ai no kanzashi

□初日の出
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 それは、何の前触れもない『話』であった。
 肩に荷を背負った、任務帰りと思しき出で立ちで、宗家に立ち寄った従兄を、玄関でヒナタが出迎えた。お疲れ様でしたと、目を細めて労うヒナタに、いえ、と畏まってまた素っ気なく返すと、ネジは唐突に尋ねてきた。

「ヒナタ様。初日の出を見に行きませんか?」

 少し高い所にあるヒナタの顔を見つめて。むくれているでもない、只初対面の者には、少しばかり冷たさを与える無表情で。意図の読めないネジの眼差しに、ヒナタはぽかんとして目を瞬いた。

「里の裏山を登ったところに、丁度良く日の出が見える場所を見付けて……もし、興味があればと、思ったのですが」

 疑問符を返すヒナタに、ネジは後から言い足す。しかしその反応の薄さから、特に彼女には興味がないと、判断したようだ。
――なければ、良いです。
 変に釣り込むことなくあっさりと引いて。では、と暇を告げる従兄を慌ててヒナタは呼び止める。

「あ、あの……私、行ってみたいです」

 ヒナタに背を向けようとした動きをネジが止める。自分から言い出したのに少し彼は意外そうな顔をした。ヒナタが常にはなく大きな声を出したからだろうか。鍛錬や忍のそれ関連以外で、控え目でのんびり屋な彼女が声を張ることは珍しい。
 しかし、ネジがヒナタをこうして外に誘うことも、初めてだった。親戚としての交流はあるも、ヒアシや一族の絡まない、個人的な用件で声を掛けることは然う然うない。いや、今回のこれも、ネジは親戚のよしみで誘ってくれているのかもしれない。それはそれで有難い気遣いだ。何れにしても、年の暮れにネジから舞い込んだ新年初めての催しに、ヒナタの胸が弾んだのだった。

「では、年が明けた、夜中のうちに。迎えに行きますので、準備しておいてください」

 ヒナタの意思をじっと確かめるように見つめた後、テープレコーダーのお手本のような丁寧で極めて模範的な回答をネジはした。
 それからとんとんと話が進んでいく。ヒアシにはネジから外出の許しを貰うこと。防寒の用意をしてくること。ネジの言葉を一つ一つと良く聞いて、ヒナタは頷いた。
 一通り話し終えると、それでは新年に、と告げてネジは帰っていった。余りに簡素な別れの挨拶。ネジの言葉を察するのなら、もう年内には会えないのだろう。上忍のネジは何かと忙しくしている。その合間を縫って、こうしてヒナタに会いに来てくれた。
 暫く誰もいない玄関にヒナタは立ち尽くす。突然ふらりと足を運んだ従兄は風のように去ってしまった。
 防寒具の準備を……。
 ネジに言われた言葉を思い出して、そうだ、とヒナタはわざと明るく呟くと、廊下の奥の自室へと足を向けた。


 新年へと向かう妙な高揚感の入り混じる物寂しい年の瀬に、日向の屋敷や里の様子は何となく忙しない。事実本当に年越しの準備でばたばたとしているのだろうが、ヒナタは別の理由で心が落ち着かないでいた。彼女にはネジとの約束があった。あと何晩、あと何晩……布団の中で残りの日数を指折り数えてネジと会える時を待った。
 そして迎えた、新年――。



 まだ辺りが暗い内に。家人が寝静まった、年が明けた夜中の内に、音を立てぬようにヒナタはそっと家を出た。昨晩大人達が繰り広げていた酒宴の騒ぎが嘘のように、屋敷の中は静まっていた。年始年末は使用人も交代で故郷に帰っている。普段なら有り得ないことだが、家の中の誰とも会わずにヒナタは庭を抜ける。門の側まで来るとネジが待っていた。姿を見付けてヒナタは駆け寄る。

「防寒具、持ってきました?」
「うん。中にたくさん着込んできたし……手袋も。ほら」

 真冬の朝は相当冷え込むからと、ネジに言われていたから、ヒナタはその通りにきちんと準備をしてきた。特に指先は直ぐに冷たくなるから念を入れて。二股に分かれた手袋の中で、指を広げて見せると、無邪気な様相にネジはにこりともしない。それが彼の常だ。

「それで大丈夫だと思います」

 酷く詰まらない返答だったがヒナタはほっとして笑みを零す。生真面目なネジがそう言って頷いてくれれば褒められたように感じてしまう。まだ話をしていたかったが生憎時間がない。幾らかゆとりを持って集合したのだが、今二人にとって気掛かりなのは日の出の時刻だ。
 ヒナタの笑みに応えることもなく、では行きましょう、とネジが早々に促して二人は出発した。



「ヒナタ様。大丈夫ですか」
「うん…」

 大して険しくもない小さな里山だったが、ネジは度々後ろを歩くヒナタを気に掛ける。差し出されたネジの手に掴まって、ヒナタは目の前に現れた巨木の根を踏み越える。

「兄さん、空が……」

 気付けば周りの景色が良く見える程に白んできた。仄明るくなったその薄青を背景にして、ヒナタの声に、ネジの白い横顔が憂うでもなく天を見つめる。

「もうそろそろですね。行きましょう」

 未だ山の中程。此処からでは木々に遮られて日の出は見えない。ネジの知る行き先はもう少し先にあるようだ。
 間に合うだろうか。思案しながら歩き出したヒナタは、再び差し出されたネジの手を取って、残りの山道を踏み締めた。


