薄桜鬼

□愛を教えて
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「ねーちゃん、もう一本!」
不知火が空になった徳利を振ってみせると、離れたところで食器を片付けていた店の女がこちらを見た。
「はぁい、ただいま!」
元気よく返事をして、女は食器を載せた盆を抱えて奥へ行く。別の女が料理や酒の載った盆を持って出てきて、それを待つ客のもとへと小走りに運んで行った。

夜も更けてさらに賑わいをみせる居酒屋の、一番奥の席。
俺と天霧と不知火は、そこで食事をしたあと酒を飲んでいた。

「不知火、いい加減にしておけ。酔っぱらって帰れなくなったら道端に捨てていくぞ」
「まだいくらも飲んでねぇよ」
小鉢から煮物をひときれ摘まんで口に放り込んだ不知火が、まだまだ足りぬといった様子で猪口に残った滴を舐める。
「不知火は口ばかりで、じつはあまり強くないですからね」
見かねたのか、天霧が自分の徳利から酒を不知火に注いでやった。
「自分の限界を知っておかないと、失敗しますよ」
「失敗ってなんだ?」
「便所に落ちたり、他人の家に上がり込んでしまったり」
よく聞く失敗談を語る天霧に、不知火は不満そうに眉を寄せた。
「そんなこと、するわけねぇだろ。いくら酔ったって分別くらいつくぜ」
「酔っぱらいは皆そう言うんです。だが失敗する。なぜだかわかりますか?」
「え?いや、そりゃ……酔ってるから……」
寺子屋かなんかの師範のような表情と口調の天霧は、不知火の答えにうんとひとつ頷いた。
「そう。酔うと、頭の中が正常に働かなくなります。自分のしていることが正しいつもり、当たり前なつもりで行動しているのが、じつは常軌を逸した奇行だったりするんですよ」
「奇行………」
「自分ちに帰ってきたつもりで他人の家に上がってしまったり、風呂に入るつもりで便所にハマったりとか。皆、酔いが醒めて頭がはっきりするまでは、それが普段通りの当たり前の行動なのだと信じているんですよ」
「………怖ぇな……」
「ええ、怖いです。しかし、酔ったときの失敗で一番怖いことはこれではありません」
「ま、まだなんかあんのか」
不知火は完全に天霧の話術にはまってしまったようだ。固唾をのんで先を促している。対する天霧は、もったいをつけるように間をあけてから、ちょっと茶を飲んだりして。うーん、意外な才能だ。天霧のやつ、いつの間にこんな話術を身につけたんだ。侮れない奴。
いや、不知火が単純すぎるだけなのか。こいつときたら頭の中身はまるきりガキだからな。
やがて天霧は真剣な顔になり、重々しくため息をついた。
「単に失敗と言うには、これはあまりにも悲惨な話です。酔ってさえいなければ、と実際に失敗してしまった者たちは皆そう言って後悔しています」
「そ、そんなに重大な失敗なのか……?」
そこへさっき注文した酒が運ばれてきた。天霧のほうに意識が向いている不知火は気づいてないようだ。仕方がない、代わりに俺が飲んでやるからありがたく思うがいい。
「一番の失敗とは、女です」
「………女?」
意外そうな顔をする不知火。
「そうです。酔っぱらって記憶をなくし、朝目が覚めてみたら知らない女が隣に寝ている、という」
「そんなん、よくある話じゃねぇか?」
笑い飛ばす不知火。
「まだ、起きてみたら女も財布も消えてたって話よりマシだと思うぜ」
「そうでしょうか?」
あくまで真面目な天霧。まぁこいつはいつも真面目な顔をしているから、普段通りと言えばそうなんだが。
「まだ、財布で満足して消えてくれる女のほうがマシではないですか?」
「……………」
不知火は不安そうな顔になる。さっきから百面相だ。面白すぎる。
「朝までいるということは、商売女でも盗人でもないということ。そんな女に、酔った勢いで迂闊なことでも言ってしまっていたりしたら、どうなりますか」
「……迂闊な、って?」
「将来を誓ったり、一緒に暮らそうと約束したり、そういう迂闊なことを口にしていたら……」
「………………」
そんな話なら、俺も聞いたことがある。酔ってそのへんにいた女を口説いて一晩遊んだら、戯れ言を本気にした女が離れてくれなくなって、結局一緒にならざるを得なくなったとかいう。そういった話に出てくる女にはたいてい性格に難があって、男はずいぶん苦労をするというのが定番だ。
「………そりゃあ、確かに怖いな……」
不知火は神妙な顔で頷いた。
「遊ばなきゃいいとは言っても、酒が入ると女が欲しくなるもんだしな」
「ふん。くだらんな」
考えこむ不知火に、俺は鼻で笑った。
「これという女がいれば、そんなのにひっかかることもない。本気で好いた女がいないから、適当なのに声をかけてあとから後悔するはめになるんだ」
「ち、偉そうに」
舌打ちして卓の上を見回して、不知火は酒が遅いなと呟いた。さきほど来た酒が俺のところにいるのに気づかないらしい。じつはもう酔ってるんじゃないのか。でなけりゃバカだ。
「おまえはどうなんだよ、風間。雪村の女鬼をからかって遊んでるが、本気じゃねぇんだろ?」
天霧から徳利を奪い取って、すっかり冷めた焼き魚を箸でつつきながら、不知火がバカにしたように俺を見る。
「自分だって、好いた女なんざいねぇくせに」
「そう思うか?」
「…………なに?」
余裕綽々で笑ってみせる俺を、不知火が不審げに見る。
「だから、雪村の鬼のことだ。そんなふうに思っていたのか?」
「え?どういう意味だよ」
にやにやする俺を見て、黙々とまわりの皿を空にしている天霧を見て、不知火が戸惑った声をあげた。
「なんだ?俺がちょっと国に帰ってる間に、どういうことになったんだ?おい天霧、食ってねぇで説明しろ!」
「説明、と言われても」
顔をあげた天霧の口の横に刺身の醤油がついていた。
「不知火がいない間に、雪村くんと風間は仲良しになってしまった、ていう感じでしょうか」
「な、仲良し?」
真ん丸な目で俺を見る不知火。貴様なぜそんなに動揺するんだ。まさか千鶴に手を出そうなどと考えていたわけではないだろうな。もしそうなら斬る。
「え、いや、なんで?だってあの女、すっげぇ嫌がってたじゃねぇか!風間の面、ゴキブリ見るときとおんなじ目で見てたし!」
そうでなくても斬ることにする。表へ出ろ貴様。
「いやいや、ほんとに!どうやって口説いたんだ?絶対無理だと思ってたぜ俺は!」
どうやって?それはもちろん、あれだ。ほら。

