□もう呼吸は怖くない
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*シリアス
*NOT切
ご注意を!

*おなまえ変換*










例えば、私に関わりある人物全員に多数決をとったとする。

『なまえという人物はこの世に必要であると思うか否か』

するときっと、9割以上のひとが、NOと答えるだろう。
理由は単純明解、私がこの世に必要ないからだ。


役立たずだと、職場を解雇された。たったひとりの友人が突然音信不通になった。大した治療もさせてあげられず、唯一の肉親である父が病気で他界した。事故に遭いそうになっていた幼い子どもを助けようとしたけど、無駄だった。

私なまえには、長けた能力も得意とすることも、何もない。誰かのためになんて生きれるわけもなく、出来るわけもなく。必要とするひとも、されるひとも居ない。
私がすることなすこと空回りばかり。人助けをしようとすれば裏目に出る。

だからこの社会に、私は必要とされない。居場所もない。


いまから私がこの廃墟ビルの屋上から飛び降りたとしても、迷惑だと思うひとはいても、悲しむひとなんていないと思う。

カシャン。
越えた柵が、年季のせいで音をたてる。錆びた音も混じって不快だ。

その柵のせいで、最期の死装束にと選んだお気に入りのワンピースの裾が汚れてしまった。靴はいまは履いてない。お気に入りのパンプスだったから、柵を跨ぐ前に脱いで正解だった。
まったく純白のワンピースなんて、柄じゃないんだから、買ったり着たりする方がおかしい。

私は小さなため息と共に、柵をつかむ手を離した。足元から浮遊感が駆け上る。
上を見れば煌めく星空があり、前を見れば明るい夜景が広がり、下を見れば暗い道がぼんやりと見えた。

この闇は私を呼んでいるとしか思えない。あと三歩踏み出せば、闇に紛れて楽になれる。価値のない私なんて、いますぐに空気を吸うことを辞めてしまうのがいちばんいい。


街の喧騒がどこか遠くに聞こえ、楽しそうに笑う誰かの声が、小さく聞こえた。


一歩目、足を踏み出す。

二歩目、外壁の縁から半歩出す。

三歩目、踏み出そうとした瞬間、低い声が私を呼び止めた。


「…何してんだ、こんなところで」


どこかで聞き覚えがあるような、ないような。はっと振り返ってしまった私は、そのことに後悔した。

目に飛び込んできたのは、燃えるような赤。情熱や生気、私とは無縁なものを形容したかのような、焔の色。
私を呼び止めた彼は微動だにしないまま、じっとこちらを見ている。その視線は私ではない何かを見ているようにも感じられた。

いや、そんなことはどうでもいい。私はもう飛び降りるんだ。生きるひとと関わったって得も損もあるものか。


「………、」

「…答えろ」


やめて。
私は少しでも…一分でも、一秒でも早く、消えるのがいい存在なんだ。
一分一秒も長く、こっちに留めようとしないで。


だいたい、靴を脱いだ状態でこの場にいるなんて、そういうことだとしか考えられないだろうに。


「…以前どこかでお会いしました?」

「尋ねてるのは俺だ。質問に答えろ」


生をほんの少しでも掠める会話なんてしたくありません。何せ私はもう、話さない死人同然なのですから。

そう答えたいけれど、私の数歩後ろに立つ彼からは何か殺気めいたものが感じられる。声からは抑揚や意志なんてものは微塵も感じ取れないのに、彼のギラギラと昂りを見せる黄金色の瞳が夜の闇に怪しく光り、何かを訴いかけるかのように私を見据えていた。

あの感情は怒り、なのだろうか。禍々しくて、犇々と痛みを伝えるようなその感情。

ああ、胸がいたい。
肺に酸素が侵入して、からだ中を侵食して、ひどくざわつく。髪の根本から脚の爪先まで、全細胞が酸素を取り込むことを拒否しているようだ。
彼は私が応えるまで、梃子でも帰らない気だろうか。


