ai no kanzashi

□赤ちゃん
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所用を済ませ、賑やかな里の繁華街を歩いていると、ネジはふと、見慣れた少女の姿を目にした。
ネジのいる通りの向こう側、往来する通行人の切れ間に窺える少女は、恐らく商売の邪魔にならぬようにと気を遣って、商店と商店の間に控え目に佇んでいた。
そして、何か腕に抱えるものに笑みを向けていることが気になって、通行人の間を器用にすり抜け、ネジは少女へと近付く。

「ヒナタ様?」

口元に笑みを浮かべていた少女は、瞬間、きょとんとした顔を上げ、少し離れた所に立ち止まるネジを視界に入れる。
――あ、ネジ兄さん、と。
そうしてにっこり、いつも向けるようにネジにも笑顔を見せると、だがいつもなら嬉しそうに駆け寄って来るヒナタは、この日はネジが側に来るのを待っていた。
特別それに抵抗は感じなかったのだが、どうしたのだろうと不思議に思いながら歩を進めるネジは、その理由に気付いた。

「あの……その赤ん坊は……」

腕の中に、大事そうにヒナタが抱えているものを見、ネジは無意識の内に声を落とす。
この雑踏の中で、信じられないくらいに大人しく其処に収まっている、自分達とは縁のない幾らか珍しい存在に、目が釘付けになる。

「あ……この子? 可愛いよね。キバ君の姪っ子さんなの。あのね、キバ君が戻って来るまで、少しだけ預かってくれって、頼まれて」

対してヒナタの声は、いつもと然して変わらぬ種のものだったが、元来から控え目に響くそれは、微睡みかけている赤ん坊の機嫌を損なう心配はなさそうだった。

「……傍で見ても?」

赤ん坊に気付き、中途半端な所で足を止めていたネジが、そっとヒナタを窺う。
それにはい、と当然のように頷いたヒナタは、赤ん坊に被せてある着衣と一体になったフードをずらし、その顔をネジに見せる。

「……ほら、日向のお兄さんが来ましたよ。“こんにちは”しましょう」

静かに足を踏み出したネジは、同じく商売の邪魔にならぬようにと、ヒナタの横に移動し、商店の壁際に立つ。
ヒナタの声に導かれ、そっと覗き込んだ姿は、まるで自分達とは別の種の生き物のように、小さな体躯をしていた。

「……眠そうですね」
「ふふ……赤ちゃんだものね」

現れたネジに、小さな生き物なりの“挨拶”をすることはなく、また驚くことも無く、それは安心しきった顔で、ヒナタの腕の中で微睡んでいた。
全体的にそうだが、手が、体に不釣り合いなほどに小さい。
むにゃむにゃと身動ぎし、握ったり開いたりを繰り返す両手は、紅く色付いてこそいないが、宛ら小さな紅葉のようだ。

「ね、手出してみて、ネジ兄さん」

興味深そうに見入っていたのが伝わったのか否か、ヒナタが意味深なことを言う。
手? とネジが聞き返すと、握ってくれるから、と彼女は微笑む。

「……ほら、お兄さんと握手しましょう?」

ヒナタが体を寄せ、ネジに赤ん坊を近付ける。
何だか妙に赤ん坊の扱いに長けているような雰囲気のヒナタに、気後れしてしまう。
いつも自分を慕って頼ってくる従妹だが、どうやら男のネジには敵わない面も、当然だが持っているらしい。
戸惑いながらも、言われた通りネジは指一本を用意すると、赤ん坊の手に触れてみる。
ふっくらとした、真白い掌の上に指を置くと、きゅう、と言葉通りに握られた。
柔らかく、心地良い締め付けは、どこかこそばゆく、近くにいたヒナタと顔を見合わせ、笑みを零す。