………あれ?

どうやったんだっけ?

「やっぱ西の鬼の頭領だからか?金があるから?」
「雪村くんはそんな人ではありませんよ」
穏やかな声で天霧が否定する。
「金や地位で気持ちが動くような女性ではありません。やはり、風間の真摯な想いが彼女に伝わったということでしょう」
一人で納得して感無量な様子の天霧に、まだ信じられないという顔をする不知火。
「こいつに真摯な想いなんてもんがあったのか?」
どうしても刀の錆になりたいらしい。うむ、同胞を殺すのは俺としてもしのびないが、本人が希望するなら仕方がないというものだ。
「ちょ、なんで刀の鍔に手かけてんだよ!いやいやいや、俺は正直な感想を言ってるだけだろ?だって、こないだまでほんとに」

こないだまで。
確かに、俺は千鶴に嫌われていると思ってた。

それが、なんでもないことがきっかけで、そうじゃないとわかって。

嬉しくて、浮かれて。

だけど改めて考えてみれば、千鶴から好きだと言われた覚えはない。抱き寄せれば赤くなるし、好きだと言えば俯いて恥じらってくれるが、普通の娘ならあれは普通の反応なんじゃないかという気がする。

千鶴は、俺をどう思っているんだろう。
まさか、あそこの他の連中と同じ仲間だとか思われてるんじゃないよな?

