薄桜鬼

□春のお月見
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「見てください!今夜は月がきれいですよ」
障子窓から見える夜空に浮かんだ、大きくて真ん丸な月。
春も終わりに近い時期、夜風は爽やかで少しだけ冷たい。けれど寒いというほどでもなく、私は夜着に薄い上掛けを羽織った姿で窓から乗り出すようにして月を指さし、振り向いた。
そこには、早くも布団に潜り込んで目を閉じようとする夫の姿。
「ちょっと、起きてください!月がきれいなんだってば!」
「……あー、うん」
生返事をする夫。枕に頭を載せ、ごそごそと丁度いい位置を探す。
「うんじゃなくて!」
枕を奪い取り、布団をめくってみた。
「………なにをする」
「せっかくこんなにきれいな月夜に、寝ちゃうのはもったいないじゃないですか」
「夜は寝るものだろう。人の世も鬼の世もそこは変わらん」
「以前京都では主に夜中によくお会いしてた気がしますが」
「仕事の都合というものがだな……ていうか枕を返せ」
「やです」
奪った枕を胸にぎゅっと抱き締める。夫が薄目を開けてそれを見て、にやりとした。
「おまえが胸に抱いた枕か。いい夢が見れそうだ」
「もー!」
慌てて枕を胸から離し、座布団がわりにお尻の下に敷いてしまう。
「そんなことばっか言うなら、こうしちゃいます」
「ふむ」
夫は笑みを深めるばかり。
「おまえの尻の温かさの残る枕というのも、悪くない」
「女房の尻に敷かれてる夢を見るかもですよ?」
「それもまた一興」
なぜだか嬉しそうな顔で、めくられた布団を掛け直す夫に、ため息をつく。

「…………千景さんと一緒に、お月見したかったな………」

「…………………」

夫は無言でしばらく固まり、それからむくりと起き上がった。
「あ、起きた」
「我が妻が所望するなら、致し方ない」
夫が側に来て座り、窓から空を見上げる。風が木々を揺らし、夫の髪を揺らした。
「千鶴、寒い」
ぽそりとそんな言葉が聞こえたかと思うと、私の体がふわりと浮いた。
「わ…」
おろされた先は、夫の膝の上。
「うん、暖かい」
満足そうに笑う夫。私は文句を言うこともできず、俯いてしまった。

夫婦になって一年。

でも、こういうことにはまだまだ慣れない。

「顔が赤いぞ」
「……知りません」
後ろから抱きこんでくすくす笑ってから、夫はまた空を見た。

降りそうなほどたくさんの星たちの真ん中に、大きな月。

無言でそれを見る夫の顔を、そっと見上げる。

月と同じ色をした髪が、きらきらと輝いている。

「……きれい」

「ああ、そうだな」

私の呟きを月のことだと思ったらしい夫は、頷いて私を見下ろした。

「だが、俺にとってはおまえのほうが美しい」
「もう、またそんな。私、そんなに美人じゃありません」
「だから、俺にとってはと言っただろう」
「………それはそれで、なんか引っかかります」

紅い瞳が、私を見つめて優しく微笑う。

ああ、私。

本当に、幸せだなぁ。

そう思って、微笑み返したら。





「さ、もういいだろう。寝るぞ」
「えっ」
ぱたんと窓を閉めて、いそいそと布団に戻る夫。腕には私をまだ抱きかかえたまま。
冷たくなってしまった布団に身を竦ませる暇もなく。
「あのぅ、寝るんですよね?」
「寝る」
「じゃあ、この体勢は」
私の上にかぶさるようにして両手をついた夫が、爽やかに笑った。
「すっかり目が覚めてしまった上に、あんな可愛い顔をされてしまってはな。据え膳食わねば男が廃ると言うだろう」
「す、据え膳て」
「ちょっと運動すれば俺もおまえもぐっすり眠れる。だから付き合え」
「運動て……」

疲れるのは主に私なんじゃないか、という言葉は言わせてもらえなかった。




この人といると、穏やかな幸せって続かないものなんだな、ってつくづく。




終,



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