「小さいな」
「赤ちゃんだものね」

短く言葉を交わすと再び視線を戻し、二人してネジの指に絡む小さな指と、其処に申し訳程度に生えた、柔らかそうな爪を見つめる。
指の第二関節にも満たない、だが生まれ落ちたこの世を懸命に生きようとする、小さな指先に込められた確かな力は、それは儚げで、可愛らしくもあった。

「……名は、何というのです?」

指を握らせたまま、視線を外さずにネジが問う。
ヒナタも抱えている赤ん坊から顔を上げず、目を細めて握り返す指を見つめていた。

「えっと、アヤちゃんっていうの」
「……良い名だ」

薄桃色の着衣を見れば、それが女児だとは見当がついたが、名を聞いたネジは余計に頬を緩ませた。
すると、傍で共に赤ん坊を見下ろしていたヒナタが顔を上げ、いきなり微笑い出す。

「ふふっ……ネジ兄さんに褒められちゃったね。アヤちゃん、きっと大きくなったら、びっくりするよ。赤ちゃんの頃、あの日向のお兄さんと握手して、名前褒めてもらったんだよって」
「……どうしてびっくりするのです?」

ぽかんとした顔をヒナタに向けたネジは、只心に浮かんだことを尋ねてみたのだが、それが余程面白い顔だったのか、だって、とくすくすヒナタは笑い続ける。

「だって……ネジ兄さんに褒めてもらったなんて言われても、信じられないでしょう?ネジ兄さん、小さい子が騒いでいると、嫌そうな顔するし……とても赤ちゃんが好きそうには見えないし」
「……別に、好きではない訳では」

それはただ単に、扱いが分からないからではと思えたが、進んで好きと言うほどのものでもなく、ネジは答えあぐねる。
ネジの詰まった言葉の先を待たずして、それに、と続け、不意に空いた空間をヒナタが埋める。

「……きっとネジ兄さん、これからどんどん、すごい人になっていくんだと思う。きっとこれから……どんどん遠くに行ってしまうから……」
「……そんなことは」

ヒナタは変わらず、微笑を浮かべ赤ん坊を見下ろす。
言いながら、ネジは赤子の指から自分のそれを外した。
今度こそ埋めなければ、と思っていた“空間”は、だが今度も、ヒナタが埋めた。

「……だからね、アヤちゃん? ちゃーんと覚えていようね。それで大きくなったら、自慢しようね。私、赤ちゃんの時に、あの日向のお兄さんと握手したんだよ、って」
「……そんなこと、覚えていませんよ。赤ん坊なのに」

それは有り触れた、他愛ない会話なのだろう。
しかし本来は、相応しくない言葉なのだ。
ネジを良く知るヒナタだから、それが許容されるのであって。

「……ううん。覚えているよ、きっと……。ネジ兄さんに、優しく笑い掛けられたこと」

赤ん坊を見つめるヒナタの瞳に、確かな意思が窺える。
ネジとしては最早、現実味のないヒナタのそれを否定する気はなかった。
只。

「そうですか……。まあ……別にオレは、これから何処に行く気もないですが」

一つだけ、意味の解らぬ彼女の思い込みを、正した。



な、そうだよな? と言いながら、柔らかい髪をネジが手を伸ばし優しく撫でる。
そのぐんにゃりとした柔らかな体躯を腕に抱き、ヒナタは、身を乗り出して腕の中の赤ん坊を愛でているネジを見遣る。
そこに小さい子供を毛嫌いするような、冷めた眼差しはなく、却ってそれを好むかのように、大層穏やかな笑みを送っていたネジは、手を止めると、ヒナタにもにこりと同じ笑みを向ける。

「うん……そうだよね……」

小さくヒナタが呟いた後、突然パチリと円らな瞳を開けた赤ん坊が、ああうー、と楽しげな声を上げる。
悩めるヒナタを後押しするような、何か神々しささえ感じる、意味ありげなその声に。

二人はまた顔を見合わせて、笑った。




(旧拍手SS)
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