ai no kanzashi

□my childhood
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開け放してある戸から、涼しい風が入る。
火照った体に当たるそれに、ヒナタはふぅ、と一息つき、汗を拭く手を止める。
藍色の、重めに切り揃えられた髪の間を、ひやりとした風が抜け、首筋が爽快とする。
ちらりと、道場に残るネジの方を見れば、彼も重たげな黒髪を僅かに揺らされながら、此方は手を止めずにさっさと荷を纏めていた。

風に乗り、僅かに男臭い臭気がヒナタへと届く。
別に、今しがた終えた鍛錬で流したそれに、嫌悪感を抱いた訳ではなかった。
只、珍しいものだな…と、緩んだ襟から覗く、汗の浮かんだネジの胸元に、ヒナタは何気なく目を注ぐ。
普段、どんなにきつい修行をしても、ネジは殆ど汗も掻かないし、こんな風に道着が乱れることもない。
前の合わせが緩んで、胸元が覗き、動きに合わせ、腹のあたりまでちらちらと見え隠れしていたが、ネジの方は気にする様子無く、黙々と片付けを続ける。
そして荷の口を閉じ、すくと立ち上がったネジが、急にヒナタを見遣るものだから、彼の滅多に見れぬ肌を凝視していたヒナタは、我に返り急いで目を逸らした。

「そう言えばヒナタ様。今度、二班合同で、長期の任務に赴かれるようですね」

乱れた着衣をそのままに、汗の滲む、実に爽やかな微笑を向け、近付いて来るネジに、ヒナタの口の端がひくつく。

「頑張ってくださいね。長期任務は初めてですか?」

オレに出来ることがあれば、何でも……と、年長者の親切心で言っているであろうネジの、その妙な親切が、今は傍迷惑であった。
言葉の通り、ヒナタはもうすぐ、一月にも渡る長い任務に向かう予定である。
勿論上忍であるネジに、参考の為に色々と聞きたい気持ちはある。
だが、今のこの色気溢れる格好を見せつけられては、それどころではない。

「あ……あの……っ、ネ、ネジ兄さんちょっと」

歩み寄るネジから極力離れようと、後退り、壁にぴとりと身をくっつけるヒナタに、そう言われ、ネジは足を止める。
顔を真っ赤にして逸らすヒナタを、小首を傾げ不思議そうに見る。
あの、その、だから、と必死に目を瞑るヒナタの様子に、何となく自身を見下ろしたネジは、やっとその意図を察した。

「……ああ……これ?」

何か分かった風なネジの呟きに、ヒナタはそっと目を開ける。
(はだ)けた道着の片方を摘み持つネジが視界に入り、当然、彼はそれを締めて身形を正すものかと思われた。
だがネジの手は、ヒナタの予想に大分反し、摘まんだ襟を、前に締めるどころか逆に広げる始末で、彼の逞しい胸板とか腹筋を見せつけられたヒナタは、きゃっ、と短く悲鳴を上げた。

「……何だ……照れているんですか?昔は一緒に、風呂にも入ったっていうのに」

初々しいヒナタの様子に、ネジは持っていた道着の襟を離すとだらりと首から下げ、だらしなく羽織を羽織るようにする。
辛うじてにズボンに収まっていた裾が、ネジの手によって引っ張り出され、今は彼の胸元から臍の辺りまで、一直線に晒されており、細やかな筋に盛り上がった体が余計に露わになってしまった。
そして、頬染めたヒナタをからかうようにして、口元にニタリと、ある意味冷酷な笑みをネジは浮かべる。
今思い出すと顔から火が出る勢いの、幼き頃の思い出話に、ヒナタには、成長した今のネジと入ったという、かなりいかがわしい想像が頭を過ぎってしまい、それを振り払おうと言葉尻に噛みつく。

「な……っ、は、入ってません!」
「入りましたよ」

必死の応戦にも、さらりと言い返す、ネジの冷静な声音に、ヒナタはうっ、とたじろいだ。

「オレは覚えていますよ。あなたときたら、まだ石鹸のついた体を流していないというのに、湯殿から出てしまって、ヒアシ様にこっ酷く叱られて……」
「だ、だからっ……そういうの言わないで」