片膝を立てて刀に手をかけた居合いの構えのまま、俺は考えこんだ。その隙に不知火が天霧の後ろに隠れてしまったが、それどころではない。
悩む俺に、天霧が醤油をつけたまま微笑んだ。
「でしたら、雪村くんに聞きに行ってみればいいでしょう」
ええっ。そんな、怖いじゃないか。もし、そんなつもりはありませんとか言われたら。
「悩むくらいなら、本人に聞けばいいんです。ほら、行きますよ。すいません、お勘定をお願いします」
さっさと立ち上がって店の奥へ声をかける天霧。他人事だと思って気軽に言ってくれる。俺が立ち直れなくなったらおまえのせいだから不知火を斬るぞ。
「屯所へ行くのか?やつらがいるってのに、酒が入った状態で大丈夫なのかよ」
なにも知らない不知火は、懐から銃を出して弾を確認したりしている。天霧はなにも言わず先導するように先を歩き、俺はその後ろをぼんやりとついて行った。


「ごめんください」
玄関で声をかけた天霧に、出てきた藤堂が片手をあげた。
「よ。なんだ、今日はえらく遅いじゃん」
後ろから出てきた永倉は、すでにほろ酔いの様子。赤くなった顔で俺を見て、
「もう皆始めちまってんぜ。ほら、上がった上がった!」
手招きされるまま草履を脱ぐ。幹部しかいないはずなのに、なんでこんなに広間が賑やかなんだ。
「お、おい!なんでそんな平気で入って行けんだよ!」
玄関に残った不知火は、草履を脱いでいいものか迷っているらしかった。銃を手にまわりを見回し、罠がないかときょろきょろしている。
「おまえも来い」
言い捨てて歩き出すと、慌ててついてくる足音。
そのまま不知火を従えて広間に入ると、島田と原田が半裸で踊っているところだった。
「ちーちゃん、いらっしゃい」
笑いすぎたらしい沖田が、涙を拭きながら笑顔を向けてくる。
「左之さんのお腹、なかなかいいでしょ?」
おまえが描いたのか。
「土方さんのつもりなんだけど、似てるかなぁ」
微妙だが、嫌がらせには成功してるんじゃないのか。土方の顔、渋柿かなんか食ったみたいになってるし。
「やぁちーちゃん、刀は元気か?」
斎藤は本当に刀にしか興味がないようだ。ていうかいい加減、刀じゃなくて俺に挨拶をしてもらいたいものなんだが。
「………風間、」
存在を忘れかけていた不知火が、後ろからがしっと肩を掴んだ。
「これはどういうことだ?てめぇ、新選組と通じてやがったのか」
「………………」
どう言おう。説明するのがものすごく面倒なんだけど。
「天霧、」
丸投げすることにして天霧を呼ぶ。天霧は不知火を部屋の隅につれて行き、小さな声でなにやら話し始めた。
奴らはほっとくとして、千鶴はどこだろう。
部屋を見回す俺に、近藤が苦笑した。
「雪村くんは、酒のおかわりを取りに行ったよ。慌てなくても、すぐに来る」
「………そうか」
慌てているつもりはなかったが、そう見えてしまったか。ちょっと恥ずかしくなって、俺はことさら仏頂面をつくって近藤の隣に座った。
「どっかで飲んで来たのか?」
聡い土方が、わずかな酒の匂いに気づいたらしい。
「ああ。あいつらと飲んでたんだが、」
千鶴に用事ができて……とはなんだか言いにくくて言葉を濁す俺の隣に、永倉がどかっと座った。
「やっぱ俺たちと飲むほうが楽しいもんな!さっすがちーちゃん、わかってるね!」
そういうんじゃないんだが。
けれど本当の用事はなかなか言い辛く、黙っていたら近藤が目を潤ませて俺の手を両手で握った。
「そうか!きみは我々のことをそんなふうに……!」
なにこのおっさん。ウザいんだけど。
「うん、きみももうすっかり我々の仲間だな!歓迎するぞ、早速羽織を注文せねば!」
あの、ちょっと。誰か助けてくれないかな。

困っていたら、盆を持った千鶴が広間に入ってくるのが見えた。




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