リクエスト

□記憶の絵本
1ページ/2ページ


シャッターを押し上げて、薄暗い店内に踏み込むと、古臭い紙の匂いが充満していた。

電気のスイッチを探しながら店内を見渡す。

天井に向かって高く積み上げられた本の山。
ほこりが被らないようにと一部の本には白い布がかぶせてあったが、低い本棚の頭は白くなっていた。


店内の奥にあるレジカウンターの横までやってくると、ようやく電気のスイッチを見つけた。
早速電気をつけたが、電灯はちかちかと点滅するだけで、どれも切れ掛かって店内を明るくはしてくれない。

結局電灯を消してから、シャッターを半分だけ開けて、外の光を室内に取り込んでみたが、部屋は薄暗いままだった。


それから、目を細めて店内をもう一度見渡していると、レジ横に並べられたぼろぼろの文庫本が目に入った。

それは、よく祖父が読んでいた小説だった。
きっと、祖父は店番をしながら暇な時間を大好きな読書に費やしていたのだ。


ふいに脳裏によみがえる記憶。


いつだったか、祖父がこの店で幼い頃の自分に絵本を読んでくれたことがあった。

その絵本のタイトルは思い出せないが、確か二匹のねずみが大きな卵焼きを作るというストーリーだった。

思い出そうと目を瞑る。

しかし、浮かんでくるのは楽しげな自分の声と、優しげな祖父の顔ばかりで、懐かしさがこみ上げてきて、私は慌てて目を開けて天井を見上げる。


そうだ。
祖父は確かこの店のどこかにあの絵本を置いていた。

私が夏休みにここに遊びに来るたびに、いろいろな絵本をこの店の本棚から引っ張り出してきてくれて、そうしてこのレジカウンターの中で読んでくれた。

客のいないこの古本屋に響く、祖父の低く優しげな声。
おぼろげだが思い出すことができる。


私は持っていた大きな荷物をカウンターの上に置くと、薄暗い店内に向き直った。

探そうと思った。
祖父の読んでくれたあの絵本を。


すでに売れてしまっていた時のことはまったく考えていなかった。
絶対にこの店の中にあると思った。


思い立ったまま、私は店内に並ぶ本棚に向かう。
そして、一段一段丁寧に本の背表紙を眺めていく。

どういうわけか、棚に並ぶ本は、なんの仕分けもされずにジャンルもごちゃまぜになっていて、探すほうからしたら面倒だった。

おそらく祖父も、本が増えるうちに収集がつかなくなってしまい、こんなぐちゃぐちゃになってしまったのだろうが、私は本棚をきちんと仕分けしようと思う。


そう。今この瞬間から、私は祖父が残したこの本屋を継ぐのだ。


実家は地方にあって、私は数日前まで実家暮らしだった。
しかし、祖父の訃報を聞いて上京し、祖父の顔を見た瞬間、私はこの店を継ぐことを決めていた。

親には散々反対されたが、まじめに働いていたおかげである程度の貯金はあったし、頑固に言い張る私を見て親もあきらめたのだろう。やがて上京することを許してくれた。


なぜ古本屋を継ぐのかと聞かれたら、うまく答えることができない。

ただ、私も祖父と同じくらい本が好きで、祖父が大好きで、本に囲まれていた祖父を思い浮かべると、この店を誰かに譲り渡したり売ったりすることが、堪らなかったのだ。



いくつも並ぶ本棚を睨み、私は本を探し続ける。
いつの間にか私は真剣になって、必死で本を探していた。


ほこりくさい、紙の匂いも今では気にならない。
すっかり慣れてしまったこの空気を吸いながら、私は絵本を探してあちこち歩き回る。

かぶせられた布をとりはらい、ほこりにむせる。
それでも躍起になって本を探す。


タイトルも思い出せないのに。
なんでこんなにも必死になっているのだろう。


探している内に、バランスを崩して積み上げれた本が床にばさばさと落ちる。
しかし、探すことに熱中しているために、片付けるのはすべて後回し。


そうして探しても、目的の本は見つからなかった。


どれだけの時間が過ぎたのか。
時計のない店の中では、時間もわからない。

もしかしたら、この店の中だけ時間が止まっているのではないだろうか。
そんな風に思うくらい、店の中は静まり返っていた。


疲れて床にへたり込んだ私は、頭を垂らした。

そこでようやく、あれはもう売れてしまったのかもしれないという考えに辿り着いて、ふいに涙が出てきた。

それは一粒落ちるとどんどん溢れて止まらない。
私は手でそれを何度も掬い取って、やがて顔を覆うようにして本格的に泣き始めた。


絵本が見つからなくて泣いているのか、この店のどこを探しても、もう祖父はいないことに喪失感を感じて泣いているのか、わからない。

この店の本棚のように、ぐちゃぐちゃになって気持ちが整理できずに、ひざの上に顔を埋めて泣いた。


だが泣いていると、最終的に自分がかわいそうで泣いている気がしてきて、そう思い立ったとたんに涙は引っ込んでしまった。

きっと、泣いていた理由はもっと違うところにあると思うし、もしかしたら理由などないのかもしれない。
きっと、理由なんて後からついてくることのほうが多い。

ただ、涙が出た。
それが理由だ。


ひとしきり泣いたし、絵本はないし、さてこの散らかった本をどうしようかと、今更だが荒れた店内を見て呆然としていた時だった。


「すいません」



  
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