リクエスト
□仲直り
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ふと目に入ったのは、店の前にある白い毛の固まりだった。
それが何なのか、わかるまでにしばらく時間がかかったのは、仕事終わりで疲れがピークだったのと、あまりの寒さで思考回路が凍っているからだった。
とりあえず、店のシャッターを閉めることを優先することにし、白い毛の固まりを踏まないようにシャッターを下ろして鍵をしめる。
時計に目を落とすと、午後十一時前。
今日もよくがんばったぞ私。
さて帰って一杯やって寝るか。
くるりと道路に向き直って歩き出そうとした時だった。
「無視かこら」
足元から声がして視線をさらに落とすと、もぞもぞと白い毛の固まり、もとい白髪の天パがむくりと起き上がるところだった。
「あらやだ坂田さん。うちの店の前で何してるんですか?」
「お前…今気づいたみたいな言い方してるけどよ。絶対シャッター下ろす前から気付いてただろ。つーか、そっちこそこんな時間まで何してたんですか。店の中で密会でもしてたんですかー浮気ですかー」
「誰と密会するっての。仕事に決まってるでしょ」
もぞもぞと姿勢を直してシャッターの前に座り込んであぐらをかいた坂田さんの顔は、赤く火照っている。
どこかで飲んできたのだろう。
酔っ払いの空ろな目をした坂田さんに呆れてため息が出た。
「寒いのにこんなところで寝てたら風邪ひくよ」
「飲んでるから体はぽかぽかですー」
「あ、そう。それじゃあ心配いらないね。さようなら」
再び歩き出そうとすると、坂田さんの手がぬっと伸びてきて、私の足首をがっしりと掴んだ。
「帰るので離してくれます?」
「お前、俺を置いて帰ろうってのか。どこまでも冷てぇ奴だな」
「そうなんです。私とっても冷たい人間なんです。でも、それ以上に恋人放ったらかして飲みに歩き回ってる人のほうがよっぽど冷たいと思いますけど」
冷ややかに放った一言に、掴んだ手が緩む。
ふんと鼻を鳴らして冷たく睨んでやると、坂田さんはぼうっと私を見上げて、白い息を吐き出しながら言った。
「そういう誰かさんがかまってくれないから、仕方なく時間と寂しさを埋めるために飲みにほっつき歩いてるんですけど」
その一言は、今度は私の胸にぐさりと突き刺さる。
思わず、坂田さんもとい銀時から視線を逸らして、誰も歩いていないしんとした道路を見やる。
何も言えずに、言葉を捜すように道路をぼうっと眺めて、電信柱を意味もなく下から上へと眺め上げて、ほうっと白いため息を吐いた。
確かに銀時の言うとおりだった。
しかし、時間が空いた時に会えなかったのは、銀時がどこかにほっつき歩いていたせいもある。
だから、ここのところ続くすれ違いはどちらのせいとも言えなかった。
私たちは恋人同士だというのに、忙しいことを理由に会うことや連絡をとることを怠けて、そうしてこうして会えば喧嘩の繰り返しをしていた。
何やってるんだろう。
すっかり静まり返り、気まずい沈黙が漂う。
むき出しの手や頬、耳が冷たくて痛い。
それなのに、私たちはどちらも白い息を吐くばかりで、言葉は吐き出せずにいる。
謝ろうと思うのに、どうしてもごめんの一言が出てこないのは、意地なのかまだ怒っているからなのか、それとも申し訳ないからか。
恐らく、きっとそれら全てだからこそ、ごめんと謝ることが出来ないのだろう。
掴まれたままの足首に視線を落とす。
むき出しの銀時の手は赤くなって寒そうというよりも、痛そうだ。
ちらりと銀時の顔を伺うと、銀時は白い息を吐き出したまま、鼻を赤くして俯いている。
それを見た瞬間、膝を折っていた。
何もかも、もういいと思った。
会えなかった寂しさや、意地になっている銀時や自分、そんな自分たちを許せない狭い心。
全部、もうどうでもいい。
こんな寒い中、仕事が終わるまで私を待っていてくれたんだから。
飲まないと寂しさを埋められないのは、私も銀時も同じなんだから。
もう、許してやろう。
こんな自分のことも、銀時のことも。
ゆっくりと屈みこむと、俯いていた銀時が顔を上げた。
視線を合わせると、足首を掴んでいた手が離れて、だらりとアスファルトの上に落ちた。
その手を今度は私が取って、両手で包み込む。
そして、すっかり冷え切ったその手に息を吹きかけて、両手でこすり合わせるように熱を送り込む。
熱だけでなく、今の自分の気持ちも伝わればいいと、丁寧に、指先から手の甲から手首まで撫でる。
刺すような銀時の熱っぽい視線が痛い。
なんとなく視線を上げれずに、黙ったままひたすら手を温めた。
そうして、凍るように冷たかった銀時の手が温まってきた頃に、私はようやく口を開いた。
「ねえ」
「……んだよ」
「仲直りしようか?」
「……どうしてもって――」
――言うならば。
銀時がそう言い終わらないうちに、温めていた手を離すと、酔っ払って力の抜けた銀時に抱きついた。
ぎゅうっとしがみつくように腕を回して、温めるように背中をさする。
すると、銀時の手も私の背中に回されて、苦しいくらいぎゅうっと力強く抱きしめ返された。
「ごめん」
耳元で囁いた銀時に、なんだか泣きたくなって、それでも泣かずにうんと言葉もなく頷いた。
「ありがと」
そっと耳元で囁き返すと、今度はなぜだか笑いたくなって、ふっと声もなく笑った。
その直後、銀時の頭がもそもそと動き出す。
くるくるの髪が私の頬を撫で、それが終わると今度は銀時の唇が私の頬をかすめて、そうして唇に熱が落とされた。
そして私たちは、寒い寒い夜の中、冷たいアスファルトの上で、ゆっくりと仲直りをはじめるのだ。
110201/橘さまリクエスト。
ありがとうございました!