頼んでもいないのに、胸や腹を晒したまま平然と昔話を語るネジに、ヒナタはそう言いながらも目のやり場に困ってしまい、視線を彼方此方に泳がせる。
まだ男女の身体の違いも意識していないような頃、修行の終わりに時折ネジと風呂を浴びたことは、朧げだが、ヒナタも記憶していた。
しかし何も、今になってそれを引き合いに出さなくても、と思うヒナタの可愛らしい文句は、全くネジを悪びれさせる力を持たない。
羞恥に眦まで染めながら、細かく震える睫毛を伏せるヒナタの、同じく伏せる瞳の先を、覗き込むようにしながら、ネジは意地悪く口の端を上げた。

「ほら……やはり、照れているんだ。可愛いな……あんな幼い時のことなのに」

恥じるその表情を確かめようとして、じろじろと視線を送ってくるネジと、一瞬目が合い、ばっとヒナタは顔を逸らす。
いつの間にか間近に来ていた彼の、汗の滲む逞しい胸板迄目に入れてしまい、ヒナタはかたかたと震えながら、可哀想にもう逃げ場のない壁にへばりついてしまう。

「やっ……か、かわいくな……っ! も、もう良いから、き、着替えて来てよ兄さん」

壁に隙間なく、ぴたりと背中をつけ、顔もまた可能な限りにネジから逸らそうという、必死の抵抗を認めながらも、それでもネジは詰めた距離を置くことはなかった。

「……嫌です」
「え!?」

信じられない返答が聞こえ、ヒナタは思わず目を開き、目の前で爽やかな笑みを浮かべるネジを見つめる。
それは優しげな、いつもヒナタを気遣ってくれる、頼もしい従兄の表情だったが、にこりと微笑って彼が口にしたものは、驚くくらいに常である真面目な様相とかけ離れていた。

「もう少し、苛めてみます。あなたが可愛いから」
「ええっ!? に、兄さ……!?」

可愛い、可愛いと頻りに告げるネジが、だらしなく道着を着崩す同じ人が、頭でも打ってしまったのかと思えるほどに、様子が可笑しい。
可笑しいのだが、ネジの言う言葉にヒナタは素直に真っ赤になり、慣れない態度に口籠ってしまう。
ネジは、そんな恥じ入るヒナタの方は見ずに、どこかうっとりと瞼を閉じた。

「今でもね、こうして目を閉じると、浮かんでくるんです。あなたと体を洗いっこしたこととか、逆上せたあなたを介抱した……」
「や、やだ、やめてやめて」

別に幼児だった頃の、微笑ましい裸体を浮かべたって、何の罪にもならないのだろうが。
幼き日のヒナタを脳裏に浮かべ、至福の時に勝手に浸り出すネジに、ヒナタの顔が一気に沸点に到達する。
昔を懐かしむように、しみじみと話す、どこか遠い所に向かっているネジを連れ戻そうと、ヒナタは恥ずかしいのも忘れて、緩んだ彼の道着を引っ張り体を揺らす。

「邪魔しないでください。今、可愛いあなたの幼児体型を、忠実に思い起こしているのですから」

邪魔されるものかと、そっぽを向いて、ヒナタの抵抗を何でもない事のようにして、ネジは尚も目を閉じて回想を続ける。
しかし、それが子供の頃のものとは言え、自分の裸となっては見過ごせず、更に必死になって、ヒナタはネジの胸を握った両の拳で叩く。

「いやあぁぁ!! だめ! だめ兄さん! 思い出さないで!」
「どうして? 昔のあなたなんですよ? 良いじゃないですか、減るものでもないし」

ぽすぽすと可愛く打ち込んでくる衝撃に、邪魔されて集中出来ず、諦めてネジは瞼を開ける。
眉を八の字に下げ、半泣き状態でネジを見上げるヒナタは、それでも駄目なのだと懸命にかぶりを振る。

