ai no kanzashi

□やさしい手
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ほんの一瞬の、油断であった。
竹箒を片付けてくるからと、ネジから言われ、庭の掃除を終えたヒナタは、自然と箒を差し出した。
そしてネジが受け取る刹那、彼の目は、冬の空気に悴み真っ赤になった、ヒナタの手に、自然と注がれた。

「ああ、可哀想に」

箒と一緒に、片手も取られ、ネジにまじまじと、(あかぎれ)だらけの手を見つめられる。
箒などそっちのけで、痛むでしょう、と眉を顰める、憂え気な面持ちのネジに、ヒナタはかあっと赤くなる。
――ああ、見つかってしまった。
恥じらうヒナタの持つ手元は、同年代のそれとは異なり、皮膚が荒れ、触るとざらざらとした。
その、荒れた手の甲を、懇ろに撫でてくるネジの指に、恥ずかしくてヒナタは消えてしまいたくなる。
寒い時分、水を触ったりすると、直ぐに手が真っ赤になる。
色が白い分、それが一段と目立ってしまい、ヒナタは苦慮しながら長い袖で指先まで隠し、人目を忍んでいた。
気付いた時に、薬を塗っていれば良かったのだが、忙しい任務が重なり、随分と放置していた為、乾燥した空気に触れる度に、ぴりぴりと痛んだ。

「待ってください。軟膏を持っているので」

暫く労わるように、自分の手に乗せたヒナタの片手を、上からそっと撫でていたネジは、そう言ってごそごそと懐を探る。

「えっ……い、良いよ、兄さん」

この格好良い従兄に、皸を見られるだけに留まらず、その面倒まで看させる訳には、いかない。
これ以上恥を掻く訳には……と、掴まれた手を半ば無理矢理引っ込めようとするヒナタだったが、ネジはそれを離さなかった。

「しかし、放っておいたら酷くなります」

自分の元へ引いた手が、またネジによって有無を言わさず、彼の前に引っ張られる。
まるで、ヒナタが駄々を捏ねているかのように、その抵抗を大真面目な顔でネジは諭す。
怒られている訳ではない、だがネジの醸し出す誤魔化しのきかない空気に、掴んでくる手の力強さに、ヒナタは気圧されて大人しくなる。
懐から出した小さな軟膏の蓋を、ネジは器用に片手で開けると、中身を掬い取り、ヒナタの甲に乗せる。

とろりとした、半固形の膏薬が、ネジの指の熱で蕩け、心地良く皮膚に溶け込む。
甲から指の付け根の骨張った所、爪先の細部まで、時々容器の薬を付け足しながら、ゆっくりと丹念に、摩り込まれる。
片手が終わると、反対の手も取られて、全く同じ工程が繰り返され、ヒナタはネジに撫でられる自分の手を、手持ち無沙汰に眺める。
やはり、どう見ても、人に見せられるような綺麗な手元ではない。
却って自分と同じく、色白なネジの手の方が、荒れていない分、女性らしくも感じる。

「……水仕事をすると、直ぐに荒れてしまいますからね」

無心に軟膏を塗り広げていると見えたネジが、独り言のようにぽつりと声を漏らす。
ヒナタの思考を当てたのか、分からないが、ちらりとヒナタは目線を上げ、ネジを窺う。
端整な顔は、心持ち心配そうに沈んでおり、ヒナタの視線とは交わらず、その眼は軟膏を滑らせる手に唯注がれている。
先程、廊下の雑巾掛けを率先して行っていた、ヒナタの労を労っているみたいに。
そしてどこか、世の女性の強かに生きる姿を称えているようにも。
一般的に女とは、外に出る男と違い、炊事、洗濯と、冬場のきんと冷えた水に触れる機会が多い。
だから、男の自分と比べても、仕様がないのだよと。
暗にネジから言われているようで、自分の稚拙な思考に、愈々消えてしまいたくなる。

