Treasure

□サイショカラ
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 そのメールを受信したのは、真選組屯所での着任の挨拶を済ませ、無事に帰宅し、風呂上りに缶ビールを開けてぐいぐいと飲んでいた時だった。
幕府に勤めて5年。今朝、春の異動人事に伴い、真選組の監査役に正式に任命された。女性で、しかもこの若さでの監査役は異例のようで、あたしは幕府内でちょっとした有名人になったらしかった。

ただ、隊員は皆例外なく厳しい鍛錬を積んできた男性で、それを束ねる監査役に女性のあたしが着くことになるという事実は、少なからず不安だった。しかし局長の近藤と、彼に実に忠実な隊士たちを見てそんな不安は吹っ飛んだ。たぶん彼らに監査は必要ないのだ。近藤がいるから。
おかげで思う存分あたしの仕事に専念できる。そう思ったら、とても気が楽になった。

それで、とりあえずビール。
無事に着任の挨拶もできたし、あたし自身にお疲れさんと言ってやりたかった。濡れた髪をタオルでひとつにまとめて、一気に半分ほど飲む。火照った体に、キンキンに冷えた金色の液体が気持ちよく染み込んでゆく。これだからビールはやめられない。
ふと、机の上に放っておいた携帯が鈍く震えているのに気付き、一件の受信メールを開いた。


『知っているぞ、お前が誰なのか。』


タイトルなし。本文はこれだけ。差出人は、これは所謂サブアドレスというものだろうか。どこの誰が差出人かまったくわからない。

「…くだらない。」

すぐに削除しようと思ったけれど、やめておいた。


 午前6時。真選組の朝は早い。だからあたしの朝も必然的に早くなる。
中庭に芽吹いたばかりの若葉を眺めながら、昨日近藤に指示された通り、応接室で案内を待った。持参した真選組の資料を鞄から取り出す。これからこの資料に肉付けするのが、あたしの主な仕事になる。色褪せてボロボロになった畳にきちんと正座して、ぱらぱらとページをめくった。

「どうも。」

声に顔を上げると、1番隊隊長の沖田がこちらを見下ろしていた。昨日は気付かなかったけれど、近くで見るとまだ少年だ。

「沖田くん、おはよう。」

「監査役ってなァ、毎日来るもんなんですかィ?」

思わず笑ってしまった。近藤以外の上司はいらないってわけね。

「仕事だからね。」

「へぇ…。ところであんた、マヨネーズは好きかィ?」

この子何を聞きたいのかしら。
開け放たれた障子にもたれかかって、少年はゆるりと微笑む。

「…正直苦手ね。油っぽくて。」

ふ、と楽しそうに彼は笑った。顔だけは天使みたいに綺麗。

「…あんたとは気が合いそうでさァ。仲良くやろーぜ。」

ニマリ、そんな感じの笑みを浮かべた少年は、右手を差し出し握手を求めてきた。

「…よろしく。でも、その手のひらの画鋲は何かしら?」

あたしもナメられたものだ。そんな古典的な手に乗るわけないじゃない。

「…チッ。
仕事部屋に案内するんで、ついて来てくだせェ。」

「ええ、ありがと。」

少年はあたしの手に、3秒前までトラップとして手のひらに忍ばせていた画鋲を押し付けて、さっさと歩きだした。とんでもなく生意気。


 応接室を出て、廊下を東に進む。つきあたった部屋を顎で指して、少年は呟いた。

「ここがあんたの部屋でさァ。」

整った顔に浮かぶ、優しそうな笑み。こんな笑顔に、10代の頃のあたしだったら簡単に引っかかったかもしれない。

「じゃ、俺忙しいんで。」

そう言って沖田が体を翻したので、襖に手をかけて扉を開けた。瞬間、目の前を黒がよぎった。

振動。

ずだん、という音と共に床を揺らした物体が、目下に突き刺さっている。

「!」

たぶんあたしは真っ青な顔をして、体を震わせていたと思う。もし一秒でも速く部屋に足を踏み入れていたら、今畳に突き刺さっている包丁はあたしの脳天を割っていただろう。柄の部分にはワイヤーが巻きつけてあり、どうやら襖が開かれたらこのワイヤーが切れて、ずどん、という仕組みだったようだ。

「あらら…監査、怪我はねぇかィ?」

ひとつ、大きく深呼吸した。とにかく、落ち着かなくては。

「…沖田くん、近藤局長か土方副長はいるかしら?至急呼んできて。」

「必要無ェ。」

振り返ると、いつの間にやってきたのか、副局長の土方が煙草を咥えて直立した凶器を眺めていた。

「これは何事だ。」

「見ての通りでさァ、何者かが監査を狙ってるらしい。」

何者かがあたしを狙って…狙って?

「…どうして、あたしが狙われたと言えるの?」

土方は表情を変えずに、煙草を燻らす。

「何がですかィ監査。」

「襖を開けたのはあたしだったけれど、あの仕掛けでは誰もが被害者になりうる。あたしが狙いだと断定できるのは仕掛けた人だけよ?つまり沖田くん、」

ちきり、と刀を抜く音が聞こえた。瞬間、あたしの首に冷たい感触。
静かに、でも冷えた眼をして副長が、ふーっと、綺麗に煙を吐き出した。

「バレちゃあ仕様がねぇ。あの一撃で終わるはずだったってのになァ。」

背中に張り付いた、一回りも年の離れた少年。耳許でひっそりと彼が笑う。
土方に目を向けると、憎らしい程美しい笑みを浮かべていた。

「…メール、あんた?」

押し当てられた刃の感触に、背筋がぞわりとする。

「最初にあんたの正体に気付いたのは俺でさァ。でもメールは俺じゃない。」

一瞬力を抜き、刃とわずかに距離を作って、後ろにある腹を思い切り蹴った。そのまま胸元に仕込んだ小刀を抜き、蹲る彼に、斬りかかった。しかしそれと同時に心臓を的確に狙った鋭い突きがあった。それを剣先で受け流し、鍔迫り合いに持ち込む。

「土方…!」

「悪いな、メールは俺だ。」

床に目を向けると、沖田は蹲ったまま顔をこちらに向けて、天使のような頬笑みを浮かべていた。

「…あんた、いつから…。」

「最初からだ。メールしただろ?お前が鬼兵隊の密偵だと知っているって。」

…やられた。ここに来るために、わざわざ幕府に5年も潜入したのに。

あぁ、力が、入らない。
鋭く冷たい眼をした男は、素早くあたしの刀を弾き飛ばす。

「…ごめん高杉、失敗しちゃったよ。」

痛みがあたしを貫く。
………寒…い




  

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