いち
□妖怪アン・ダニエル
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「ニエリヒョン…ん?」
どこに行ったんだろう。さっきまでソファに座ってたと思ったのに。
「チャンヒョナ…ニエリヒョン消えた…」
「…何言ってんの?いるじゃん、そこに」
そう言って当然のように指さしたソファには、誰も座ってない。…俺にそう見えるだけなのか。
「俺には見えない…」
どうして見えなくなっちゃったんだろう、俺にはあのうるさいほどの声も聞こえなくなっちゃった…、ニエリヒョン…。
「もっと近づけば見えるんじゃない」
素っ気なく答える非情なユ・チャンヒョンの言葉に、そっとニエリヒョンのいる(であろう)ところに近づく。
だけどニエリヒョンは現れない。
「…駄目だ、やっぱり見えな」
ん…?
絶望して俯いたら、ソファに横たわって寝てるニエリヒョン。
「見つけた!いたよ!」
「おー、良かったね」
そうか、だから俺がいた背もたれのほうからは見えなかったのか…!
声が聞こえなかったのも、寝てただけだったんだ。ああ、安心した!
「ん゙〜、なんだよ〜、うるさい…」
「ヒョン」
「あとで」
「…あ、」
話しかけたら、手首から先だけを動かしてNoを示した。
よほど眠いのか、また目を閉じてすーすーと寝息をたて始めたニエリヒョン。
「ちぇっ、なんだよ…」
ふてくされた俺は、近くにあった椅子をヒョンの頭がある方に置いて座った。
「ヒョンが見えなくなったって、俺がどれだけ不安だったか」
眠ったヒョンに愚痴をぶつける。起きたらいいなって。まだ眠れてなかったら、眠れなくなればいいなって。
なのに何も聞こえないかのようにニエリヒョンは黙ったまま。だからその頬をつついてやった。
「ヤァ、わかってるのかアン・ダニエル」
「チャンジョ〜、それも一応ヒョンだぞ、ヒョンを呼び捨てにするな〜」
ゲームをやってるチョンジヒョンが、俺たちの方を見ることすらせずに言ってきた。
「ヒョンこそ、“それ”呼ばわりはひどいですよ」
内心焦った。よく聞いてるんだな。これじゃ滅多なこと言えないや。
さっきニエリヒョンがふっと俺の目の前から消えてしまったとき、ヒョンを妖精みたいだと思った。とか。
いつか忘れたけど前に、ヒョンを見て、そう思ったことがあったから。
そのときちょうど、ヒョンの背から射した太陽の光に、ふわふわの髪の一本一本がキラキラして。表情は切なくて。
口を開けばぎゃあぎゃあうるさいのに、その瞬間だけは、まるで声を失って歌えなくなったみたいに、儚かった。
(…頭がおかしかったんだな。)
これのどこが妖精?妖怪だ、妖怪。
眼球が落ちそうなくらい目がぎょろっとしてるし、何よりすごい存在感の唇。見れば見るほどモンスターだ。
妖怪アン・ダニエル。うん、しっくりくるな。これでいい。
「ん〜…」
妖怪…なのに。
どこからこんな声が出るんだろう。甘くて惹き付けられる。俺みたいな男らしい甘さじゃないけど。
ずっと聞くのには向かないか。それこそ俺の声の方が、ずっと聞いても落ち着くような声だ。うん。
だけどニエリヒョンはよく、忘れられない声だって言われてる。キャッチーだって。
一瞬で頭から離れなくさせる妖怪。怖い。
俺たちはまだまだ成長期だけど、ヒョンの声はこのままかな。大人になっても変わらないかな。全然想像がつかない。低い声を出すニエリヒョン。
「…なにジロジロ見てんだよ〜」
え、起きた。
「妖怪みたいだなと思って」
「よ、妖怪…!」
わかりやすい泣き真似。でもつっかかってこない。言い過ぎたか。
「冗談ですよ」
「…チェ・ジョンヒョン、お前ちょっと言いすぎだよ、ヒョン傷付いたぞ?お?」
「冗談だってば」
「冗談でもひどすぎるだろ、妖怪!?ああ、マジでひどいよ!」
なんだよ、うるさいな、冗談だって言ってるってのに。
っていうか今更怒り出すなんて、なにこの時間差。頭の回転数がちょっと足りてないんじゃないの。
「っ、うわ!」
「こいつ!」
仮にもヒョンが!可愛い末っ子を殴った!
「弟に手まで出すことないだろ!」
「反省しろっ!」
「…正当防衛!」
反撃だ!
男チャンジョに力で勝てると思ってるのか!もやしみたいなこの腕で!
「いたっ、いたい!ジョンヒョナ!やめて!ウリチャンジョヤ!うぁッ!チェ・ジョンヒョン様!どうか!」
「ヒョンが先に殴ったんじゃないか!」
「…わああああああああああああああああああああああああああああ」
「っ!?うっさ!」
「撤回!反省!謝罪!…でなきゃ、鼓膜崩壊!ああああああああああああああああああああ」
「ちょっ、うっさい、マジで…!わかった!わかったから!」
「あああああああああああああああああああああああああああっ!」
「俺がどんな罪を!」
「ヒョンを、妖怪だとっ、思ったんだろ!?ふー…、っあああああああああああああああああああ!!」
「違うって!妖精!」
「ッハァ…ハァ…、な、なんだって?」
「だから妖精…、!」
あ、やばい…言っちゃった…。
「俺が?妖精だって?」
嬉しそうな顔しちゃって。俺はちょっとおだててやっただけです。
「そんなに嬉しいですか」
「羽生えそう!どうも妖精ニエルです、あ、なんか恥ずかしいな…はははは!」
さっきまで怒ってたのを忘れて浮かれるヒョン。儚さが微塵もないうるさいヒョン。
(まぁ…このほうが俺は好きかな。)
…消えそうになくて。
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