Treasure

□サテライト
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「悪かった」


なんて謝るくらいなら、夜更けに突然やって来てキスなんてそうそうするもんじゃない。
たった今受信したばかりの本文を吐き出した煙と一緒に消去して、ベンチに深く沈み込む。

送り主はよく知る友人で、月に数回はこうやって飲みに行ったり食事をするような、気心の知れた関係で。仕事を通じて知り合って気が合って今に至るがしかし、あくまでも友達。恋じゃない。あいつも私もそれなりに付き合う人がそれぞれいたりした。恋愛の相談だってした。失恋祝いの断髪式に付き合ってやったこともある。
それなのに、夕べ見たばかりの眼差しが頭にこびりついて離れない。余裕のないキスをして、泣き出しそうな顔をして、私の知らない顔をしたあいつが頭から離れない。

返信を放棄した指先でフィルタを摘み吸い込んだ。週の真ん中水曜日の真っ昼間を公園のベンチで鬱々と過ごす羽目になった私の心中と、正反対な青い空。雲一つない空の水色が苦々しくて億劫で、溜まっていた仕事もそこそこに早退して今に至るなんて。私を真面目だと信じ切るあいつが見たら一体何て言うだろう。
考えて、すぐにまたやめて、短くなったフィルタの先端をコーヒーの空き缶で揉み消した。


「もしもし、今どこ」


例えば、そう。あいつが赤の他人でいて、異性として十分魅力のある、一人の男だったとする。出会って、少し気になって、ある日ふとしたきっかけでキスしてそのまま抱き合った。触れてみたいと意識した。壊れそうに脆い指先を繋ぎ留めていたい触れていたいなんて、恋じゃなかったら他に何がある。

留守番サービスに吹き込んだ声色は、それはそれは無愛想で可愛げのない私のそれだった。怠惰という二文字がよく似合うあいつの瞳の黒色に、温度を隠した水色がぼんやり光る夕べのこと。つけっぱなしのテレビの雑音があいつの肩越しに響いていて、ぐしゃぐしゃに乱れた意識の片隅で私の名を呼ぶ低音がやけに苦しくて切なくて。
立ち上がり公園を後にして、タクシーを拾い乗り込んだ。行き先を尋ねる運転手に曖昧な行き先を告げながら、振動したそれを耳に押し当てる。


「どこ?…だったら今から行く。五分だけ、ちょっと付き合って」


有無を言わせない勝手さで強引に通話を打ち切った。何を話すつもりなのかなんて、そんなの私にも分からない。顔を見てどうするつもりって、分からない、だけど今なのだ。今をみすみす逃したら、明日の私はきっと悔やむだろう。死ぬ程苦しいままだろう。
あいつの優しい指先が体に染み付いて離れない。触れれば溶ける儚さで過ぎてゆく熱の根源を、体が記憶して忘れない。

タクシーを降り足早に歩き出した私の向かうその先には、絡まる銀色をそよがせて階段を降りて来る男が一人いた。たった今まで眠っていたのだろう。寝ぼけ眼でふらふらと覚束ない足取りのその男は、私にふと目を留めると、困ったように眉を潜めながら寝癖のついた頭をぽりぽり掻く。


「お前なぁ、今何時だと…夜勤だって言ってなかったっけ」
「ごめん」


でも、お互い様。苦しい苦しい言い訳で身勝手を正当化する私と同じくらい、この男もまた曲者だ。身勝手過ぎる優しい物腰は私をじわじわ束縛し、一度触れたら離れない。


「銀時」
「…」
「一つ、確かめさせて」


私の知らない銀時が、一つまた一つと増えてゆく。私の知らなかった銀時を一つまた一つと知ってゆく。怖い?やっぱり少し怖い。友達だったあいつが少しずつ私の中で大きくなってゆく。歯止めの効かないスピードでみるみる私を侵してゆく。
背伸びして唇を押し当てて、ゆっくり腕を絡ませた。夕べ触れたばかりの襟足、首筋に、嗅いだばかりの肌の匂い。昨日までは知らずに済んでいた、友達ではない銀時のディテールがちらついて胸が苦しくて。恋、なのかただの気まぐれか。分からないけれども苦しくて、記憶したままの有り様でここにいるそれが悔しくて。ただただ、悔しい。触れていたい。歯を立て痛みを与えると、手首ごと強く掴まれてそのまま腕に包まれた。


「ちょ…おま、痛いんだけど」
「…うん」
「てか、何してくれちゃってんの」
「…さぁ」
「さぁって…なぁ、もしかして」
「…」
「キスしてエッチしてようやっと、銀さんの魅力に気付いたとか」
「は」
「うわぁエッチぃの、やらしいのー」


何その自意識過剰馬鹿じゃないの。呟く。けれども腕を回したのは、紛れもなく本望だ。もう少しだけ知ってみたいなんて、頭の中はぐらぐらそればかり。触れて混じって貫いて、ぐちゃぐちゃにしたいされたいと体だけは素直、正直だ。理性よりも従順な服従で迷いや躊躇いを覆す。


「てか、あんたは単純にやりたくてやっただけかもしれないけど」
「…」
「昨日のこと…私は、忘れない」
「…」
「忘れたくても無理、忘れらんないし。おかしいくらい苦しくて頭ん中あんたばっかだし」
「…」
「どうしてくれんの」
「…さぁ、どうしようか」
「ムカつく」
「だろうね」
「大嫌い」
「へぇ…」


でも、ちょっとだけ好きになったりして?にやり。笑ったその男。しかめっ面で目を伏せて、悪い?なんて吐き捨てた。単純な程に上手く転がったご都合主義のぶつけ合い。薄く濁した確信を安易に汲み取る唇は、憎たらしい程に熱かった。


「つーか、いい加減気付けって」
「…」
「好きなんだけど」
「…」
「ずっと、前からさ」


そうでもなきゃあんなことしねーから。呟いた銀時の耳朶が少しだけ赤くなっている。頷いた私の心臓は今にも張り裂けてしまいそうにどくどくどくとうるさかった。
新しい二人の関係を示すには十分過ぎる材料で、先行きの見えないループから解放された私はようやっと、全ての感情を理解して。忘れたい?忘れたくないよ。なかったことにしたくない。坂田銀時というただの友達が頭の中に染み付いて離れないその訳も、忘れたくないなんて思う訳も。全部分かった。気付いている。好きに、なってしまったのだ。


「返事は?」
「…」
「イエス、だろ?」


それでも、今はまだその感情を口にするのが癪だけど。認めることだけで精一杯。わざとらしい口調で確かめる銀時の頬を挟み込み、ぎゅっと強く押し潰す。


「不細工」
「うるせ」
「何でかなぁ」
「あ?」
「何で、あんたなのかなぁ」


喧嘩紛いのやり取りで悪態をつく私と銀時を、ちり紙交換のトラックがクラクションを鳴らして追い抜いた。銀時の熱い指先が私の唇を押し潰す。たどたどしくもゆっくりと見つめ合った瞳のその奥の薄水色の光源に、私は無意識無自覚で着々と惹かれ続けていたらしい。恋をせずにはいられなかったのだ。




サテライト




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