リクエスト

□6年後の卒業
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懐かしくて思わずカメラを構えた。

青い空に白い雲を背景に、変わらずそこにある校舎は少しも変わっていなかった。


正門を潜ると並ぶ桜並木に花はないが、今か今かと開花を待ち望んでいるように思えた。
花壇に並ぶパンジーはまるでおしゃべりをしているようにそれぞれ顔を突き合わせている。

そんな何気ない風景をカメラに収めた。シャッターを何度かきって、カメラを首から提げて歩き出す。


玄関を入って思わず生徒用の下駄箱に向かおうとして苦笑した。
ずいぶん前に卒業した私は、来客用の下駄箱に入っているスリッパに履き替えないといけない。

誰にも見られていなくてよかったと、ほっと息を吐いて来客用スリッパに履き替えた。


廊下に出ると、学校特有の匂いがして思わず歩を止めた。

何もかもが懐かしい。学校独特の空気を吸っていると、まるで高校時代に戻ったような不思議な感覚に陥る。


遠くから生徒たちがおしゃべりする声が聞こえてくる。それに答えるようにぽつりぽつりと低い男の先生の声も続く。

そんな声を聞きながら、誰もいない廊下を撮りながら歩いた。


廊下から見える校庭。

音楽室の表札。

隣の校舎に中庭の水のない噴水。

誰もいない運動場に、割れたカラーコーンが放置されている。

廊下走るなと殴り書きされた手作りのポスターに書かれたらくがき。


ゆっくりと歩きながら、シャッターをきり続けた。



高校を卒業して以来、母校に来るのは今日が初めてだった。あれから一度もここに来たことはない。

友人は何度か訪れているようだったし、実際自分も何度か先生に会いに行かないかと友人から誘われたことはあった。しかし、私はそれを全て断って今に至る。



今日私がここに来たのは、卒業生の最後の高校生活の様子をカメラに収めにきたからだった。

明日、この高校の三年生は卒業する。その前日のリハーサルの様子と、明日の卒業式を撮ってほしいと学校側から頼まれたのだ。

撮影した写真は小さな冊子にしてまとめて、卒業後に印刷されて卒業生に配られる予定だ。


本来私はこの学校の撮影担当ではなかったのだが、卒業アルバムの制作を担当していた会社の先輩が昨日からインフルエンザにかかってしまい、代わりに私がここにやってきたのだった。

彼らを一年間撮影してきたというのに、最後の最後でインフルエンザだなんて先輩も悔しいだろう。だからこそ、この高校出身の私に代わりを頼んだのだろうが。


今日ここに私がやってくることになったのは、偶然なのか必然なのか。


さえない高校生活を送っていた私としては、正直この高校に思い入れは特にない。
思い出すもの全てが平凡そのもので、だからこそ私は一度たりとも高校に顔を出さなかったのだ。


だが、そんな私にも一つだけ大切に心にしまっておきたい思い出があった。



かしゃかしゃと静かにシャッターを切りながら階段を上がって職員室へと向かっていると、体育館からピアノの音が聞こえてきた。明日の卒業式のリハーサルをしているのだろう。

