ai no kanzashi
□小人靴屋
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※童話パロディ・ネジとヒナタが兄妹設定です。大丈夫な方はお進みください。
とある国の小さな町に、靴屋を営む兄妹がいた。両親を早くに亡くして、以来、靴職人であった父親が遺した店を二人で切り盛りしている。
兄であるネジの靴作りの技術は、決して他所の店と劣るものではなかった。生前に父から教え込まれた手法を忠実に守って、子供ながらに一人前の職人の仕事をしてみせた。
しかし子供だからと甘く見られて、一部の客から寡少な代金を受け取ることも、珍しくはなかった。手を抜くこともしないし、細かな縫製も機械のように均等に仕上げた。然れど親のいない状況で生計を立てることは、簡単ではないのだ。
作業台に広げた裁断前の皮を見て、ネジは静かに溜め息をついた。もう、残りの皮がこれしかない。
精々靴一足分が、出来るというところか。売っても大した金にはならないが、しかしどうにか作って売らなければ。明日明後日の食い扶持を生み出さなければならない。然もなくば両親の庇護を受けない自分達は、忽ち路頭に迷う。
「……兄さん」
心配そうに、何か探るように掛けられた声に、ネジは側に立つヒナタを見た。
ネジより一つ下の大人しい妹。靴の製作に勤しむネジの傍ら、家のことを全て引き受けてくれている。今は唯一の、家族と呼べる存在だ。
「……大丈夫だ、ヒナタ。心配ない」
日々の暮らしの疲れと未来への絶望を押し込んで、ネジが穏やかに、だが力なく目元を緩める。
優しくていつも頼りになる兄の気遣い。だがヒナタの幼い眉目は悲しげなままだった。思い詰めた表情をして、俯いていたネジを、ヒナタは見てしまっていた。
「何とかする。父さんたちの店を、潰したくない」
不安がって側に寄ってくる妹を、そっと抱き寄せる。胸が潰えそうになる現実を、ネジの口からは言い出せなかった。両親はもうこの家にはいない。だからネジが守らなくては。店も、残された妹も。
父や母がいればヒナタにこんな思いをさせずに済むのに。幾ら欲しても仮令声に出してもネジの叫びは届かないし、今という現実は変わらない。明日も明後日もヒナタと二人きりで生きていかなければならないこと。
細い背中を一頻り撫でていると、ヒナタの表情が少しだけ和らいだ。夕飯の準備をしてくると言って、彼女はネジの腕から離れた。
カチカチと静まった部屋に時計の針が響く。ネジはふと気になって、集中していた手元から顔を上げた。時刻は午前0時を過ぎたところだった。
目元を掌で覆って、小さく欠伸をする。手元の頼りないランプの灯りで、皮を型紙に合わせて裁断してきたが、暗闇の中で目を使って、疲れが溜まってきた。
「続きは、明日にするか」
あまり根を詰めるとまたヒナタが心配する。明日の朝早起きして昼間の内に仕上げてしまおう。そう決めると、裁断に使った道具類をざっと片付けて、ネジは寝床へと向かった。
――翌朝。
「これは……」
作業台の前に立ち尽くして、ネジは其処に自然に置かれた紳士用の立派な革靴に目を見張る。どういうことだろう。先に起きていたヒナタに尋ねるが、彼女も知らないと言う。
「こんなに綺麗な出来栄え………初めてだ」
靴屋としての好奇心も潜ませながら、持ち上げてまじまじと眺める。確かに昨夜裁断したネジの型紙通りの靴だ。昨夜は、皮を切るところまで終えて寝たのに、起きてみれば何故か出来上がったものがある。縫製も完璧で、細かなところまで丁寧に作り込まれていた。自分や、況して父の仕上がりですら見たことがない。しかもこの一晩で。果たして人間に出来る芸当なのか。
一体誰が――?