 ごつごつとした地面は徐々に登山者の体力を奪っていくが、ネジやヒナタ、鍛錬に勤しんでいる忍にとってはそんなに苦でもない。疲れと言うよりは単に精神的なところからくるものだろう。間に合うか間に合わないかの瀬戸際。ネジが見せたいと言った場所でヒナタもそれを拝みたい。焦燥感からハア…ハア…と自ずと息の上がっていくヒナタを、勇気付けるようにしてネジの手に力が籠もる。心強い存在を握り返して、ヒナタはただ前だけを見据えた。
 一本道をこれまで登って来たが、ヒナタはふとネジに手を引かれて脇に伸びる小道に入った。身体の傍まで伸びる枝葉を避けて、益々緑が深くなるような不安を持ちながらも、迷いなく進み続けるネジの後をついて行く。ネジの背中には迷いがなかった。この先に必ずアナタを連れて行くと、そんな強かな意思を滲ませて挫けそうなヒナタを導く。
 手袋越しに温もりの伝わるそれをヒナタはまた握り返した。木々の間から時々覗く空色に彼女の祈りが昇る。

 道とは言えない山道を抜けると、足元の草がなくなって平坦な所に出た。
 急に視界が開けたかと思うと、今にも朝日を迎えそうな空が其処に在った。木々の枝も緑も、遮るものは何もない夜明けの空が広がっていた。間に合いましたね、と側で呟くネジの声に答えずに、ヒナタは限界まで張り詰めて光が零れそうな空をじっと見つめる。地平線の付近が既にオレンジ色に染まっている。青と橙、夜と朝の入り混じる不思議な諧調、その一際橙掛かったところから不意に光が零れた。夜の終わり、新年の幕開け。ゆっくりと昇り上がる太陽の欠片を認めると、唇が自然とネジを呼んだ。

「兄さん」

 見て、と言わんばかりにオレンジ色を反射した白い眼がネジを見上げる。同じ景色を見ているというのにヒナタはネジの手を引っ張って空の変化を教える。ネジは目を細めて、静かに頷き返す。
 目を離している内にも太陽はゆっくりと空を昇り続けていた。前を向いたネジを真似るようにしてヒナタも眩しい地平線を見つめる。
 輪郭が分からない程に太陽が目映かった。見下ろした里の街並みが暖かな光に満ちていく。そう思う二つの顔も同じように染め上げられている。

「この場所、どうやって見つけたの?」

 この年最初の朝焼けを見つめながらヒナタが穏やかに問うた。二人の立つ場所は、丁度良く緑が切り開かれて里の様子が一望出来た。生まれた時から木ノ葉の里で過ごすヒナタでさえ、存在を知らなかった。元より近所の里山など、用もなければ登る機会はない。

「たまたまですよ。里の張り番とかも、任されることがあるので……偶然知ったんです」

 ネジが朝日から目を離して、ヒナタを見遣る。一方のネジには、山に足を運ぶ尤もな理由があった。遠目の利く日向一族、その能力が存分に発揮されるというものだ。振り返ってみれば、ヒナタもそのような名目で呼び出しを受けたこともある。
……あなたに見せたいと、思いました。
 そう告げて空に視線を戻したネジの、端整な横顔にヒナタは見入る。綺麗な鼻のライン、引き締まった口元の、輪郭を陽光が縁取ってそれが息を呑む程美しい。唐突にネジに手を握られているのが、恥ずかしくなった。何も考えずに握り返していたが、掌の逞しさとヒナタの手袋を回る指先の力加減。それと温もりを意識して、ヒナタは自然を装ってネジの手からそっと擦り抜けた。
 掌から消えた感触に、確かに気付いていたようなネジだが、彼は何も言わなかったし知り得なかった。ヒナタの頬を淡く染め上げるのが、密かに朝焼けの色だけではないということ。
 暫く無言で朝日を見つめていると、あ、そうだ、とヒナタが急に畏まってネジに向き直った。

「ネジ兄さん。今年もどうぞ、よろしくお願いします」

 ネジに握られていた手を、体の前で揃えて、小さな微笑みを浮かべる。恭しく挨拶をするヒナタに程無くしてネジの目元が柔らかく綻びる。思えば新年の挨拶をまだしていなかった。初日の出を見るというこの年最初の催しに、山を登るのに夢中で、すっかり忘れていた。

「……こちらこそ。よろしくお願いします」

 にこりとヒナタに微笑い返すネジは、きっとこの年も頼もしくヒナタを手助けしてくれるのだろう。大きな手でヒナタを導いて。窮地にも顔色一つ変えないその飄々とした様がヒナタを勇気付ける。しかしもう世話になるだけではなく自分もそうしたいと思うのだ。これからはネジを手助け出来るような存在でありたい。ヒナタはネジのように力はないが同じ日向一族で、柔術の基礎を父から学んでいる。多忙なネジの代わりに夜を徹して見張り任務にも就ける。
 そうしたら今度はヒナタが『見つける』のだ。とっておきの場所にネジを招いて、またいつかの新年にこうして一緒に朝日を眺めたい――。
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