「何をしているもなにも…。こんなところで、靴を脱いで、柵を越えている人間のすることなんて、ひとつしかないでしょう…」


二酸化炭素と共に吐き出した声は至極無気力で、後ろに立つ彼と同等に…否、彼より何倍も生気を孕んではいなかった。


このひとは何がしたいのか。

わずかに振り向いたままのからだの位置関係によって、未だ視界の端に赤色がちらつく。彼のさらに後ろから吹いた強い風に、微かな煙草の香りがした。


「…飛び降りるのか」

「はい」

「何でそんなことをする」

「…私は、この世に必要のない、人間だから」

「そうか」


無意味なやりとりが続く。早く私を解放してはくれないか。


「おまえが必要のない人間だと、誰が言った?」

「……たくさんのひと…」

「…家族にでも言われたのか」

「いいえ…会社の上司や、同僚や、知り合いや…たくさんの、ひと」

「そいつらは、おまえにとって大切だと言える人間なのか?」

「…いいえ」

「…おまえは、ほんとうに、この世からいなくなりたいのか?」


無機質な声色の底辺に、なぜか少しだけ哀愁が感じられた。


はい、一刻も早く。
そう答えたいのに苦い固まりが喉の奥に張り付いて、返答ができない。


おまえはこの世からいなくなりたいのか。
はい、一刻も早く。

そう答えなければいけないのに。


視界が揺れる。頬を、温かい何かが伝う感覚がする。

私は泣いていた。


彼が、大きな手を私に向かって差し出した。


「俺は王だ。おまえの価値も推し量ろうとしないクズどもの意見と、俺の意志、どっちを選ぶ」


ギラギラと、すべてを見透かすかのような鋭い視線が、私の心に突き刺さった。

口のなかに苦味が広がる。一度も味わったことのないものだ。吐き出してしまいたい。


「おまえの居場所、作ってやるよ。だから…叫べ」


それは淡白で、しかしこの世の何よりも魅力的で、私自身がいちばん欲していたものだった。


「…生きたい……誰かに、必要とされたい…!!」


無意識のうちに溢れ出た叫びだった。


違うんだ、ほんとうは。私がしたいのはこんなことじゃない。痛みと引き換えに逃げ場を手にいれて、無になりたいなんて、ぜんぶ嘘だ。

こんなの、逃げているだけなんだ。


知らないはずの彼に、気がつけば心をほだされてしまっている。
揺れる視界は、けれど真っ直ぐに、彼を捕えて離さない。


王?俺の意志?
不可解なことは少なくない。

けれど私に残された選択肢は、このひとの手をとる、ただそれだけで。

緩慢に近づいてきた彼が伸ばす手をとり、私は空気を、からだいっぱいに吸い込んでみせた。





もう呼吸は怖くない





幼い女の子が、誤って手放してしまったらしいビー玉を追いかけ、道路へと飛び出した。
少女の後方には大型のトラックが迫っている。

危ない!
私は手を伸ばした。少女を助けるために。
しかし届くことなく、私の腕は空を切った。


私の手が少女を歩行者白線内に引き摺り込むより早く、彼女の保護者らしき人物が少女の腕を引いたためだった。


おかげでトラックは、何を犠牲にすることもなく、軽快にその道を過ぎ去っていった。


「…あ、ミコト」

「何してんだ…危ねぇだろ」

「へいき」


ミコトと呼ばれた赤髪の青年は少女を立たせ、そのまま歩き出した。

少女の手には真っ赤なビー玉。

なまえは行き場をなくした手を背へ隠し、すぐに彼らと反対方向へと歩き出した。


ありがとう。
小さな鈴の鳴るような、そんな声が、聞こえた気がした。







「よりによって、このビルで…。十束と同じようになんなよ…」


ビルの階段を降りる途中、赤髪の彼か呟いた。胸の内の切苦を科白にし、絞り出したような声だった。


十束。
私の唯一の友人と同じ苗字だ。
あの能天気で多趣味な彼は、いま、どうしているだろうか。


彼の靴が、簡素な階段の鉄を少しばかり強く蹴り、派手な音をたてた。
私は思わず彼を凝視してしまう。

この『王』は、身を斬られるほどに痛いひとの辛苦も、癒す術のない傷んだ心も、ひとりで生きる力さえなくした絶望感も、すべて解っている。


これからこのひとの傍で取り込む酸素はどれだけ甘美で、見られる景色はどれだけ鮮やかだろうか。
私は生まれてはじめて、期待に胸を高鳴らせた。

頬に跡を残した涙はもう、乾ききっていた。





2012.05.30
K企画サイト

さまへ提出させていただきました。

参加させていただき、ありがとうございました!
 

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