西へ東へ

□一寸先
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裏路地はビルに挟まれるようにして伸びている。

一本道ではなく、ビルとビルの隙間に道があり、それはあちこちに入り乱れていた。

深夜。頼りない街頭やビルから漏れた明かりでは暗すぎる。
そのせいで、逃げた二人がどこに入り込んだかわからない。

行き止まりの道もあれば、どこかに通り抜けできそうな長い道もあったが、どれも先が見えない。

一本一本の道を探していくしかないのだろうが、そうしている間に逃げられてしまうだろう。


気ばかりが焦って足を踏み出せずにいると、どこからか声がした。


「だから、そいつは……俺じゃないんだ」


息も絶え絶えに男の声で確かにそう聞こえた。
しかし、どこからこの声が聞こえてきたのかわからない。

耳を澄まして、足音を消してそっと歩みを進め、近くの道を覗き込んで確認していく。


「それじゃあ、なぜその名を名乗っているの?」


次に聞こえたのは、女の声だった。ぜーぜーと呼吸をする音が続く。

意外にもすぐ近にいる。
路地を右に曲がった先から聞こえてくることがわかり、足を止めた。


路地の先からは、呼吸を整える息遣いが聞こえてきた。

やはり。二人の呼吸が乱れていることから、今しがた逃げてきた浪士に違いなかった。

ここで逃がしてはいけない。
気配を消して、ビルの壁に背中をつけて様子を伺う。


路地の先には道はなく行き止まりになっていて、パソコンや冷蔵庫などの使えなくなった電化製品が積まれたゴミ置き場になっていた。
街頭が一つあるだけで、ここからでは姿が確認できないが、どうやら二人はそれらのゴミに身を隠しているようだった。

俺たちを振り切ったと思ったのだろう。こちらの存在には気付いていないようで、会話を続けている。


「だから、買ったんだよ。俺の本名は別にある」

「じゃあ、あなたはあの街の出身ではないっていうの?なら、本物はどこにいるのか教えて」


どこか切羽詰ったような女の声がした後、男はうんざりしたように言った。


「あの時代は戦争で混乱してた。生死が確認できない連中を探して、生きていると見せかけてそいつに成り済まし、戸籍をとってそれを売りさばく連中がいた。俺はそいつらから戸籍を買っただけのことだ」

「……だから、あのビルも偽名を使わずに借りたの?」


驚くほど冷たい声で女が聞いた。

その声を聞いた瞬間、どこかで聞いたことのある声だと気付いた。しかし、どこで聞いたのか思い出せない。

大体、この女は誰だ?
まさか、この女があのビルの浪士たちを眠らせたのか?


「そうだ……。それ以外に何があるってんだ?もういいだろう?真選組から俺を逃がしてくれたことは感謝してるが、俺が答えられることはそれだけだ」

「ちょっと待って!その前に戸籍を売った男を教えて」

「いい加減にしろよ!」


男が叫んだ後、どんと鈍い音がした。


「あんな時代から転売されてた戸籍だぞ?生きてたら名乗り出てるはずだ。それなのに今の今までないってことは、もう死んでるに決まってるだろうが!このッ!」


がっと肌を殴る音がして、どんと何かにぶつかる音がした。
直後、男が立ち上がった気配がして、俺は飛び出した。


「待て。このまま逃げられると思ったか?」


積み上げられた電化製品から、男が顔を出すなり目を大きくした。男は逃げようと背中を向けたが、先に道はない。
あっと声を出して、男は冷や汗を流して固まってしまった。

見たところ丸腰だった。抵抗をしようにもどうしようもない。
そう悟ったのか、男はくそっと吐き捨てると、両手を上げた。


「手を組んで頭に乗せてこっちに来い」


男はちくしょうと吐き捨てながらも、その言葉に素直に従って、ゆっくりとこちらに歩いてきた。

男の手を掴んで引き寄せると、手の甲に血が付着していた。女を殴った時についたのだろう。
上着から出した手錠で男を拘束したところで、遅れて隊士たちがやってきた。

拘束した浪士を隊士に任せて、再びゴミ置き場の方へ向き直る。


「おい、そこに隠れている女。お前も出て来い」


冷蔵庫の陰に隠れた女に言いながら、鞘に手をかけたまま奥へと回り込むと、ゴミ置き場は意外にも街頭で照らされてはっきりと周囲を確認できた。

そして、冷蔵庫に背中を預けるようにして座っている女を見つけて、驚いた。


それは、突入直前にビルに戻っていったはずのホステスだった。


いや、違う。
確かにビルを出て行ったホステスと同じ着物を着ていたが、それは彼女ではない。
どこか、そう。きっとあの立体駐車場で入れ替わったのだ。


女は脱力してだらりと地面に手を垂らして座り込んだまま、ぴくりとも動かない。
膝を折ると、確認するために女の顔を覗き込んだ。

そして、息をのんだ。


……やはり。でも、なぜ?


「あんたが、何でこんな所にいるんだよ……」


呟くように言うと、女は力なく顔を上げた。

殴られた時に切ったのか、口端から血が垂れて顎に向かって筋を作っていたが、ぬぐう事もせずに、女は力なく首を横に振った。ぽたりと血が地面に落ちた。


女は、以前俺を助けて、連行途中に逃げられたあの闇医者だった。





 
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