les fatras
□仇請負人
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人気の無い、月も姿を隠す牛刻。
二つの人影が木造のアーチ状の橋に立っていた。
辺りには水音しかせず、静かな夜であった。
季節は冬ということもあり、影達からは白い息がほわりと舞い上がる。
空気は冷え切っていて、静寂な場を更に冷たいものにしている。
「貴公は安藤吉直か」
そんな中、一人の発した声は抑揚も無く、男性特有の低い声で問うた。
感情が分からない、冷めた声である。
「手前から名乗るのが礼儀であろう」
安藤何某と呼ばれた男は、不服そうに言った。こちらからは不満さが伝わってくる。
「これは失礼、私は仇請負人。吉継殿の依頼で貴公を討ちに参った」
仇請負人と名乗る男は、夜色の外套に身を包んでいるため、表情は一切見えない。
それは、まるで人間でない妖のようで不気味である。
「何故、吉継が来ない」
気に食わないのか、安藤は首を何度も横に振りかぶる。その度に黒髪が乱れる。
「仇請負人が来たということは既にお分かりであろう」
そういって男は苦笑した。初めて見えた表情は侮蔑であった。
「もしや……」
「そう。吉継殿は亡くなられた。
只、生前に吉継殿の父上殿を殺した仇を取って欲しいと私に依頼したのだ。
自分の仇を、血の繋がりのある兄を他人の手に掛けてもらうことを望んだのだ。
そして私が請け負った」
安藤は、腰に佩いていた刀を素早く抜くと男に向けた。
「そうか。なれば致し方ない」
「私を吉継殿と思って死合って頂きたい。それが私の役目だから」
男はそう言うと、身に纏っていた外套を脱ぎ捨てた。
そして、手にしていた槍を構えた。その構え方は片手で持つだけ、という独特なもので、安藤には見覚えのある人物と姿が重なった。
「吉継、なのか」
思わず彼は呟いてしまった。
先程のやり取りで、弟は死んだと理解しているはずなのに。
「兄上……」
今目の前にいるのは、どう見ても先程の男とは別人のようだった。
声も、呼吸の仕方も自分と血を分けた兄弟のものに違いない、と脳は叫ぶ。
でも違うのだ、彼は死んだのだ。
死んだ者が生き返るなぞ、有り得ないのだ。
「やめてくれ」
弟が来ることを望んだ男が、今、偽の弟の存在に激しく動揺し拒絶している。
「兄上、兄上は何故父上に手を掛けたのですか。
私には解せません、どうか訳を教えてください」
無感情だった男の声は、今にも泣き出しそうな、哀しみの詰まった、甲高いものへと変わった。
「やめろ」
安藤は何を思ったのか、ふるふると身を震わせてそれでも刀を向けて男を睨んでいる。
「兄上、教えてくれないのですね。分かりました。吉継は本気で参ります」
槍を持っていただけで、何もしてこなかった男は、遂に得物を振りかざした。
負けじと、安藤も干戈を額の前に構えて受け止めた。
そして跳躍するかの如く、槍を押し返すと、防御の構えで相手を迎え撃つ。