ヒナタは靴の製作には手を出さないので、この家の者ではない。
謎は深まるばかりだが、取り敢えず、ネジは新品の革靴を店先に置いてみた。残りの材料もなく、売り物がこれしかないことには変わりはない。
不思議な心持ちのまま、暫く待っていると、一人の老紳士が店の前を通り掛かった。古惚けた店に一足だけある真新しい靴に、目を留めると、片目の老眼鏡で繁々と見つめて、ネジを呼んだ。
直ぐに売れた。良い品物だと絶賛して、通常の2倍近くの銀貨を払って機嫌良く男性は去っていった。早々と、思わぬ金を得た手に、ネジは呆然とする。
「……売れた……」
ヒナタも隣に来て、靴が売れたことが分かると嬉しそうに頬を緩ませた。
掌の中で擦れる銀貨が、二人にとっての小さな明るみとなる。そっと手を開くと、鈍い輝きが、それを覗き込む兄妹の白い眼に微かな光を添えた。
「早速、新しい皮を買って来よう」
心なしか弾んだ声に、ヒナタも後押しするように頷く。
二人の新たな『始まり』。
狭い通りに埋もれるように佇む、ある靴屋の物語の、始まりだった。
👞
室内に時を刻む針の音が響く。首を上げると真夜中の0時になるところだった。
今日もまた作業を残してしまった。型紙通りに綺麗に切り終えた靴の皮を手にして、ネジは疲労の溜まった目元で出来具合をざっと確認する。
女性物の靴はまた勝手が違うから、思ったより時間が掛かってしまった。でもまあ良い。明日だって目一杯に時間は与えられているのだから。
大方見たところで切り上げることにし、ネジは手元のランプを消すと、寝室に向かった。
翌朝。
またも作業台に存在するチョコレートブラウンのパンプスに、ネジは辟易する。
どうして寝ている間に出来上がっているのだろう。ヒナタに尋ねようとするが、彼女も困ったような顔をしていたので安易に聞くのは憚られた。
持ち上げてみて興味の赴くままに、表面や靴底、パンプスを回しながらネジは丁寧に観察する。これもまた完璧な代物だった。粗を探そうにも、そんなものはない。熟練した靴職人だって、一晩でここまでの品を仕上げられるものだろうか。
思うことは色々あったが、昨日の要領で取り敢えず店に靴を置いてみる。すると通りすがったマダムに一目惚れされて、直ぐに買われていった。対価として支払われたのは昨日よりも目に見えて多い銀貨の数々。
ネジはそれを元手に今度は2足分の皮を買って、型紙通りに切るとその夜は床に就いた。翌朝には完成品が作業台にある。
段々と、慣れてくると不思議に思うこともなくなってきた。ただ、切っておいた分だけ靴になり、それが売れて金になることが分かると、尚更張り切って作業に没頭した。
ヒナタの笑顔も増えてきて、それが何よりで、それ以上難しい方向に頭を捻るのは止めた。ネジの方も少し余裕が出来たのか、思い詰めた表情で物思いに耽ることがなくなり、纏う気配が柔らかになっていた(それが、若しかしたらヒナタの笑む理由なのだろう)。ネジは黙々と、ただ毎夜遅くまで皮を裁断して、毎夜家に来たるかの者の為に『下準備』を続けた。
👡
「に、兄さん………」
午前0時。いつもと同じ時間に作業を切り上げて、床に入った。先に寝入っていたと思われたヒナタが、この夜は、か細い声でネジを呼んだ。
「どうした」
まだ眠ってはいなかったネジが、気付いて返事をする。隣のベッドで布団に包まりながら、ヒナタの眼は眠たげでもなくぱっちりと開いていて、おずおずとネジを見つめていた。
「あ、あのね………い……一緒に、寝てはだめ?」
言い難そうに、口元まで布団を被せて、声が消え入る。
ヒナタはそんなに、小さな子供ではない。だから兄に共寝を求めるのは、普通の感覚であれば恥ずかしいことだった。しかし、甘えたがりの癖があったのは本当に小さい頃で、いつもはネジを頼ろうとはしない自立した妹なのだ。ネジがそっと、配慮してみれば、彼女の望むものが見つかった。
