ai no kanzashi

□恵方巻
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道場で汗を流したネジは、いつものように敷地内にある母屋の方へと、足を運んだ。
此処で修行終わりに、ヒナタに茶を淹れて貰い、日の当たる縁側で彼女と寛ぐのが日課だった。
この日、ヒナタは道場に姿を現さなかった。
彼女にも、班での任務や、宗主に使いを頼まれたりし、家を空けることがしばしばある。
その為、毎回宗家に訪れたネジと、組手練習をしている訳ではない。
そんな時は、修行終わりの、彼女の淹れてくれる茶を諦め、真っ直ぐに帰宅するのだが、先刻ネジは、どうもヒナタが在宅しているらしい話を、小耳にちらと挟んだ。
何故、道場に姿を現さないのか、分からないが、それならば足を向けてみようかと、淡い期待を胸に、ネジは少しだけ寄り道を企てたのだった。

「……ヒナタ様?」

――……いた。
日の当たる、馴染みの縁側に、ぺたりと座り込んで、日向ぼっこでもしているのだろうか。
春の草木も直に芽吹く、麗らかな日和であるが、外の空気は、まだ幾分肌寒い。
見付けた小さな背中に落ちる、暖かな日溜まりが微笑ましく、密かに笑みを零すと、ネジはそっと踏み出し、庭から彼女のいる縁側に近付く。

「こんにちは、ヒナタ様。茶をご馳走して貰っても?」

いつものことであるので、特に彼女の都合は気にせずに、強請った。
ネジに背を向けて座っていたヒナタは、振り返り、何やら膨らませた白い頬っぺたを、ネジに向ける。

「……あの、何をしているのです?」

子供のような、ぷくりとした頬は、まるで団栗を詰め込んだ木鼠のよう。
見上げてくる円らな瞳もまた、自分と同じ色であるのに、小動物のような愛くるしさを持つ。
何かを口に含んでいるのか。
じい、と此方は観察力に優れたネジの瞳に、探るように見つめられ、ヒナタは慌てて膨らんだ口元を押さえた。
くるりと、そのまままた前を向いてしまったヒナタに、思考を止められたネジは、パチパチと目を瞬かせる。

「ヒナタ様? 茶が飲みたいのですが……」

ネジの声に返事もせず、ヒナタは押さえた口をモゴモゴと動かしている。
何をしているのだ――?
愈々疑問符で埋められた頭に、ネジが背後から彼女を覗き込むと、口の中身が知れた。

「これは……」

ヒナタの両手には、ずんぐりとした胴の、巻き寿司が収まっていた。
しかし大層な大きさである。
胴を回りきらない、彼女の指と比べても、茶碗何杯分もあるかと察する。

「太巻きですか……美味しそうですね。あなたが作ったのですか?」

これ程のものを、たった一人で食べ切れる訳が、ないとは思ったが、そこには突っ込まずに、恥ずかしそうに寿司を咀嚼するヒナタを、ネジは微笑して見下ろす。
モグモグと口を動かすヒナタは、やっとゴクンと嚥下した後、また黙って太巻きに噛り付く。
ヒナタの傍で、腰を屈めたまま、漏れなく無視されたネジは、端整な微笑を引き攣らせた。
折角用意した、自分史上最上の笑顔を、ふいにされて、返答を呉れないヒナタの態度が、少しばかりイラッときた。
無心になって太巻きを食べ続ける、ヒナタの視界に入ろうと、むきになって、ネジは彼女の前に回り込み、縁側に腰掛ける。

「そんなに大きいの、食べ切れないでしょう? オレにもください」
「っ!?」

ヒナタが、前を塞ぐネジに瞠目し、太巻きを銜え込んだまま、固まる。
やっと、此方を見たと、面食らったヒナタの表情にほくそ笑みながらネジは、徐々にその距離を詰める。

「丁度昼時ですし……腹が減りましたね」

酢飯の匂いは、食欲をそそる。
加えてそれが、ヒナタの作ったモノならば。
そう思うと何だか、本当に腹が減ってきた。
ではオレは、こちらから……と、ヒナタの咥える反対側に、ネジが噛り付こうとすると、ヒナタが頭を振り、激しく“イヤイヤ”をする。

「んっ、んん〜〜〜〜っ!」

必死の形相を、ブンブンと横に振り、ボロボロと寿司の中身が零れる。
無残にも飛び出た玉子や何やらが、ぼとぼとと落ち、ヒナタの膝を汚すが、視線を交える両者は、何方もそれを気にすることはない。
一方は怯えた白眼、もう一方は、心なしか不敵に眇めた白眼で、後者に()めつけられた少女は、絶望の淵に立ったように面の血の気が引く。

「どうしてですか? ダメ……? ダメですか? ヒナタ様」

甘えるような声音で、こてんと顔を傾けて、可愛らしく様子を窺うネジだが、その一寸の隙のない眼光はまるで、木鼠を嬲る猛禽類の如し。
そんな危うげな天敵に睨まれれば、ヒナタは強張った四肢で床を引っ掴み後退る他にない。
だが余裕綽々と、ヒナタが退いただけ、その分ネジもじりじりと距離を詰める。

「少しくらい分けてください……そんなに食べられないでしょう?」

縁側に靴を履いたまま上がり込み、四足で這いながらヒナタを追い込むそれは――訂正する、翼に代わり、地上に生ける、しなやかな体躯を持つ狐の如し。
ね? 良いでしょう? と窺いながら細めた目は正に、狡猾さを併せ持つそれで、射抜かれたヒナタは座り込み、迫るネジを避けようと、辛うじて体を横に反らせる。

