ai no kanzashi

□花占い
1ページ/1ページ



ゆるりと温かな春風が吹き抜ける、5月のこと。
さらさらと長い髪を、そよ吹く風に流し、少女は手元の嫋やかな花を撫でる。
その指先は、花弁を掴み――。
ひらりと、千切られた花弁が落ちる。
一枚、また一枚と、愛される幸福、嫌悪される悲哀を、交互に呟きながら。
残酷なことを、しているのではない。
これは密やかな、密やかな恋心。
どうか、どうか許して欲しい。
到底口に出せぬ想いを、“うそ”に紛れさせ、そっと吐き出すことを。
儚く力強い花の命を、奪ってしまうことを。
そうは思っても、恋する少女の頭は今、密かな想い人のことで、溢れていた。
――あのひとはわたしのこと。




すき。きらい。すき。きらい……。




すき……。





……想うは、誰のこと。







―― 一二月の恋物語 五月『花占い』――







「……また、きらい……」




ふう、と溜め息が漏れ、ヒナタは一枚だけ残った、不格好な花を物憂げに見つめる。
最後まで、千切らなくとも、分かる。
あの従兄は、自分が“嫌い”なのだと、この花は言う。
諦めきれずに手折った花は、既に十数輪。
何とか一度でも、“好き”にならないかと、希望を込めて千切った花弁は、数知れず。
それはヒナタの腰を下ろす草原(くさはら)に、彼女の周りに散らばっていた。
手折るのをやめ、今持っている、最後に残った一枚の花弁を、ヒナタは眺める。
“好き”が、欲しい。
あの人の、“好き”が、どうしても欲しい。
それで、本当にあの従兄が、自分を“好き”なことには、単純にはならないのだが、恋する乙女には、それでも十分。
占いで出た良い結果は、信じてしまうものであるから。
殊更恋占いとなると、愛しい人に、少しでも近づいたと、その喜びも大きい。
だが……流石にもう、花を無駄にし過ぎてしまった。
眼差しを落とすと、ヒナタの周囲、膝の上には、無垢な白色の花弁が、無数に散り落ちている。
心なしか、花弁に埋もれるような格好のヒナタは、宛ら春花の精のようで、だが草花の命など知らぬ、残酷な子供のようにも思える。
諦めきれずに千切ったが、もうこの日は無理なのかもしれない。
しかし何かまだ、口惜しくて、手元の不格好な花を見つめていると、頭上から影が落ちる。

「何をされているのです?」

後ろから、ヒナタと花を覗き込むような気配がする。
声の主が、花弁に塗れるヒナタに、花の精と子供、その何方の印象を持ったかは、分からぬが、ヒナタは花から目を離さず告げた。

「うん、あのね……花占いで、ネジ兄さんと私をうらな……」

聞かれるがままに、自然と答えていたが、知った風な低い声音を意識し、途端、ヒナタの顔が蒼白となる。

「ね、ねねね、ネジ兄さん……!?」

そしてそれは、一瞬にして紅潮する。
偶々、通り掛かったのか、このような場所で姿を見掛けるとは、思わなかった。
ビクリと硬直し、振り返ったヒナタを、ぽかんとして彼女の従兄、ネジは見ていた。

「オレと、あなたの……? 花占いとは?」

膝に手を当て、腰を屈めていたネジは、不思議そうに聞き返す。
その視線は、ヒナタの周囲に落ちる。

「あ、あの、何でもないの……」

慌てて、ヒナタは膝の上の花弁を払い、持っていた花も背後に隠す。
しかしこの光景を見れば、誰だって、分かる。
この無垢な少女が、花を散らしたのだと。
花占い――、そこにどうして自分の名が出てくるのかは、分からぬが、聞いたことはある。
勿論自分で占うような、少女染みた趣味はネジにはないが、知っている。
無数に散り落ちた花弁を見て、ネジは尋ねる。