「冷えて眠れないのか」
目敏く薄い布団に伝わる震えを見付ければ、けれどヒナタは何も言わない。言い当てられて困窮しているのか、将又柄にもなく甘えを口にしたことを後悔しているのか、益々布団を被ってしまう。だがネジには、ひやひやとした寒さの沁みる布団の中で、ヒナタが冷たい足先を縮こませているのが、手に取るように分かってしまった。
その瞬間、にっこりと、自然に微笑みが生まれて、ネジは自分の布団を捲ってヒナタを呼ぶ。
「いいよ。ほら、オレの布団においで」
布団から出ていた円らな瞳が、驚喜に満ちていく。ぱあっと面を綻ばせて、ヒナタはいそいそと布団を抜け出した。冷えた空気を連れて、ネジのベッドに入り込む。
狭いベッドがミシリと、二人分の重さに古めかしい音を出して軋む。しかし身を寄せ合って、二人で布団に包まってしまえば、寒くなかった。
「ふふっ……兄さん……」
温まった布団の中で、あったかい……とヒナタはご満悦の表情だ。甘えるような声に、彼女の幼い頃の『甘えた』が、今頃ぶり返してきたようだった。拾ってきた仔猫にでも懐かれたようで、ネジの心も温まる。冷たい空気が入らないようにと、小さな肩をしっかりと布団で包み込んだ。
(……もう、12月だからな)
至近にある、下ろされた繊細な睫毛を見つめながら、ヒナタの寒がりな性分を思い出す。
今度、新しい毛布でも買ってやろう。今まで可哀想な思いをさせてしまった。ヒナタは自分から物を欲しがるようなことはしないのだから。
やがて規則正しく繰り返す、寝息を傍で感じながら、ネジは瞼を閉じた。
―――その後、夜中の内にヒナタは目を覚ました。
何やらネジの仕事場の方から、物音がする。寝惚け眼を擦りつつ、不思議に思って隣で眠るネジを起こした。
「兄さん……何だか、音が聞こえない?」
ヒナタに肩を揺すられて、ネジが身動ぎする。おと……? と眠りから覚めて呟くと、暫し耳を澄ませるようにして間が空く。
「そうか……? ヒナタは、恐がりだから……」
目も開けられぬ程眠いのか、将又面倒がっているのか、ネジは瞼を下ろしたまま微睡み始める。もう一度呼び起こすも、まるで相手にしてくれない。しかし、聞こえてくるそれは、いつまで経っても鳴り止まず、ヒナタは気になって、そっとベッドから抜け出した。
靴の工房へと続くドアの隙間から、小さな光が漏れている。ネジがランプを消し忘れたのだろうか。静かにドアに近付いて、隙間から室内を覗き見ると――。
じわじわと、ヒナタの円らな瞳が時間をかけて大きく開いていく。音の『正体』を目にしたヒナタは、目と一緒に口もあんぐりと開けて、そのままの顔でネジの元に戻った。
「に、にいさ……にいさん」
足音をさせぬよう、急いで寝室に戻ると、眠りに落ちているネジを揺り動かす。
「あ、あのね……こ、こびとさんが、くつを」
焦って上手く継げない言葉を、必死に押し出して、体を揺すり続けていると、こびと……? とネジが眉を顰める。ヒナタの言う夢見がちな単語を、寝惚けた頭で考えようとしているが、どうやら匙を投げた。
「…………夢でも見たんだろう、ヒナタ」
「ちがうの……本当に……」
叱りつける訳でもなく、ただ静かに、もう寝なさい、と言い付けられて、ヒナタは唇を結ぶ。
ネジも、連日の靴作りに疲れているのだろう。その内にすやすやと寝息が聞こえてきて、それ以上話し掛けることも出来ず、仕方なくヒナタはネジの布団に潜り込む。
瞼を閉じても、小さな物音が漏れ聞こえてきて、布団の中でそわそわとしていたが、いつの間にか睡魔がやって来て、ヒナタは意識を離した。