「ねぇ……ヒ・ナ・タ・さ・ま」

その場に留まったヒナタの直ぐ隣に、ぴたりとネジも座り込み、尾っぽを絡ませるように、執拗に彼女に纏わりつく。
舐めるように視線を遣りながら、しかし何もしない。
指一本も触れずに、ネジの振る舞いに困り切った、可憐なヒナタの表情を楽しむ。
そっと、覗き込んだ彼女の顔が、真っ赤になっている。
いじらしさに、思わず息を漏らすと、それが丁度ヒナタの細い首筋を撫で、ビクリと反応を見せる。
ふとネジは、新たな興を思い付いてしまった。
いつものように優しくない、自分を相手にしないヒナタの態度が、全く面白くない。
これは、太巻きに夢中で自分を蔑ろにした彼女への、軽い仕返しのようなものだ。
心中で密かに、正当な“悪戯”と理由付けた後、ネジはヒナタの耳元に微笑む口元を寄せ、フゥッと息を吹き込んだ。

「んっ……!? ひゃあぁぁ!」

普段刺激を受けることのない、繊細な外耳道を、曲がった性根の持ち主に刺激され、ついに、ヒナタが声を上げた。
行き成りの少女の悲鳴に、些か驚いたネジは身を離す。
耳を押さえて、はあはあと何やら身悶えるヒナタは、やっとのことで、怒りと恥ずかしさで綯い交ぜになった複雑な顔を、ネジに向ける。

「も、もうっ……一体何のつもりですか!? ネジ兄さん!」

ぎりぎりと力を込める指に、太巻きが潰れる。
既に零れた具材やらで、ヒナタの持つそれはぐちゃぐちゃで、殆ど原型を留めていない。
少なからずも、悪いことをしている意識はネジにもあった。
この彼女の手の中にあるモノを、見てしまえば。

「……だって、ヒナタ様が茶を淹れてくれないから」

それと、相手をしてくれないから。
拗ねるように、後半は心でひっそりと浮かべながら、ネジは素直に首を垂れた(それでも謝らなかったが)。
しゅん……としおらしくする従兄に、ヒナタははっと我に返った。
只、それが思ってもいなかった理由なだけに、勝手など知っている訳なのだから、茶なんか飲みたければ自分で好きに淹れれば良いのにと、言いたくなる。

「だ、だからって……。今、大事なことしていたのに……」
「大事なこと?」

呆れた本心を押し込め、反省している風なネジに免じて、控え目に物申すと、ネジが問い返す。

「恵方巻です。でも、これじゃあもうダメです…。しゃべってしまったもの」

手の中の変わり果てた物を、悲しげな表情でヒナタは見下ろす。
喋ってしまったどころか、ヒナタは恵方を塞いだネジを避けて、あらぬ方向を向いていた。
その上ネジに息を吹き掛けられ、悲鳴を上げたり、そんな大騒ぎをしていたら、福を齎すと言われる歳徳神(としとくじん)も去ってしまうだろう。

「……では、もう一度やり直しましょう。方位は……(かのえ)、ですか」

俯くヒナタを暫し見守って、ネジが懐から磁石盤を取り出す。
針を回して北向きに立つと、先程ヒナタが向いていた方角を読み、吉方が特定出来た。
座り込んだまま、ぽかんと自分を眺めるヒナタに、ネジは苦笑した。

「……何も欲張って、そんなに大きなものを食べなくても……。要は、吉方位を向いていれば良いのでしょう」

そう言うと、ヒナタの手から太巻きを取り上げ、ネジはふらりと台所に向かう。
遅れて、ヒナタが後を追うと、俎板の上に置かれた太巻きが、ネジにより包丁で半分に切られる。
縮んだ太巻きが、ヒナタの前に、俎板ごと差し出される。
無言の内に受け取れと、ネジに促されたヒナタは、疑問を浮かべながらも手を伸ばして掴む。
それを見て、残りの半分を手に取ると、ネジは再び縁側に出た。

「……ほ、本当に、こんなので良いのかな……」
「大丈夫ですよ」

真っ二つに切った太巻きを、方位だけを守って、口を利きながら二人で齧る。
切断してしまったこれ…見様によっては、縁起が悪くないだろうか。
しかしネジが、何でもない風に(かぶ)り付き、食べ進めるので、ヒナタもそれに従う。
まだ幾分肌寒いが、お天気の今日は、背に降り注ぐ陽光が暖かく、心地良い。
如月に入ったばかりだが、二人の周りには、確かに春の足音がする。
もう少しすれば、野辺に菜の花が咲くだろう。

「……ヒナタ様。慌てないで、良いですから。喉に詰まらせたり、しないでくださいね」

まるで小さい子供に言うように、ネジが隣にいるヒナタを気に掛ける。
縮んだ太巻きを、両手にちょこんと持ち、齧り付く姿はまさに、木鼠の愛らしさ。
降り注ぐ日差しの如く、柔らかなネジの眼差しが、ヒナタを見つめる。
狡猾な瞳は、だが仲間や自分の認めた者には、殊に優しくなる。真実。―彼女は今一、気付いていないようだが。
こんな扱いを受ければ、もう子供じゃないもの、といい加減彼女も怒り出す年頃だろう。
しかしヒナタも自信がなかったのか。
ネジの言葉に、少し不安そうに目を泳がせると、すくと立ち上がる。

「……あ……、わ、私、お茶を淹れてきます」
「……はい。ついでにオレの分も、お願いします」

ヒナタが動こうとしても、ネジは別に止めない。
二人の恵方巻は、喋っても、途中で席を立っても、何をしても平気。
ネジに示されて、それを既に解しているヒナタは、何の疑いもなく、台所へと向かっていく。
……ニッコリと微笑む従兄の目論見には、多分、微塵も気付かないまま。







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