monoqro

□対峙
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「ここで様子を見ていましたから。退屈はしませんでしたよ」


一定の距離を開けて、伊東は歩を止めた。
手には何も持っていない。

伊東は、私が何も持っていないのを確認してから、私の足元にあるアタッシェケースを見つけて目を細めた。


「ここでずっと、漁船につけたカメラで警察の様子を伺っていたのかい?」

「でないと、指揮官のあなたとは確実に会えませんから」


伊東は周辺に気を配る。
他に誰かいないか探っているようだが、ここには私以外に誰もいない。

それに気がついて、伊東は僅かに眉を寄せて表情を硬くした。


「神威はどうしたんだい?」

「いないわ。とっくに出国しました」

「何?」


伊東は驚いたように目を見開いた。


神威はここにはいない。

彼らは服部や脇の協力で、私が警察に連絡して警察の目を捜査本部に集中させている間に、すでに深夜零時前の飛行機の便で日本を脱出している。

脇による特殊メイクによって、神威は観光ツアーの添乗員に扮し、脇がツアーガイド、阿伏兎や服部達は観光客に成りすまして、源外の作った偽造パスポートを使って、羽田から国際便に乗ったのだ。


行き先は私も知らない。
その方がいいだろうと思って、聞かなかった。

先ほどの脇からのメールによると、作戦は成功した。

つまり警察の検問をすり抜けて、どこかの空港に到着したのだ。

そこから神威たちはまた別の飛行機に乗って違う国へと逃げるのだろうが、それ以上は脇たちも同行せず、神威たちと別れて日本に再び帰ってくるはずだった。


「なるほど。君がおとり役を買って出たということか」

「別に買って出たわけじゃありません。これがベストだと思ったんです。神威は普段から派手で目に付きやすい。そういう人こそ、完璧な変装をすれば検問を通過しやすい。だけど、私のような普段からどこにでもいるような地味な女は、逆に注意深く観察されて見つかりやすい」

「だから、君はここに来たのか」


伊東は薄い笑みを貼り付けた。

私は足元に置いてあるアタッシェケースを足で小突いた。


「電話で話した通り、あなたが私の仲介人だという証拠は全部ここに入ってます。メールフォームのアドレス、暗証番号、写真にメモリーカード、私が今まで乗せてきた乗客のリスト全てです」


伊東の目が鋭くなった。


「約束通り、これはあなたに差し上げます」

「君は本当に利口だ」


伊東はめがねをくいと上げて、私に微笑む。
あの、何を考えているかわからない笑顔で。



私は、夕方兄に連絡を入れた後、伊東にも電話していた。


『私は伊東さんが仲介業をやっていたという証拠を持っている。これを公開されたくなかったら、私を安全な場所に逃がしてください。そして、二度と追ってこないで』


私は自分の安全を確保するために、伊東に交換条件を突きつけたのだ。

そして、伊東はこれに了承した。


それから私は、深夜零時に兄に電話を入れることを話して、その後に携帯電話を逆探知して、自分の居場所を特定するように伊東にも話した。

呼び寄せる場所は関東。
逆探知させて警察ごと呼び寄せる。そうしたら伊東も本部を離れることが出来るだろう。

そこで、警官たちの目を盗んで伊東が私に会える機会を作る。
場所はその時にメールで伝えることにして、待ち合わせた場所で証拠を渡す。

その後で、私は彼の部下の運転で関西に移動。
そこから神戸港に用意していた船に乗って国外へ脱出するというシナリオだった。


「漁船で逃げると土方に嘘を言って、漁船に目を向けさせている間に僕を呼び出す。……君は僕が思っていた以上に頭のいい人間だったようだ。そうだ。あの汚い漁船は誰から借りたんだい?」

「溝鼠組の知り合いからです」


あの漁船が警察に発見されたのはつい先程のことだが、そのずっと前、伊東が横浜港に到着した時に、私は伊東に漁船の場所と、この展望台で待っていることを電話で伝えていた。


伊東は彼の側近の部下を使って、横浜港到着直後、他の警官の目を盗んで漁船内をあらかじめ調べさせている。

そこに、伊東が犯人であると繋がるような物が置いてないか確認するためだ。


そして、彼の部下が漁船内に何もないことを確認すると、他の警官にまぎれて、何食わぬ顔で横浜港の捜索に戻っていった。

それを見計らって、私は高杉に頼んで、フロントガラスにメッセージを残しておいたのだが、どうやらそれは伊東にもばれていないようだ。


「やくざにも客がいたのかい。君は顔が広いんだね。恐れ入ったよ」

「それはこっちのセリフです」


吐き捨てるように返して、アタッシェケースに手を伸ばす。取っ手を掴んで腕の中に抱え込み、それを伊東に見えるように開いた。

中には証拠となるものが全て入っていた。

伊東は目を細めて、それを確認する。


「君はそれをどうやって集めたんだ?君が僕と仕事をしていた時、証拠を残しているようには思えなかったんだが」

「依頼料金をチェックしているくらいで、証拠なんて一つも残してませんでしたよ」

「それじゃあ、まさか一日かそこらでそれを集めたっていうのか?」

「そうよ。あなたに紹介してもらった客側から情報を集めたんです」

「これは驚いた。君には本当に驚かされてばかりだ」


伊東は驚いているというよりも、可笑しそうだった。


「悪徳政治家や、悪徳弁護士にやくざに警察庁のお偉いさん。彼らが証言しましたよ。伊東に色々な人間を紹介してもらったって。政治家はやくざや右翼団体を。弁護士は悪徳検察官や裁判官を。あなたの顔の広さには恐れ入りましたよ」

「それは褒め言葉かな?」

「まさか」


軽蔑を込めて言うと、伊東はふんと笑った。


「だが、そんな証言は証拠にはならない」

「他にも証拠はあります。彼らだって馬鹿じゃない。あなたに脅される可能性もあることを考えて、あなたが他の人間と繋がって悪事を働いていたというカードを残しておかないといけませんから」

「なるほど。そのカードをどう脅して得たのかは知らないが、さすがだ」


伊東は関心して拍手した。渇いた音が響く。

私はアタッシェケースを閉じて、それを伊東の方へと投げた。

それは床を滑って伊東の前で止まる。伊東は拍手を止めて、それを拾い上げた。


「約束通り、逃がしてくれますか?」


問いかけると、伊東は頷いた。

しかし、顔を上げた伊東の目は、暗さを増していた。



 
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