「それで……結果はどうだったのです」

予想外にも、占いに興味を持った風なネジに、ヒナタは口籠る。
当たり前と言えば、当たり前なのだが。
恋い慕う人に、恋占いの結果を聞かれる気持ちが、ネジには分かるまい。
しかしネジの眼差しが、解放してくれないので、ヒナタは消え入りそうな声で、辛うじて答える。

「……あ……あんまり……」
「……よろしくない? ……ですか?」

出来れば、届いて欲しくない、“悪い結果”を、ネジは然りと聞き届けた。
言葉の先を察して、問い返すネジに、だがヒナタは俯いて返事をしなかった。

「それで……落ち込んでいたのですか」

ヒナタの様子から、そのように解釈出来る。
側に腰を落とし、目線を合わせて、ネジが察してやれば、ヒナタは真っ赤な顔を向けた。

「おっ……、落ち込んでなんか……そ、そういうのじゃなくて……ちがうの、兄さん」
「好きか、嫌いか」

慌てふためくヒナタを他所に、ネジはそう呟き、草原に散り落ちた花弁を見つめる。
心地良い風に吹かれ、さらさらと草の上を滑るそれを、ネジは目で追う。

「オレが、あなたのことをどう思っているか……知りたかったのですね? どうしてオレに直接聞かないのですか?」

言い終わる頃、ネジの視線はヒナタへといく。
透き通るような双眸に、射止められたヒナタは、言葉に詰まった。
自分も、同じものを持っている筈なのだが、ネジの持つ聡明な白眼とは、違う気がしてくる。
頷くことも、反論することも出来ないヒナタへと、ネジはさらりと告げた。

「好きですよ」

それこそ花弁を運ぶ、春風のように。
5月の爽やかさを孕ませ、驚くほど、軽く。
だから、ヒナタは一瞬意味が分からなかった。

「オレは、好きですよ。あなたのこと。これで良いでしょう?占いなどに頼らずとも、オレを信じてください」

ネジに見つめられ、ドキリとヒナタの心臓が跳ねる。
顔が、急速に熱を持っていくのが、自分でも分かる。
だが、“何か、違った”。

「でも……でも」

否定を、連ねるヒナタに、ネジは僅かに顔を傾ける。
自分の求める“好き”ではないと、折角ネジから貰った“好き”に、舞い上がってはいけないと、ヒナタは自らに言い聞かせた。
慈愛を込めて、ネジの見つめるそれは、年下の従妹を可愛がるもの。
自分の、“好き”とは、違う。
ネジはきっと、ヒナタのように、燃え上がる恋情を、そこに隠し持ってはいない。
姿を見るだけで、見つめられるだけで顔が火照っていくような、切ない慕情を抱いてはいない。

「……花は、“嫌い”って、言うの……ネジ兄さんは、私のことが、嫌い……って……」

ヒナタは、散らした花を、信じた。
今のところ、全て“嫌い”と出た。
ネジが一言“好き”と言っても、それだけで覆るものではなく、そして彼が言うものは意味が異なると思った。
指先できゅうと抓まれる、花の茎を、ネジは見遣り、慰めるような声音で、呼び掛ける。

「ヒナタ様」
「何度やっても、ダメなの。ネジ兄さんは、私のことが、嫌いって………まだ、恨まれているんじゃないかって、私……」

そこまで言って、ヒナタは我に返った。
ネジが息を呑むのが、分かった。
再び、昔のように仲が良くなったとは雖も、まだそれは、二人を押し黙らせてしまうくらいには、禁じられた言葉であった。
何か探るようにして、ネジはヒナタを見つめる。
思っていることを、みんな見透かしてしまいそうな、秀麗な双眸は、此方からは、何を思っているのか全く読めない。
ネジがヒナタを、妹のように思い可愛がってくれていることは、知っている。
こんな自分に、惜しみない愛情を注いでくれていること。
その善良な彼の気持ちを、裏切るようなことを、言ってしまった――。

