les fatras

□玉兎
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 彼女には弟が一人、妹が一人いた。

 彼女の弟は、例えば兄弟で森に宝探しに出かけたとすると、姉が飽き、妹が怖がって尻込みしたとしても、一人で平気で森の中を駆け回ることが出来るような、そんな子だった。
 闇を恐れず、溢れんばかりの好奇心を味方に生きていた。

 弟に遊びに誘われると、彼女は決まってその辺りで一番高い木の上に登って、ここまでこれたらあそんであげる、と言うのだった。
彼女は弟が高い所や足場の不安定な所が苦手だと知ってわざとそうする。そうして、弟の悔しそうな顔を見るのが好きだった。

 たまに彼女が乗り気になり、意地悪をすることなく弟と遊んだ時は、決まって二人で末の妹を焦らして泣かせた。
 彼女の弟は優しかったが、その優しさを上手く伝えるのが下手だった。上手く伝えるのが下手なくせに、下手なことを隠すのも下手だった。
二人で妹を虐めた後も、彼は必ず謝っているような謝っていないような、むしろ挑発しているようなそうでもないような、良く分からないはっきりしない言葉を妹に投げかけた。

 つまるところ、彼女の弟は優しかったのだ。


 彼女は、高い木の上、誰も登ってこれないような木の上に居るのが好きだった。その日も、彼女はそうして木の上でゆったりとくつろいでいた。
 もうすぐ日も暮れようとしていて、昼でも夜でもない、そんな夕刻の中途半端な空気を楽しんでいた。


 弟を見つけたのはそんな時であった。

 彼は走っていた。何処から走っていたのか、何処へ行こうとしていたのか、それは今でも分からない。
 だが、弟は走っていた。必死に、自分の持てる力全てを出して走っているわけでもなく、かといって走るということそのものを楽しむような、ゆっくりとした走りでもなかった。
 彼女の弟は、ただ、走っていた。ただ、走る。それだけだった。
 彼女は不思議な気持ちで、じっと弟を見続けた。

 銀灰色の弟は、颯爽と、夕日を背にして走っていた。足が地を蹴り、筋肉がしなやかに動く。表情は、隠れていて見えない。
 彼は彼女の居る方には目もくれず、真っ直ぐに走っていた。
 彼は真っ直ぐに走って行き、その姿は次第に闇に溶けていった。

 そんな弟の姿を、彼女は美しいと思った。
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