西へ東へ

□陽光
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屋敷の外に出てみると、うっすらと海の向こうが明るくなりはじめていることに気付いた。
心なしか、海から吹き上げてきた風は、朝の爽やかな匂いを孕んでいる気がする。

ふと腕時計に目を落とすと、午前四時十分だった。

真夜中に屋敷に襲撃をしかけ、連中の鎮圧と手当てにこれだけの時間が経っていたのかと驚いた。


屋敷の前の通りに出ると、騒ぎを聞きつけてやってきた町人が数人、遠目でこちらの様子を伺っていて、何人かの隊士が町人に説明をしているのが見えた。

その前で、浪士を乗せたパトカーが順に道路を横切っていく。
それを見送ってから、ふと屋敷の方へと振り返ると、総悟があの女を連れて出てきた。


辻ヶ花模様の渋い紫色の着物を着て、浮かない表情をし、片手には黒い鞄を持った……あの女。

どういうわけか、それは少し前に、廃墟の街で怪我を負って動けないところを助けられたあの女と同一人物のようだった。


女は、なぜかこの屋敷にいた。


総悟と供に連中のボスの部屋から出てきたかと思うと、ボスの病気の看病のために、この屋敷に呼ばれたんだという。

しかも、ボスは病気で先刻亡くなっていた。

それを看取るために来たと女は簡潔に説明するなり、屋敷に転がっている怪我人の手当てを始めたから驚きだ。

詳しい説明も聞けないまま、女は総悟を連れて、真選組、浪士、関係なく怪我人の応急処置に周り、それらを終えたのがつい先程のことだった。



俺の視線に気付いた女が顔を上げると、総悟と供にこちらにやって来た。


「土方さん、怪我人の手当ても終わったし、浪士も順々にパトカーで連行してやす。この人どうしやすか。事情聴取しねーといけませんよねィ?」

「ああ。悪いが屯所まで一緒に来てもらおうか」


そう言うと、女は僅かに眉を上げた。そして、明らかに不満そうな目で俺を見て、言った。


「言っておくけど、私は関係ないですよ。攘夷だとかテロだとかに関わった覚えなんて一つもないんですから。だから、帰してもらえないですかね」


うっとおしそうに言うと、女は黒い鞄を肩に担ぎなおし、帰ろうと踵を返す。そこを、総悟ががっしりと腕を取った。振り返った女がため息を吐く。


「だめでさァ。あんたは現場に居合わせたんだから。関係あろうとなかろうと、とにかく一度事情聴取しねーと」

「それって、任意じゃないの? だったら断る」

「任意じゃありやせん。強制ですぜ」


しばらく二人の睨み合いが続いた。一向にどちらも譲らない。
いい加減じれた俺が、おい、と声をかけると、ようやく二人は視線を外してこちらを見た。なぜか俺が二人に睨まれて、少し胸糞悪くなる。


「おい、俺を睨むな。とにかく、あんたには来てもらわないといけねーんだよ」


じっと、女の目を見据えて言うと、女がじろりと俺を一瞥して、分かった、と小声で吐き捨て、仕方なく歩き出した。

すでに、屋敷の周りに乗せたパトカーは浪士を乗せていっぱいだったので、屋敷からしばらく歩いたところに停めてあるパトカーまで歩かなければいけない。
俺は、総悟と女と供に、屋敷を離れた。



屋敷から町の外へと続く道路は、くねくねとしていて、海と森に挟まれている。東側にある海は断崖絶壁で、西側に広がる森を抜け山を越えると、もう隣の県だ。

森を抜けるのは案外簡単で、低い山を越えるのも容易らしく、春や秋には山菜狩りだの、紅葉を見に観光客で賑わいをみせるそうだ。

これも全て山崎が町人から得た情報だった。
連中がこの地を選んだのは、もしかしたら、海からも山からも逃げやすい場所だからかもしれない。



「ところで、あんた一体どうやってここまで来たんですかィ?」


俺の後ろを、女と並んで歩いている総悟が尋ねた。


「送ってもらった。知り合いに」

「知り合いって誰ですかィ」

「常に転職してる、哀れな、まるでだめなおっさん」


女はだるそうに答えた。

つーか、誰だよそれ。

聞こうと思って振り返ると、女の顔色が優れないことに気付いた。
先程まで気付かなかったが、青白い血の気のない顔をしている。疲れなのか貧血なのかは分からないが、とにかく体調がよくないことは、一目瞭然だ。


「おい、あんた、大丈夫か。顔色悪ィぞ」


海沿いの道路に出て、森の脇に停車しているパトカーが見えたところで声をかけると、女はぼんやりとした目で俺を見上げて、黒い鞄を担ぎなおした。


「ちょっと、気分が悪いかも」


そう言って口元に手をやり立ち止った女は、停車したパトカーを見てから、俺と総悟の顔を見比べた。


「ちょっと、吐きそう。あっちで吐いてくる。いいでしょ」


小さな声で弱々しく吐き捨てた女が、森を指差した。
吐いているところを見られるのが嫌なのだろう。仕方ない。

「俺がついていく。総悟、お前はパトカーで待っててくれ」

「へいへい。土方さん、二人きりになったからって、襲うんじゃねーぞ」

「誰が襲うかァァァ!」


叫んで、女の鞄を持ってやると、女は小さく頭を下げて森の方へと入っていく。
俺はその後を追いかけた。


女は、道路が見えなくなったところで、木陰に腰を下ろした。
それから、俺に背を向けて、懐から手ぬぐいを取り出すと、それを口に当ててげーげーやりはじめた。

吐いている時に近寄ってほしくないだろうと、俺は少し離れたところからその様子を見守っていたが、ふいに振り返った女に、手招きをされた。


「ちょっと悪いんですけど、背中さすってもらっていいですか」


何で俺が、と思ったが、ぐっと我慢した。

俺も、この女に危ないところを助けられたのを思い出したからだった。


それにしても、この女は、俺と再会してからというもの、以前助けたことを全く口にしていない。

もしかしたら俺のことなんか忘れてしまったのかもしれないと思うと、自分から口にするのはなぜだか悔しくて黙っていたが、こうまで無視されていると、本当に忘れられてしまったのかもしれない。

聞いてみようか。
そう思いながら、草を掻き分けて、女の下へと近付いた。

女の横にしゃがみこんで、どれだけ吐いたか草むらに視線をやったが、女の足元には何も吐しゃしたものは無かった。


「……おい」


不思議に思って女の横顔を見やった瞬間、女の口端が吊りあがったのが見えた。

不審に思ったその瞬間、俺の腕に何かがぐさりと突き刺さった。



 
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