二階の廊下から隣の体育館を見下ろす。ここからでは中の様子は見えないが、ドアの隙間からピアノの音とマイクテストと連呼する男性の声が聞こえた。

写真では音は録音できないのは知っているのに、思わずシャッターを切った時だった。


「リハーサル風景なら体育館で撮れよ」

「すいませ……」


反射的に振り返りながら謝って頭を下げた時、どこかで聞いたことのある声だと気付いたが、そのまま言い訳を述べる。


「職員室に断ってから行こうと思ってて……」

「相変わらずせっかちなんだかのんびりしてるんだかわからねーやつだな」


はっとして顔を上げて、思わず口を開いた。

そこに立っていたのは、同じクラスの、いや、高校三年間同じクラスだった坂田銀時だった。


「坂田くん?何でそんな格好……」


彼はどういうわけか白衣を着てめがねをし、プリントやファイルのようなものを手にしていた。
まるで教師の格好だと思った後、彼が教員だということに気付いて驚いた。


「先生になったの?」

「そういうお前はカメラマンか」

「うそでしょ。あの悪ガキの坂田くんが……」

「お前……相変わらず失礼なやつだな」

「だって、意外で」

「お前以外の同じクラスの連中は皆知ってる。お前は同窓会にも出席しねーし、地元の集まりにも顔出さなかっただろ。お前だけだよ、知らねーの」

「……そうなんだ」


驚きと懐かしさと、なんだか複雑な心境で小さく呟いた。


たった一つの大切な思い出は、彼だった。


三年間同じクラスで、隣の席になることもしばしばで、だから彼とは会話をすることも多かった。私たちは仲のいいクラスメートだった。

だが、それだけでは終わらなかった。私は彼を知る内にどんどん彼を好きになっていった。

とはいっても、所詮は一方通行の恋だ。結局その恋も実ることなく卒業と同時に終わったのだった。


「お前は卒業すると同時にどっか遠い大学行っちまうし。二度と顔見せねーし。俺は同窓会出る度にお前はいないのかって探してたよ。仲良かったからな」

「それは……悪かったね」


返す言葉も見つからず、それだけ言った。

集まりに顔を見せなかったのは、彼が大人へと変わっていくのを見たくなかったからか、それとも自分が変わってしまった姿を見せたくなかったからなのか、あるいはどちらもか。

わからないが、今もその複雑な心境は変わっていないように思えた。

こうして大人になった彼を目の前にしてみてわかる。やはり私は小さなショックを受けている。


「気になってたんだよ。どうしてるのかって。だから、今日会えてよかった」


顔を上げると笑いかけている坂田くんがいて、私はなぜか切ない気持ちになった。


まるであの頃に戻ったかのようだ。

坂田くんに優しくされると嬉しくて、でも少し寂しかった。

彼が誰にでも優しかったから、自分だけが特別じゃないんだと言われているような気がして。

だから卒業する前、私は自分から彼と距離をとるようにした。傷つきたくなくて。

でも、それは果たして正しい選択だったのか。
こんな歳になっても今でも引きずってあの時のことを思い出すことがあった。



「坂田くんは、変わらないなあ」


ほろ苦い気持ちを抱きながら、そっとカメラを手に取って視線を落とす。


「不器用で口は悪いけど、でも誰にでも優しくて頼りになって。きっと、坂田君は今もそうやって、生徒からも慕われてるんだろうなって想像できるよ」

「……お前こそ、変わってねーな」

「え?」

「その鈍感っぷり、何年経っても変わらねーって言ってんだよ。人がどれだけお前のこと心配して気にかけてたと思ってんだよ。お前みたいなタイプは、教師からは手のかからないタイプだって思われてたかもしれねー。目立たなくってまじめで言うこと聞いてくれるからな。……でもなあ、俺はそうは思えなかったんだよ」


え?と、顔を上げると、がしがしと頭をかきながら彼は言った。


「こんな歳までお前のこと気にかけてんだから、俺はよっぽどの物好きってことだ」


驚きと困惑で言葉が出てこなかった。

それはつまりどういうことだ。

頭の中で彼の言葉がぐるぐると回転している。

遠くでピアノの音が続いていた。最近の卒業ソングだったが、なんというタイトルだっただろう。
そんな、今考えなくてもいいことが頭に浮かんで、坂田君の言葉と混じり合う。


「俺はあの頃から今まで、ずっとお前のことばっか思い出してたよ」


そんな。まさか。


口を開いたまま何も言えなかった。そのまま沈黙が流れる。

まだ、曲は流れたまま。ラストに向けて盛り上がる。


このまま黙ったままではいけないと焦った私は、カメラを掲げてシャッターを切った。

突然の行動に驚いた彼は、目を丸くしている。
カメラのレンズを見据える彼の顔を撮っていると、自分が何をしているのかわからなくなった。

それでも、シャッターをきっていると色々なことを思い出して、また切なくて懐かしくてほろ苦い気持ちになった。



そして、私は泣いているのを隠すように、カメラを彼に向けて言った。


「坂田くん。あの時言えなかった言葉、今言ってもいいかな?」

「……ああ」


本当はずっと後悔していた。

卒業式なんて、ほとんど彼と口をきいていなかった。あれだけ仲がよかったのに、後輩や同級生たちに囲まれる彼を見たら、何も言えなかった。

彼に想いを告げておけばよかったとずっとそう思っていた。
あの頃にもう一度戻れたなら、きっとそうするのにと。

でも、もう時間は戻らない。
だからきっと、今言うべきなんだ。


カメラをそっと外して、私は泣き笑いの顔で彼の目をまっすぐ見て、あの日言えなかった言葉をはっきりと口にした。



「卒業おめでとう。……大好き」



零れた涙を指で掬い取って、彼は小さく笑った。


「遅ェよバカ」











120314/ぽんさまリクエストありがとうございました!

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