西へ東へ
□すがりついた藁
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静かな目がこちらに向けられて、俺は一瞬息を止めた。
何を考えているのかわからない目。
けれど、静かで真剣な目だった。
俺は息を吸った。
まだ捕まえてもいない攘夷浪士の情報を、外部に漏らすことは許されない。
こんなこと、副長や組の誰かに知られたら切腹ものだ。
しかし、今回は松平長官の勅命。
よって、長官に従わなければいけない。
彼女が何者かもわからずに、情報を漏らすことへの不安はあったが、それでも俺は口を開いた。
「あなたは、ここ最近世間を騒がせている攘夷集団を知っていますか?」
「さあ」
「過激派の彼らは、ここ最近他の攘夷浪士たちがなりを潜めているのをいいことに、あちこちで暴れている浪士たちです」
「私、そういうのにはうといので」
彼女の答えは素っ気無い。俺はめげずに続ける。
「俺たちは、その浪士達をずっと追っていました。そして先週、一人の男にビルの一室を貸したのはいいが、そこに妙な連中が出入りしていると、ビルの持ち主から警察に連絡がありました。調べてみると、そこに出入りしているのは、どうやら例の浪士たちでした。俺はしばらくそこに張り込んで、連中の様子を伺っていたんです」
「その時撮ったのが、あの写真ね」
あの写真とは、俺が盗撮したものだろうか。
疑問に思っていると、彼女は一枚の写真を取り出して、カウンターの上に置いた。
それは、張り込み中に俺が撮ったものだった。
「もっと、他にはっきりと写りこんだ写真はないの?」
「どれも遠くから撮影した粗いものばかりでしたから……」
「それで、彼らは今もそのビルに出入りしているの?」
「それが、俺たちの存在に気づいたのか、撒かれました」
あの日の失態を思い出して、自然と声が小さくなった。
恥じて俯いていると、彼女が尋ねる。
「それじゃあ、どうやってその浪士があの町の出身だとわかったの?」
「そこのビルの部屋の契約者が誰なのか調べて、契約者の名前を辿って役場で彼の住民票を調べたんです」
本当は、もっと裏の手を使って住民票を入手したのだが、そんなことは彼女には関係ないので、黙っておく。
「部屋を借りるのに、偽名を使っていなかった?」
「ええ。そのようです……」
これには俺も不思議に思ったが、名前も住所もどれも偽装されていなかったのは事実だ。
「本名を使ったら素性がばれる可能性があるというのに、どういうわけか偽名を使っていなかった。だから、こうしてあの町の出身者だとわかったんですが……元々、彼はその集団の中では目立つ存在の浪士ではありませんでしたし、名が通っているわけでもありませんでした。名前が知れた時に初めてこの浪士の名前を知ったくらいなので、偽名を使う必要がないと思ったのかもしれません」
「そう……それで、彼らの居場所はわかっているの?」
「一応……先ほど撒かれたとは言いましたが、すぐに連中の第二のセーフハウスは見つけましたし、連中が頻繁に出入りしている武器商人のアジトもすでに張り込んでいますので、今週中にも……」
乗り込んで、逮捕する予定だ。
そう言おうとしたが、なぜかためらいが生まれて、口を閉ざした。
彼女の表情は、凍りついたように無表情だった。
それで、なんとなく何も言えずにいると、彼女が口を開いた。
「彼らの居場所を教えてもらえない?」
「それは……無理です。先ほども言った通り、彼らは過激派の攘夷浪士。危険です」
「それでも、会いたい」
長官に依頼をしてきたような女性であっても、いくらなんでもそれは無理な話だった。
そもそも、彼女がどういった人なのかもわからない。
長官の知り合いなのだから、悪い人ではないのだろうが、攘夷浪士と会って何を話そうと言うのか。
「目的は、何ですか?会って話をするだけですか?」
「そのつもり」
「それでも、危険です。いくら松平長官からの命令でも、あなたのような女性を危険な目にあわせるわけにはいきません」
「危険なのは承知してる。でも、それでも、会わなければいけないから」
どうして彼女がそこまで執着するのか、理由がわからない。見当もつかない。
「知り合いなんですか?この男と……」
恐る恐る聞くと、彼女は短く頷いてから、俺をじっと見据えた。
「それを確認するために、会わなければいけない」
昔、と彼女は続ける。
「全てを失ったの。私の大切なものが、一瞬で消えてなくなった。でも……どこかにまだ残されているんじゃないかって、ずっと探して歩いていた。諦めるきっかけも、機会もなくて。だから、探し続けるしかなかった」
それは、彼女があの町の生き残りだという意味だった。
「それを、あなたが見つけてくれた。感謝してるの。……あの、もう見ることのできない風景を共有した人を、探し出してくれたことに。ありがとう」
初めて俺に笑って見せた彼女の笑顔を見て、なぜか胸が痛んだ。
言葉が詰まって何も返せず、ただ口を開けていた。
確かに俺は、彼女の探していた人を見つけたのかもしれない。
しかし、それと同時に俺はその人を逮捕しようとしているのだ。
彼女はそれでいいのか?
いや、いいはずがない。
それなのに、どうしてそんな風に笑えるんだ。
黙り込んでいると、唐突に彼女が席を立った。
隣の席に置いていたかばんを手に持って、再び俺に向き直って言った。
「教えることが出来ないのなら、それでいい。あなたの立場が悪くなるようなことはしたくないから。色々と教えてくれてありがとうございました」
丁寧にお辞儀をして、彼女は歩き出す。
俺は「待って!」と慌てて彼女を引き止めようとしたが、彼女は歩き続ける。
慌てていすから降りて、彼女の手を取って無理やり引き止めると、彼女が振り返った。
その顔を見て、はっとした。
どこかで見たことがあると思っていたが、この人は……
「大丈夫。あなたと会ったことは誰にも言わないから」
小さく微笑んで、彼女はやんわりと俺の手を振り払って歩き出す。
俺は、それ以上彼女を追うことが出来ず、かける言葉も見つけることが出来ずに、彼女が店を出て行くまで、ぼうっと廊下に立っていた。
彼女は、いつだったか、海沿いの町で浪士逮捕の時に居合わせた女だった。
副長の失態で取り逃がしたはずだったが、彼女が長官と知り合いだったなんて。
そして、きっと彼女はあの町の生き残りで、浪士を追っている。
いつからだろう。尻ポケットの中で、携帯が震えていた。
取り出して見ると、副長の文字。
受話ボタンを押して耳に当てると、何ですぐに電話にでない、どこにいるんだという、まくし立てる怒声が聞こえてきた。
適当に嘘を吐いて謝罪すると、浪士を逮捕する算段が整ったので、会議をはじめるからすぐに戻ってこいと言う。
了解して切ると、大きなため息が出た。
彼女は、どうするだろう。