西へ東へ
□夕暮れの廃墟
2ページ/2ページ
迷惑そうな顔をしながら、女は手早く俺の隊服に手をかけた。
「何これ? ベスト? 前、開いてくれない?」
「思うように動けないんだよ」
「それなら脱がせそうにもないから、ちょっと切らせてもらうよ」
鞄の中からはさみを取り出すと、女は俺の返事も聞かずにベストとシャツを切り始めた。
傷口が完全に見えるように腹部の服を取り払った女は、手際よく腹部にガーゼを押し当てると止血を始める。
それから俺の腕の脈を確かめて、額に手を当てた。
ひんやりとした冷たい手だった。気持ちのいい温度に目を閉じる。
「少し熱がある。傷のせいかな」
じろじろと傷口を眺め回しながら、女は鞄の中から薬品を取り出した。
俺は手際よく傷の手当をする女を観察した。
歳は俺と同じくらいだろうか。俺の体を探る女の腕は細かった。
顔つきはすっきりとしていて、化粧もしていなければ、格好や体格からしても女らしいところを探すのに苦労するくらいだ。
だが、それでも女の謎めいた雰囲気からは、どこか女の色気を感じた。
「なあ、あんた、誰だ」
女はガーゼに何かをしみこませているところで、てきぱきと手を動かしながら一瞬だけ俺の顔を見上げたが、すぐに傷口に視線を落とした。
「あなたこそ誰ですか」
「真選組の土方だ」
「真選組?」
「知らねーのかよ」
「そうえいば警察にそういう組織もありましたね。それよりも、今から軽い消毒をするからしみると思うけど、我慢して」
言い終わった瞬間、女は消毒液の含んだガーゼを押し当てる。
「痛ェ!」
「我慢して。とりあえずの処置なんだから」
それから女は包帯を巻き終えると、鞄に薬品を戻し始めた。
俺はずきずきと痛み続ける腹に手を当てて、ゆっくりと傷口に響かないように息を吐いた。
助けられてしまった。
どこの誰かもわからない女に。
じっと片づけを続ける女を見ながら、声をかける。
「なあ、どうしてこんな所にいたんだ。ここは廃墟の街なんだろ。ここに住んでるのか?」
「まさか」
そう言って、女は肩から斜めに鞄をかけた。そして立ち上がるなり、俺に手を差し出してきた。
「行くよ。立てる?」
「行くって、どこにだ」
「私今隣街に住んでるの」
「隣町って、あんな貧困層に住んでるのか?」
女の手を掴んで立たせてもらいながら尋ねると、女はまあねと答えて、俺の肩に手を回した。
しっかりと俺も女の肩に手を回し、あまり女に体重をかけないようにと慎重に歩き出す。
女は俺に歩調を合わせながら、壁を回りこんで狭い路地から抜け出した。それから、慣れたように崩れ落ちたコンクリートの壁を避けて、ぼろぼろになったビルの角を曲がった。
「あんた、やっぱり医者なのか」
聞くと、女は曖昧に頷いた。横顔を伺うと、聞かれるのがうっとおしいと思っていそうなほど顔をしかめている。
「医者じゃないのか?」
「さあ」
一言、女は質問を受け付けないといった硬いオーラを出した。仕方なく、俺もそれ以上は聞かないことにした。
廃墟の中心街を抜けたのか、遠くの方に町が見えた。
すると、女が口を開いた。
「もうすぐ日が暮れる。ここはね、案外物騒なんだよ。攘夷派の生き残りだとか、辻斬の物騒な輩が、ここをアジトにしているって噂がある。だから早く離れて、きちんとした治療をした方がいい。
街に着いたら、タクシー捕まえるなり仲間に迎えに来てもらうなりして、大きな病院で見てもらったほうがいい。熱があるからね」
「あんたはどうしてこんな所にいたんだ?」
「この廃墟の街には、いい薬草が取れるんだよ。どくだみとかハーブとか。それを取りに来てたんだよ」
「物騒だと知っていて、危険だと思わなかったのか?」
「そうだね。知ってたけど、あの貧しい街には薬を買うお金がない人がたくさんいる。だから金のかからない薬草が必要なんだよ」
「あんた、やっぱり医者なのか」
「さあ、忘れた」
惚けた返事をして目を細めて女が笑った。
思ったよりも女の笑顔は女らしく、綺麗だった。
「あ、日が落ちる」
女が指をさした。指先を追うと、夕陽が山に落ちていくところだった。