うたぷり
□あなたからの卒業
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寿先輩に出会ったのは、一緒に早乙女学園を卒業した皆がデビューして、私だけがデビュー出来なくて焦っている時だった。社長から出されたデビューの条件を満たすために4人の先輩の中から寿先輩を選んだ。先輩には直感だと言ったけど、本当はただ優しそうだなって思っただけだった。それから、私がデビューするまで先輩はパートナーとして曲作りだけでなく、この業界で生き残るためのノウハウを色々教えてくれた。たった半年の間だったけど、私は普段はどちらかというと不真面目な感じなのに、仕事には真剣で誰にでも気遣いができて笑うと目尻が下がる笑顔の先輩が大好きになった。デビュー出来てからは、パートナーを解消したけど、私は先輩を今も想い続けている。
ただの後輩だと分かっているのに、いつも優しい先輩に期待してしまう。そんな気持ちが溢れていたのか、その事が一ノ瀬さんに知られてしまい、今では一ノ瀬さんはただの友達ではなく困った時に助けてくれる心の寄りどころとなっていた。
でも時折、あの日の一ノ瀬さんが頭を過ぎる。
『いつでも私を呼んで下さい』
そう言った一ノ瀬さんは、涙を流す私を労るように優しく抱きしめてくれた。恋人でもないのに甘えて縋るなんて最低だと思ったけど、何度も頭を撫でる一ノ瀬さんの手が暖かくて縋ってしまった。
それから、一ノ瀬さんと何度か食事を一緒にとってもらったり、気晴らしにとショッピングに誘ってもらったりした。初めは戸惑ってしまったけど、いつの間にか一ノ瀬さんと会うのが楽しくなっていた。
寿先輩が好きなくせに、都合よく一ノ瀬さんを利用して、自分は最低の人間だと思う。でも、一ノ瀬さんと居るとどこか心地よく感じているのも事実で、この曖昧な関係を崩したくないと思ってしまっていた。
「一ノ瀬さんとあんたって付き合ってるの?」
久しぶりに部屋を訪れてくれた友ちゃんからのいきなりの質問。
「………」
あまりにも突然すぎて、絶句してしまう。
「あ、ごめん!言いたくない事ならいいよ。社長にバレたらマズいし!」
「ううん、違うの。そうじゃなくて…」
私と一ノ瀬さんの関係はいったいなんて説明したらいいんだろう。恋人ではない、だからといって普通の友達という位置付けとは違うような気がする。
「なに?なんか悩んでたりする?」
私が黙り込んでしまったのを心配して、友ちゃんが顔をのぞき込んだ。
「ううん、大丈夫。えっと、一ノ瀬さんとは付き合ってないよ。普通に友達」
友ちゃんに心配をかけないように笑顔で答える。
「そう、それならいいけど。一ノ瀬さんはあんたの事好きだと思うけどな…」
「え…?」
「え?って気付いてなかったの?!学園にいた時から絶対、春歌のこと好きだったわよ!あんたを見つめる頻度、半端なかったもの!」
友ちゃんが身を乗り出して力説する。
「き、気のせいだよ…。ヤダな〜友ちゃん冗談上手だね」
ぎこちなく微笑んで、コーヒーを飲む。私の仕草をじっと見つめて「絶対なんだからね!」と念を押すように言った。
一ノ瀬さんが私を?
まさかそんな訳ないとその言葉を打ち消す。
だって私が好きなら、寿先輩とのこと応援する訳ないよ。
きっと友ちゃんの気のせい。絶対そう。
友ちゃんに一ノ瀬さんは私が好きなんじゃないか、と言われてから、そんな訳ないと打ち消したはずなのに、気持ちのどこかにその言葉が残って渦巻いていた。あの日から仕事が立て続けてあり、特に一ノ瀬さんにも会う事もなかったのが、せめてもの救いのように思っていた。
「七海さん、こんにちは。スケジュールの確認ですか?」
事務所の入口で偶然、一ノ瀬さんと会った。
「…は、はい。一ノ瀬さんもですか?」
なるべく自然に返事をする。
「少し打合せもありまして…。七海さん…大丈夫ですか?」
「…な、何がですか?あっ仕事は結構順調なんですよ」
笑顔が引きつっていたでしょうか。自然にしようと思えば思うほど、普段どんな顔をして一ノ瀬さんと向き合っていたのか分からなくなる。
「…そうですか、何か困った事があったらいつでも言って下さい」
心配そうな視線に胸が痛くなった。
「ご心配をおかけしてすみません」
「いえ…、…寿さんと何かあったのですか?」
事務所の廊下を歩きながら、声を潜めて一ノ瀬さんが話題をかえる。
「え…」
そういえば、寿先輩とはしばらく会えていない。それなのに、一ノ瀬さんの事ばかり考えていました。
「違うのですか?何か思い詰めた顔をされていたので…」
ただ友ちゃんに言われた言葉が離れなくて、一ノ瀬さんとどう接したらいいのか迷っていただけなんです。勘違いなんだから、考えたって仕方ないのに今まで通りでいいはずなのに…そんな事を考えれば考えるほど普段通りが分からなくなってしどろもどろになる。
「えっと…っ…」
