薄桜鬼

□一緒に遊ぼう
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真夜中、寝静まった屯所の庭にひらりと降り立った。
ひとつだけ、ほんのりと障子を照らす灯りがついた部屋を見つけ、息をつく。
「まだ起きているのか…」
寝顔でも見るか、と思い立って来てみただけで、なにか用があるわけではない。拐いに来たとでも思われて騒がれても困る。
だが、それでもせっかく来たのだから顔は見たかった。毎度俺を見るあいつの顔は、なにをどう間違っても決して歓迎しているようには見えないのに、そんな顔でもいいから見たいと思えるくらいにはあいつを気にいっているのだからどうにも始末におえない。

というわけで、俺はその灯りのついた部屋へ行き、躊躇なく障子を開けた。
行灯の灯りの側で布団に寝転んでなにか本を読んでいた千鶴が飛び起きて、驚いた表情になる。
「か、風間さん!?」
「邪魔するぞ」
ぱたんと障子を閉め、大股に布団に近づいた。騒ぐかと思っていた千鶴は、俺が座ってもまだなにも言わない。
「………どうした?」
あまりにも反応が薄いので、不安になってきた。いつもなら大声をあげるか、咎めるような目で睨んで文句を言うはずなのに、今夜の千鶴はなぜか目を真ん丸にしたままなにも言わずに俺を見つめている。
いや、俺をというよりは、俺が腰から抜いて側に置いた刀を見ているような。
「………千鶴?」
もう一度声をかけると、千鶴ははっとしたように顔をあげた。
「あの!風間さん、聞きたいことがあります!」
子供が寺子屋で師に質問でもするみたいに片手を高くあげる千鶴。その勢いに、思わず仰け反ってしまう。
「な、なんだ?」
「風間さんは、剣をどうやって習得したんですか?」
「………剣?」
聞き返しながら、行灯の下に放り出された本を見る。表紙には、剣術指南、と書かれていた。
「………なんだ?剣術を習いたいのか?」
「はい!」
きらきらした瞳の千鶴に、一瞬言葉に詰まる。俺は妻に剣の腕は望んでいないのだが。
「そんなことをせずとも、なにかあれば俺が守ってやる」
そう言ってみても、千鶴は首を横に振る。
「……まさか、ここの連中と共に戦に出ようなどと考えているのではあるまいな?」
眉を寄せて言うと、千鶴はそれにも首を振った。
「私なんかが多少剣を習ったからって、戦でみんなのお役に立てるとは思ってません」
「なら、なぜ……」
「…………」
千鶴の眉がぎゅっと寄った。唇を尖らせ、拗ねたような顔で俯く。
「…………だって。悔しかったんですもん」
「…………………は?」
飛躍しすぎてついていけなくて、じっと千鶴を見つめる。
しばらく見ていたら、千鶴は観念したようにぼそぼそと話し始めた。


昼間、部屋で小太刀の手入れをしていたら、ここの連中がそれを見て寄って来た。
『おまえ、そんなもん扱えるのか?』
『む。習ってましたし、これでも人並みには扱えますよ!』
『へぇ?けどまぁ、人並みっつっても女だからなぁ』
『薙刀習ったほうがよかったんじゃねぇの?ほら、武家の娘はタシナミとして習ったりすんだろ』
『うわ、古!いつの時代のタシナミだよそれ。だいいち千鶴は武家の娘じゃねぇだろ』
『まーとにかく、千鶴に小太刀は危ねぇよ』
『そうそう、包丁でさえしょっちゅう指とか切ってるくせにさ』
みんなが笑う中、ムキになった千鶴は小太刀を握りしめた。
『もー、バカにしないでください!これでもスジがいいって師匠に褒められたこともあるんですから!』
『そうなんだ?じゃあ、ちょっと勝負してみる?』
差し出された竹刀を受け取った千鶴はそのまま庭に出た。
はじめ!の掛け声と同時に、思い切り地を蹴って。


「…………で、負けたのか」
「………はい、まぁ。瞬殺で」
「……………」
それはそうだろう。多少かじった程度の腕で、しかも相手は沖田だ。新選組の沖田といえば、京では知らぬ者がいないほどの使い手。挑むほうがどうかしている。
「だって……すごく、悔しかったんだもん」
気持ちはわからなくもないが、沖田でなくてもここには名の知れた手練ればかりがうようよしている。下手に挑んで怪我でもされたら、俺が困るではないか。
「やめておけ。おまえには一生かかっても無理だ」
言い切ると、千鶴の頬がぷくっと膨れた。
「風間さんは以前沖田さんに勝ってるから余裕でそんなことが言えるんです。私の気持ちなんて、強い人には絶対わかんないんだから」
「だが、そんな本を読んでどうなるものでもないだろう。俺に習練の仕方を教わったところで、俺とおまえでは体力も身体能力も違う。とても沖田に歯が立つとは思えんが」
「別に、勝たなくたっていいんです。一太刀入れられればそれで」
一矢報いることができれば満足なんだと言い張る千鶴に、どうしたものかと思案する。いつものように全力で拒否られるのも寂しいが、こうも無理をねだられても途方にくれるばかりだ。
「……わかった。俺に一本入れることができたら、教えてやる」
どっかの剣豪の逸話みたいな俺の言葉に、千鶴の顔がぱあっと明るくなった。
「ほんとですか?」
「鬼は嘘は言わん」
じゃあ早速、と小太刀を握る千鶴に、俺は立ち上がった。
「では、隙があればいつでもかかってくるがいい。ただし、竹刀でな」
「え」
今にも小太刀を抜こうとしていた千鶴が、意外そうに俺を見る。
「でも風間さん、多少斬ったって死にませんよね?」
その言い方、なんかちょっと傷つくんだが。
そりゃ簡単には死なないかもしれんが、惚れた女に斬られたりしたら体よりも心が痛くて、立ち直れなくなるような気がする。
「竹刀ならば誰かが見たとしても稽古だと言って済ませられるだろう。俺は薩摩の客人だ。それへ刃を向けるとなれば、もし薩摩の者が見たらその場で斬り捨てられても文句は言えんぞ」
「あ、そうか」
頷いて小太刀をしまう千鶴。
「では、竹刀で…けど、風間さんがどこにいるかわからないと困ります。明日はどちらにいらっしゃいますか?」
「………………」
明日は薩摩藩邸に用事がある。が、面倒な会合に付き合っていたら陽が暮れるに違いない。
「………明日は予定はない。そうだな、昼前には……」
俺はにやりと笑って、ここからほど近い山の中腹にある古い社の場所を告げた。あそこなら剣術ごっこをするには充分な広さがある。
「弁当を持ってくるのを忘れるなよ」
「はい!」
元気よく答えた千鶴に満足して、俺は屯所から出た。
天霧の怒る顔が目に浮かぶが、無視することにする。俺は明日、藩邸の会合よりも大切な用事ができたんだ。こればかりは譲れない。

浮かれた足取りで夜道を歩き、月を眺めながら明日を思う。
千鶴と待ち合わせ。
しかも弁当つき。
沖田に少し感謝してもいいかもしれない。



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