リクエスト
□淡い期待に揺れる紅茶
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少しぬるくなった紅茶を一口すすった後、ずっと睨み付けていたパソコンの画面から顔を上げて一息吐いた。
カップの中に注がれた紅茶は、今年入社したばかりの22歳の女子社員が入れたものだ。
少し薄い。そう思った直後、紅茶を入れた張本人が書類を持って私のデスクへとやってきた。
「来月の社内広報こんな感じでどうでしょうか?」
持ってきた書類の下書きをざっと見てから、顔を上げた。
緊張気味に私の様子を見守っていた彼女が、わずかに目を大きくした。
「内容はこれでいいけど、少し字サイズが小さいわね。全体的にもう少し大きくして。それができたらもう一度持ってきてくれる?」
「はい。わかりました」
礼をして自分のデスクへと戻っていく彼女を見送ってから、カップに手を伸ばした。が、その手を引っ込めた。温度が冷えていくほど、自分好みの味じゃなくなる。きっともう飲めたものじゃない。
彼女は素直でいい子だ。でも、私好みの紅茶を入れてくれそうにもない。とはいっても、そんな人間は社内にいない。
そこで、ふと彼の顔を思い出した。
一人だけ、自分好みの紅茶を出してくれる人がいる。
それは会社の人間ではない。そして、自分のような平凡な女を相手にしてくれるような人でもない。
それを思い出して深いため息が出た。
彼と出会ったのは、数ヶ月前。
短大を卒業してこの会社に入った。広報課に入って数年。
飽きて退屈だと思うくらいに会社に慣れた。
毎日同じ通勤電車に乗り、同じ時刻に退社をする。その繰り返しに飽き飽きしていた。
しかし、飽きたからといって会社を辞めることは考えなかった。特にこれといって取り柄もないし、他にやりたいこともない。
普通に働いて休日にはどこかに出かけたらショッピングをしたり友達と遊ぶ。そんな日々が楽しいから、辞めようとも思わなかった。
しかし、そんなある日。
広報課に中途入社してきた男性社員とどうにもそりが合わなくて、仕事がやりづらいと感じていた。
そのせいで、簡単な仕事もミスをした。
自己嫌悪とストレス。
そこではじめて会社を辞めたいと思った。
そして、入社してはじめて会社をずる休みした。
その日、私は気晴らしに出かけることにした。
夕方まで家にこもり、日が沈んでから家を出た。
いつもは行かない場所へ。
何も考えずに電車に乗って、街中で降りた。
足が向く方へと歩いて、ウィンドウショッピングをして初めて行く雑貨屋へ入った。そこで気に入った定期入れを買った。
そのまましばらく街を歩いて、疲れと空腹を感じてどこかで食事を取ろうと考えた。
そうして店を探して歩いていると、ひとつの店にたどり着いた。
扉の前には飲み物と食事が載ったメニューが、スタンドの上に広げられてあった。
外壁は黒いペンキで塗りこめられていて、オリーブが壁を覆うように一定位置に置かれている。
看板はない。名前もわからない店だ。中がどうなっているのかもわからない。
それでも、メニューを見ていると飲み物が多く食べ物が少ない。どうやら喫茶店のようだ。
メニューを見ているとオムライスが食べたくなった。
バラエティ豊富な飲み物。なんとなく紅茶も美味しそうだ。
それにしても、店に入るには少し勇気が要る。客がいるのかいないのかもわからない。
その上こちらは一人だ。しかも、女。
時計を見た。午後八時半。
踏み出した足が止まった。
やはり止めよう。もっと入りやすい店を探してそこで食事を取って、それで満足したら家に帰ろう。
そう思った時、店の扉が開いた。