「だめっ、減るの。そ、そんなの困る」

果たして何が“減る”のかは分からないが、ヒナタはそう言ってネジに縋る。
減る、減らないの問題ではなく、とにかくこの冷静な従兄が、記憶していることが嫌なのだ。
鋭い眼光で敵を射抜く、優秀な忍のその眼に、自分のあられもない姿(幼児期の)が浮かぶなど、絶対に嫌だと。

「……じゃあ、代わりにあなたも、昔のオレを思い出して良いですから」

頑ななヒナタの様子に、ネジは提案をした。
ヒナタだって、ネジの裸を知っているのだから(幼児期の)、それを思い出せば良いのだと、簡単に言う。
それが、何の問題解決にもなっていないということを、ヒナタが指摘する前に、ネジの言葉により、彼女の思考は止まってしまう。
小さかったでしょう? と笑い掛けるネジの前で、かあっと、誰の目で見ても分かるくらい、ヒナタの顔中が紅く染まった。

「……あれ? 体格の話をしたのですが……ヒナタ様、何か違うこと、思い浮かべました?」

わざとらしく首を捻ったネジが、硬直したヒナタを無遠慮に覗き込む。
何を、浮かべたんですか…?と意味深にゆっくりと囁かれ、ヒナタの紅く染まった眦から、じわりと涙が滲む。
睫毛を伏せる彼女の、艶めく瞳に、ネジがはっと気付いた時には、既に遅かった。

「やっ……もぅ……ネジ兄さ……っ……きらいぃ」

口元に手を当て、弱々しく声を絞り出すと、ヒナタは泣き出した。
呆然と啜り泣くヒナタを見つめていたネジは、物悲しい姿に、流石に苛め過ぎたかと、態度を改めた。

「……ヒナタ様」

少々、柄にもなく、子供っぽいことをしてしまったかもしれない。
中忍にはなっていたが、彼女の心は、まだ幼い頃のように純粋で、とても、傷付き易かった。
そこの配慮が足らなかったと、完全に自分の非を認めたネジは、震えるヒナタの心を怯えさせぬようにそっと、言葉を届けた。

「……すみません。度が過ぎました」

こんなことで泣いてしまう羞恥と、情けなさの向こうから、ネジの如何にも反省しているような声が聞こえる。
心の底から、悪かったと言っている心情が、ヒナタには分かったが、何だか返事をするのも恥ずかしくて、唯目元の涙を拭う。

「ひゃっ!?」

行き成り、ヒナタの額に、前髪の上から何かが押し付けられ、びくりと(おのの)き声を上げる。
驚いて顔を上げると、壁に片手を付いたネジが、少しだけ戸惑いの滲んだ表情で、ヒナタを見下ろしていた。

「……昔は、こうすると、泣き止みましたから」

追い込まれた壁に、片手だけで作った檻に軽く閉じ込められて、ネジの真下にヒナタは立っていた。
ネジの、男の臭いが、目の前の開けた胸元から、襟の隙間から仄かに立ち込め、くらりとする。
鼻腔に届く、健全な人の、酷く官能的な匂いを意識してしまい、今受けた同じ人の柔らかな唇の感触を、振り払うようにヒナタは言った。

「なっ……泣いてないです」
「……そうですか」

誰の目で見ても、泣き顔は瞭然だった。
それでも、ネジはヒナタの寄越す否に呆気なく引き下がり、片手を外した。

座りましょう、と静かに促され、断わる術もなく、ヒナタは大人しく壁際に膝を抱え、ちょこんと座り込む。
それを見て、ネジも微妙な距離を置き、だが手を伸ばせば、いつでも肩を引き寄せられるくらいの所に、腰を下ろす。
静かな衣擦れと、側に感じるネジの気配に、幾らかヒナタの身体が強張った。
息を詰め、何もない振りして遣り過ごそうとするヒナタの思考を、上忍に備わる直観で感じ取って、ネジは気付かれぬように僅かに愁眉した。

「……やはり」
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