西へ東へ

□陽光
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それは、制服の上からまっすぐに肌を貫いていた。


何だ……?!


かっと目を見開き、女の顔を凝視すると、女は無表情に言った。


「すみませんが、警察に行ったら何かと都合が悪いんですよ」


女は、俺の腕に突き刺さったそれ、注射器を、ぐっと押し込んだ。
ぐぐぐと何かの液体が俺の体に流れ込む。

はっとして、すぐに女の手を振り払い、注射器を引き抜いたが、液体は全て体内に入り込んだ後だった。


「何すんだ! 一体何を打った!」


勢いよく女の両肩を掴み、ぐっと引き寄せて聞くと、女は淡々と言う。


「即効性の睡眠薬です。申し訳ないんですが、しばらくの間寝ててください。あなたが眠って、遅いと思った隊士たちがやってくるまでの間に、私は森を抜けて山を越えてさっさと逃げ出しますから」

「んだとオ?!」


逃がすかと、更に女を強く引き寄せようとしたが、体の力が急に抜けた。どこから眠気が一気に押し寄せてくる。

即効性にしたって、あまりに早い効き目に焦った。
まずい、このままでは逃げられると思ったが、体は言うことを聞いてくれない。


女は俺の手を振り払うと、さっと立ち上がった。
俺の手から離れた黒い鞄を拾い上げると、その中に転がった注射器を放り込み、鞄を担ぎあげた。

そして、座り込んだまま立ち上がれない俺を、ちらりと見やった。


「前に助けてあげたんだから、今回くらい見逃してくれたっていいでしょう。例えあなたが警察だとしても」

「あんた……覚えてたのか」

「そっちこそ。覚えてましたか。てっきり忘れたかと思ってましたよ」

「忘れるわけ、ねえだろ……」

「……そうですか」


素っ気無く言った女の顔を見上げるも、油断したらまぶたが引っ付きそうだった。すでに立ち上がることも出来ないほど、力は入らない。


「あの時の恩を少しでも感じてくれているのなら、どうか見逃してください」


言われて、以前、助けられた時に言った女の言葉を思い出した。

医者かと聞けば、忘れたと抜かしたこの女。

浪士の看病にやって来た女は、雰囲気からして医者には見えなかった。だが、浪士も真選組も分け隔てなく怪我人を手当てする女は、医者にしか見えなかった。


それでも医者じゃないというのならば……。


「あんた、闇医者か……だから警察には行きたくねーのか?」


女は否定も肯定もせずに、俺を見下ろした。
どうやら、気分が悪いのは嘘ではないようで、血の気のない色をした顔には疲れが浮かんでいる。


「説明するのは苦手。それに、そろそろ行かないといけないんです。他にも私は患者を抱えているし、こんなところで立ち止るわけにはいかないから」

「あんたの方が…気分が悪いように見えるぜ。あんたが医者に診てもらったほうが、いいんじゃねーのか」

「大きなお世話よ」


冷たく言い放たれ、そのまま去ろうとする女。
いけないと思って、咄嗟に女の足首を掴んだ。

驚いた女と目が合う。
俺は、寝てたまるものかと懇親の力で女を引っ張った。


「まだ動けるなんて……」

「なめてもらっちゃ困る……」

「でも、もう限界でしょう。離して、さっさと眠って」

「離すか。あんたには、まだ言いてェことがあんだよ」


女が目を細めた。抜けそうになる力を振り絞り、女の足首を強く握る。だが、握った瞬間から力が抜けた。女は後退して、あっさりと俺の手から逃れた。

だが、女はすぐに立ち去ろうとせずに、俺に尋ねた。


「私に、何を言いたいの?」


口を開くのさえも難しくなってきた。眠い。もう限界だった。
それでも、意識が遠のく中、俺は声を振り絞った。


「あの廃墟で、俺はあんたに、助けられた。それを、忘れるわけがねェだろうが」


驚いて目を見開いた女は、こみ上げてくる何かを必死で堪えているように見えた。その目は何か言いたげだったが、女は慌てて俺から視線を逸らした。
それでも、俺は必死に続けた。


「あの時は、助かった……ありが……と……」


言葉が続かないまま、そこで、俺の意識はぷっつりと途絶えてしまった。




次に目を覚ました時は、パトカーの中だった。

後部座席でシートにもたれ、車窓から外を見やると、眩しい陽光が海の上から降り注いで、ちかちかと眩しかった。
日が完全に昇り、朝がやってきたのだ。


パトカーは海沿いの道路を走っていた。


車内に目を戻すと、隣には総悟が座っていて、目が合うなり、じと目で見られた。
その目を見るなり、自分の失態に思い当たった。

慌てて時計に目を落とすと、まだ気絶した時間から30分ほどしか経っていなかった。

未だにぼんやりとしている頭をさすり息を吐き出すと、総悟が冷え冷えとした声を発した。


「土方さん、あんた何やってんですかい。あっさりと逃げられて、ぐーすか寝ちまって。こりゃあ、副長失格。切腹もんですぜ」

「……おい、あの女は?」

「知りやせんよ。大方山越えでもしてる頃でしょうよ」

「追わなかったのかよ。あの女、気分が悪いのはどうやら本当のようだった。お前の足ならどうにか追いつくだろう」

「それをあんたが言うんですかい?」


言われて口ごもると、総悟はふんと鼻を鳴らした。だが、それ以上は責めてこない。
いつもならこういう時は、これをネタに副長の座から降ろすだのなんだのと言ってくるのに、珍しくも今日は大人しい。

内心驚いていると、総悟がぽつりと呟いた。


「あの人は攘夷になんか加担するような人じゃありやせん。本当に看病に来ただけで、連中とは無関係でしょうよ。無実の人間追うだけ時間の無駄でさァ」


まるで、あの女を知っているような口振りだった。

どうしてか聞こうとも思ったが、未だに頭はぼんやりとしていて体はだるかったので、聞くのも億劫で、それ以上は聞かないことにした。

それに、総悟の言うことはまさにその通りだと思っていた。


それにしても、まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかった。


車窓から、海を眺める。

海の上に浮かぶ朝日と、以前廃墟で見た夕陽を重ね合わせながら、意識が途絶える前に、俺はあの日の礼を、きちんと言えただろうかと、そればかりが気になった。



 
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