静で計算高いところがムカつくわ。

けれど、こうして見ていると、なんとなくわかってくる。

風間が千鶴ちゃんをどれだけ想っているかとか。
千鶴ちゃんが風間をどう思っているのかとか。

「あ、……お湯飲み!」
はっとした顔で振り向いた千鶴ちゃんが、急いで湯飲みを確認する。
「よかった……割れてない」
ほっとした千鶴ちゃんの手元を見た風間が、ふんと鼻で笑った。
「そんなもの、割れたらまた買ってやる」
「でも、せっかく買っていただいたものだから」
「まったく、おまえは欲のない女だな。紅でも着物でも選べと言ったのに、そんなものを買うとは」
ああ、なるほど。あの湯飲みは風間が千鶴ちゃんに買ってあげたものなんだ。
だから、あんなに大事にしてたんだ。
「紅や着物は、普段は使えませんから。これなら毎日使えるし」
毎日見て、風間を思い出すことができるし。とは言わず、千鶴ちゃんは少し赤くなった。
「………………」
それを見て、挙動不審になる風間。まわりを見て、私を見て、千鶴ちゃんを見る。
「………千鶴、」
あっ、肩に手を。
「部屋に行こう。ここにいては、またいつゴキブリが出るやもしれん」
なんか調子いいこと言ってる。部屋に連れ込んでなにする気なのよあんた。

そわそわしつつ千鶴ちゃんの肩を抱いて歩き出そうとする風間に、文句を言おうとしたとき。

「よっしゃあ!ゴキブリ退治記念の宴会だぁ!」

なんか賑やかな人が飛び込んできた。

「千鶴、酒頼む!」
「ほらほらちーちゃん、こっちこっち!」
「いやぁ、なかなかの剣捌き!さすがだねぇちーちゃん!」
風間はすぐに取り囲まれて、引きずるみたいにして連れて行かれた。
「離せ!俺は千鶴と、」
なんか叫んでる。千鶴と、なんなの。
「いやいやいや」
「まあまあまあ」
新選組の人たちって、こんなだったっけ。にこにこしながら風間を無理やり引っ張っていく。

「……いつも、あんななの?」
「うん。風間さんが来ると、なんか理由をつけて宴会しようとするのよね」
千鶴ちゃんは慣れた様子でお酒の支度を始めた。

手伝いながら、風間が連れ去られたほうを見る。

これならまぁ……心配しなくても、大丈夫かもしれない。

千鶴ちゃんは湯飲みをそっと脇にどけて、ときどきそれを眺めていた。

桜の花びらが散る、可愛らしい湯飲み。
戸棚の奥を覗くと、もうひとつ同じ柄の湯飲みが置いてあった。そっちは少しだけ大きい。

風間と千鶴ちゃんが、それでお茶を飲むところを想像しようとして失敗した。千鶴ちゃんはともかく、風間は無理。なんか無理。

けれど、千鶴ちゃんが幸せそうに笑っているから。

まぁ、仕方ないか。

それにしても。

…………ちーちゃん、か。




終,



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