les fatras

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君に会いに来たんだ
 Je suis venu pour vous....<2/3>






A. 亮



 結花梨と別れるつもりは無かった。上手く行っているとさえ思っていた。
 彼女は大学のサークルで出会った、俺の一つ下の後輩だった。俺が二年で、彼女が一年の時だった。
 それはそこそこ大きいサークルで、だから人もそれなりに居て、ましてや俺と結花梨との間には学年差があって。さらには、それまでほとんどと言って良いほど話したことの無い間柄であったから。
 夏休みが開けてからまだ間も無かった九月中旬の、まだどこか蒸し暑い空気の中で結花梨が付き合って欲しいと言った時、そのときに反射的にあぁと答えてしまった時、彼女をどこの誰だか認識していなかったことも、致し方ないのではないかと、俺は考えていた。
 少女漫画ではないのだから、現実なんてそんなものだろう。
 それでも彼女とはクリスマスを二度一緒に過ごした。結花梨は過去に出会った女の子の中で最も好ましいタイプだった。
 一つ前の彼女はメールのやりとりを何よりも大切にするやつだった。
 もう一つ前の彼女はやけに見栄っ張りで、一度食事をするのに四回もお手洗いに立った。
 その点結花梨はさばさばしていて、一緒にいて心地良かった。いつも見守っているのでなくとも、きちんと自分の足で立って歩いていけるような、しっかりとした子だった。年下ではあったけれども、甘えるタイプでも、ましてやねとねとと媚びるタイプでも無く、
そして俺はあまり甘えられるのが好きではなかったから、特に、あの女子特有の、砂糖菓子のような黄色い声が苦手であったから、結花梨の落ち着いた声を気に入っていた。
 そりゃ、もちろん、女子に甘えられるのが逆に好きな奴もいることは知っている。否定しているわけではない。性に合わないのだ。
だから、俺は結花梨が気に入っていた。
 そしてなによりも、俺は結花梨が、俺を気に入っていることを知っていた。

 なのに、どうして。
会うことを目の前で拒まれたのは初めてだった。

 もちろん、二年も付き合っていれば、会いたいときに会えないなんてよくあることだ。
でも、『会えない』ということと『会いたくない』ということとは絶対的に違う。結花梨に会いたくないと言われた、というその事実は、俺を苦しめた。何をしにきたのだと問い詰める結花梨の瞳が、頭の中でリフレインする。別れよう、という内容のメールをもらって、信じられなくて、取るも取りあえず来たのだ。何をしにきたのか、という問いは愚問だ。

 愚問だが。
 ――答えられない。

 俺は一体何をしにきたのだろう。
 向こうが別れたいというのだから、別れるしかないじゃないか。理由なんて分からないけれども、分かった所で仕方がないのだから。恋は、二人でいないと成り立たないのだ。


 『何しにきたの』
 彼女の声が彼の耳で木霊する。
 それは揺れて、響いて、崩れて、声が、彼女のものとは違う、別の者の声になる。
 そいつもそう言った。そいつも、自分の恋人に向かって、そう言ったではないか。

 彼ははっとした。結花梨を分かったつもりになっていた。俺と彼女は、全く別個の人間だというのに。分かっているような顔をして、本当は何にも分かっていない。


それでも、今、一つだけ、はっきりと分かったことがある。
 結花梨の、質問の答え。
 俺はドアに手を当てた。結花梨は絶対にいる。このドアの、すぐ向こうに、絶対に、いる。

 「結花梨っ」
 ためらわずに声をあげた。
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