その時、心配そうに見つめる一ノ瀬さんの瞳にドキドキして、嬉しく思う自分がいることに気づいた。
「ち、違います!大丈夫です!本当に何もありませんよ」
そんな訳ない、そう自分に言い聞かせて何か言おうとした一ノ瀬さんを振り切って近場の会議室に駆け込んだ。
「あれ、後輩ちゃん?お疲れちゃ〜ん☆」
「…あ…寿先輩、お、お疲れ様です」
たまたま入った会議室に寿先輩が居て、動揺してしまう。私が勝手に先輩を好きなだけなんだから、一ノ瀬さんにドキドキしてしまった事なんて何も関係ないのに、なぜか後ろめたい気持ちになった。
「どうしたの?顔真っ赤だよ?」
先輩が笑って私の頭の上に手を置く。先輩の笑顔が見えてとても気持ちがほっとした。やっぱり、私は寿先輩が好き…。だから、一ノ瀬さんが気になるのはきっと気のせい。
「なんでもありません。突然、部屋に入ってすみませんでした。もう、行きますね」
すぐ出て行こうとする私に先輩が声をかける。
「そんな急いで行かなくても大丈夫だよ♪ちょっと資料読んでただけだし。そうだ!曲のラフとかできた?スッゴい楽しみにしてるんだけど☆」
「は、はい!丁度、今あります!本当にラフなんですが、聞いて頂けますか?」
「もちのロンだよ☆」
私は先輩に促されるままパソコンから先輩の新曲として作ったラフ曲を流す。目を閉じて聞く先輩の顔を見ながら、曲が終わるのを待った。
「うん、僕は好きだよ」
先輩は良いと思ったら素直に誉めてくれるので、この反応はダメだったんでしょうか。
「でも…、う〜、ごめん!はっきり言うね。ちょっと僕のイメージじゃないかな。なんだかトッキ…いや、なんでもない」
トッキ?
「すみません、もう一度作り直してきますね」
先輩にここまではっきり全ボツをもらった事がなかったので、やっぱり少しショックですが、仕方ありません、私もプロの作曲家です!先輩のイメージをもう一度考えて作り直しましょう。
先輩の新曲を作り直そうとして数日。いつもなら何も考えなくてもメロディーが浮かんでくるのに、ちっとも思うようにメロディーが浮かばなくて、ピアノの周りには丸めた五線譜が散らばっていた。
…ーン
また、五線譜を丸めて投げる。そして、もう一度ピアノに向かおうとしたら、遠くで何か音が聞こえた。
…ポーン
ピンポーン…
家のチャイムです!慌てて玄関の扉を開けた。
「…っと!急にあけるのは不用心ですよ、七海さん」
「…一ノ瀬…さん…」
そこには、予想もしていなかった人が立っていた。
「突然すみません。一応、事前にメールはしたのですが、見てませんよね?」
優しく微笑まれると、顔が熱くなった。
「あっ!すみません、そのずっと作曲してまして携帯の確認をしてませんでした。本当にすみません」
私は何度も頭を下げて謝った。
「いえ…先日の事が少し気になったので。お邪魔でしたか?」
先日、偶然一ノ瀬さんと事務所であった時の事ですよね。
「今、ちょうど煮詰まってたんで、大丈夫です」
一ノ瀬さんが差し入れですといってケーキの箱を掲げた。
「あの、良かったらどうぞ」
少し迷ったが、心配して家まで訪ねてくれた一ノ瀬さんを避けるなんて出来なくて家にあがってもらうことにした。
玄関を上がってもらってから、部屋の中が丸めた五線譜で散らかっていることを思い出す。
「あ!あの、一ノ瀬さんちょっと待ってもらっていいですか?!」
一ノ瀬さんをリビングに続く廊下に残し、部屋に丸まって散らばった五線譜を集めた。
「…手伝いましょうか?」
後ろから一ノ瀬さんの声がして振り向くと、一ノ瀬さんは廊下ではなくリビングに入ってきていた。
「すみません。気になったもので」
そう言いながらクスクスと口元に手を当てて笑っていた。
私は声をあげることもできずに、恥ずかしさに俯くしかできなかった。見られてしまったので仕方なく、一ノ瀬さんにも五線譜を拾い集めるのを手伝ってもらった。
「…それにしても」
なんとか一段落し、お茶を入れて戻ってくると一ノ瀬さんがつぶやいた。
「顔色がよくありませんね。食事はきちんと取っていますか?」
ローテーブルにお茶を乗せていると、不意に一ノ瀬さんが私の前髪をかき上げた。
「…あ…」
「顔が赤いですね。熱はないようですが、無理はいけませんよ」
一ノ瀬さんは優しい。でも、その優しさをどう受け止めていいのか戸惑ってしまう。
「大丈夫です…」
ドキドキして赤く火照った顔を逸らした。
「煮詰まっていると言っていましたが、私に手伝える事はありますか?」
「そんな!大丈夫です!」
「私には大丈夫に見えませんが…」
拾い集めた五線譜を見つめて一ノ瀬さんが言った。あのボツ案を見たら言い訳にもなりませんよね。私はゆっくりと寿先輩の新曲のラフを作り直す事になった経緯を説明した。
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