「あ……の、もぅ……はなして」
「どうして?」

俯き加減で、絞り出すように言ったヒナタに、ネジは首を傾げる。
だって、とその先に口籠るヒナタは、いつまでも手を離さないネジに、困窮していた。
もうとっくに、軟膏を塗り終えたというのに、ネジの手は、ヒナタの小さな甲を撫でていた。
薬を馴染ませるように、どこか、猫の頭でも可愛がっているように、何度も大きな掌が往復する。
冷えた手が(ぬく)まる感覚に、ほっと人心地つく暇もなく、ネジの体温に、ヒナタは顔まで火照っていった。
鍛錬でもないのに、防御の型にネジの掌を受けるでもなく、こんなに優しい手と触れ合うなど、恐らく子供の時以来だ。

「……ああ、大丈夫ですよ。とっても可愛らしい手をしています」
「え!?」

撫でるのを止め、考え込んでいる風だったネジは、急にニコリと笑みを出した。
何が大丈夫なのか、定かではないが、まるでそんなこと、杞憂だとでも言うように、目を丸くしたヒナタに向かい、更に言い加える。
――ちいさくて、可愛いですね。

ほら、こんなにと、少し戯けて、大きな手でヒナタのそれをすっぽりと隠してしまう。
何も、何も憂えることはない、可愛い手だと、ネジは飽くことなく皸だらけの手を両手で握り込んだ。

「それに……よく働く手だ」

包まれた指先から、じんわりと、ネジの体温が送り込まれる。
恥ずかしいと、思っていたのに、何故だか今度は泣きそうになった。
寒い時分、水に触れると直ぐに真っ赤になる。
しかし、まさかこの時季に、水遊びをしている訳では決してない。
年末の大掃除だからと、広い屋敷の中で与えられた持ち場を、冷水に悴む手を堪えて、雑巾をきつく絞って水拭きした。
ぴりぴりと沁みる、甲にある幾つもの裂傷は、度重なる任務で、知らぬ内に出来たもの。
普通の忍からしてみれば、ごく当たり前のこと。
だが、普通の女の子と言わせるには、ちょっと忍びない、手。
普通の男の子に見られたら、嫌悪されてしまうようなその手を、ネジは労った。
――頑張りましたね、と。
優しい手で悴んだヒナタを、只管優しく包み込んで、どうしてかネジは、それを与えてくれるのだ――。


「後の掃除は、オレがやるので」

うっとりとするような、心地良さの中、その声にヒナタは潤んだ眼を上げた。
ネジが、それに気付いたか否かは、分からないが、彼はまたニコリと笑みを出す。

「あなたは先に、中に入って、ストーブを入れてきてくれませんか? ……そうだな。出来れば、温かい茶も」

あると、助かります、と手を握りながら、幼子に使いでも頼むかのように、一語一語、ゆっくりとネジは告げる。
その様子に、彼が半泣きのヒナタに、多少の配慮をしていることが、何となく知れた。
しかし、屋敷の大掃除は、まだ手を付けていない部屋が、ひとつばかりある。
ネジとヒナタの二人に、割り振られた所だから、自分が行かないと、ネジ独りで行うことに、なる。
でも、と微かに言い掛けたヒナタの声を、ネジが遮った。

        


耳元に、微かな囁きを残して、温かい手が離れた。
途端に、冷気がひやりと手に触れる。
温もりが奪われない内にと、ヒナタは両手を絡ませ、胸に置いた。
遠くなるネジの背中を、暫く見つめた後、それとは反対方向にある母屋へと、素直に足を向かわせた。


――折角温めた手、冷やさないようにね……暖まっていなさい。


暖めた部屋に、ネジを迎えて、そして、特別美味しい茶を、ネジの為に――。
ネジに癒された手を持ち上げ、人知れず、ほろりと零れた温かい雫を、ヒナタはそっと拭い、微笑んだ。






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