「ヒナタ様、もう一度やりましょう」

唇を噛み、どんどんと花の茎を握り締めていくヒナタに、ネジは告げた。
顔をそっと上げると、ネジは少々非情なことを言う。

「見ているから……オレの前で、やってご覧なさい」

花ならば、まだある。
沢山散らせてしまったが、この一面に、ある。
見ているから、今度は“良い結果”を出そうと、ネジの眼差しが言う。
しかし、恋い慕う人の、目の前でやる勇気は、とてもではないが、ヒナタにはない。
戸惑っていると、早く、と急かされ、ヒナタは言われるがままに側の花を手折った。



「もう一度」

最初の一本が終わると、ネジに促され、ヒナタは更に花を手に掛ける。

「もう一度」

怒っている風でもなく、只冷静に、ネジは続けさせる。
プチリ、プチリと、花弁を無言で千切るのに合わせ、好き……嫌い……好き……嫌い……と、胸の内で唱え、二つの眼差しが占いの行方を見守る。
しかし……駄目だった。

ネジの整った眉目が、僅かに顰められる。
ヒナタの指先が、震えていた。
最後の“嫌い”の花弁を残し、それが千切れないでいた。
もう、何をやっても、駄目。
到底報われないのだ、この想いは。
瞳に静かに涙を溜めて、ヒナタは最後の一枚を、今まで躊躇って、千切ることの出来なかった一枚に、手を掛けた。
これで終わりにする。
この恋は、終わりにする。
最後のそれを千切って、ネジへの気持ちを断ち切ろう――。
しかし、プチリ、と慣れた感覚がする前に、ネジの指先がそれを制した。

「ヒナタ様。好きです」

ヒナタの手を、包み込み、花とは真逆のことを、ネジは言う。
どうしたのだろう……ああ、でも、それは違うから。
ネジが言うものは、意味が違うから。

「好きですよ。あなたのことが。とても」

勘違いしてしまうから。
お願いだから言わないで。
だがネジはそれを言う。
ヒナタを見つめて、至極大切そうに、言う。
瞳の縁から溢れた雫を、ネジが指先で拭う。
そのまま頬を包み込もうとするネジの手から、逃げるようにして、ヒナタは顔を背けた。
これ以上、期待させないで。
触れないで――。
……しかしネジは引かなかった。
抵抗を見せ、背けたヒナタの顔を、無理に上げさせ、そのまま固定した。




「…………恨んでいる人に、こんなこと、しません」

目の焦点が合わない程直ぐ近くで、ネジが言う。
ネジがどこを見ているのか、分からない。
只自分と同じ瞳の色が、近くにあることしか、分からない。
今何が自分の唇を塞いだのかも、彼の言っている言葉の意味も、何も、何も。


ネジは、従妹を可愛がる目で。
妹にするように、ヒナタをいつも温かく見守って―――。



――愛しています。
こう言ったら、良かったですか?


目尻に浮かぶ涙を、唇で吸い取りながら、ネジは告げる。
そのまま包み込んだ頬を、優しく啄んでいき、またそれは、ヒナタの唇に辿り着く。
今度こそ、ネジの柔らかい感触を、意識したヒナタは、彼が触れていった頬を、ぽぅ…っと真紅に染めた。



残酷な子供には、見えなかった。
惚れている弱みか、ネジにとっては、花に埋もれるヒナタは只々、愛らしい“花の精”であった。
いじらしくも、自分のことを思いながら花を手折る、春花の妖精――。



上手く呼吸が出来ず、吐息を漏らすヒナタの唇を、ネジは上からそっと押さえるだけだった。
離れてはまた触れる。
感触だけを楽しむように、幼い口付けを繰り返す。
思わずとも体が強張り、きゅうと花を握るヒナタの手元は、ネジの手が巻き付いている。
“嫌い”の花弁が残ったそれを、ヒナタの手の上から握り締め、ここで、終わりにしましょう、と。
“好き”で、止めておきましょう、と。
まるで言っているように。







すき。きらい。すき。きらい……。




……すき。






[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