pastel

□青梅が熟す頃
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台所の棚の整理をしていて、棚の奥から出てきたガラスのビンを見つけて、はっと思い出した。

これの存在をすっかり忘れていた。

少し重たいビンを、暗い棚の奥から引っ張り出す。ずしりと両手に乗ったそのビンの中には、丸い実が何個も詰まっていた。

電灯にかざすように持ち上げてみると、薄茶色の青梅が光った。


ガラスビンに詰まったそれは、去年、近所の知り合いにいただいた梅の実で作った梅酒だった。

たくさん頂いたので、作るならばやはり梅酒だろうと、近所のおばさんから作り方を聞いて作ったのだった。


青梅を丁寧に洗って、たっぷりの水に3時間ほどつけてあくを抜いた後、水をふき取り、軸を竹串で丁寧に取り除く。

それから、ガラスのビンの中に青梅と氷砂糖を交互に入れて、最後に焼酎をそっと注ぎいれて、棚の中に収めたのだった。


作り上げた後、たまに取り出しては、ビンをゆすって味が均等に浸透するようにゆらゆらと揺らしていたが、半年を過ぎた頃からすっかり忘れてしまって、そのまま棚に眠らせたままだった。

おばさんの話では、三ヶ月くらいであっさりとした味になり、さらに寝かせると熟味を増していくらしいので、半年以上は待とうと思っていたのだが。


それにしても、思っていた以上に寝かせてしまった。
それでも、一年も待ったのだから、きっとコクがでて深みを増していることだろう。


ビンのふたを回そうとして、ふと手を止めた。
時計を見ると、午後三時を回ったところだった。

しばらく考えて、ビンのふたから手を離すと、そのまま棚へと戻した。


昼間から酒を飲むよりも、風呂上りに飲んだほうがずっと美味しいだろう。
もうしばらくの楽しみにとっておこう。




夕飯を終えて銭湯から帰ってきたのは、午後十一時前だった。

十四郎さんの部屋の戸を叩いて中を覗いてみると、まだ彼は帰っていないようだった。
昨日も朝方帰ってきていたので、今日も遅いのかもしれない。


部屋に戻って髪を乾かしてから、腰を上げた。
向かう先は、台所だ。


台所にやってくると、棚の中に入れておいた梅酒のビンを取り出して、机に置いた。
食器棚からグラスを取ってきて隣に並べる。

それから、ビンのふたを空けようと手に力を入れるも、中々空いてくれない。ふきんを持ってきてふたにかぶせて、その上から思い切り力を込めて回してみても、びくともしなかった。

作った時はこんなにも硬くふたを閉めた覚えはないのだが。

首をかしげながらも、ぎりぎりとふたを力いっぱい回し続けたが、その内にすっかり手から力がなくなってしまった。

がっくりと肩を落として息をしていると、突然背後から肩を叩かれた。


「ひっ!!」


驚いて声を上げて振り返ると、私の声に驚いたのか、目を大きくしている十四郎さんがそこにいた。


「あ、悪ィ」

「あ、ええ」


彼には何度も驚かされているが、相変わらず気配を殺して背後まで近づくのはやめてほしいと心中で思った。

彼は隊服のベストとシャツ姿だった。今しがた帰ってきて、私が部屋にいなかったからここに様子を見に来たそうだ。


「それで、何してんだ?」

「あ、これを空けようと思って」

「酒?梅酒か。これ作ったのか?」

「ええ。丁度一年前に作っておいたんです。それをすっかり忘れていました」

「で、こっそり飲もうと思ってたんだな?」

「こっそりだなんて。とんでもない」


十四郎さんは意地の悪い笑みを投げかけてから、ビンを持ち上げた。
それから、いとも簡単にビンのふたをぽんっと音を立てて空けてしまった。


「あ……空いた」

「簡単に空けれるじゃねーか」


あれだけ苦労していたというのに。こうもあっさりと空けてしまうとは。
なんとなく悔しくなって、黙ってビンを受け取る。


「それ、飲むのか?」

「ええ。あ、まだ味見していないので、よかったら十四郎さんからどうぞ」

「俺に毒見させるきか?」

「毒見だなんてとんでもない」


今度は私が意地の悪い笑みを浮かべてから、グラスを食器棚からもうひとつ取り出す。
それから、ビンを傾けて酒を注いだ。

酒と一緒に、とぷんと熟して黄色くなった梅が入ってくる。
それと同時に、甘い梅の香りと焼酎の香りがして、味を見ていなくてもコクが出ておいしいだろう事がわかった。


「うまそうだな」


彼はグラスを持ち上げて、酒に漬かった梅を揺らしながら言った。
私も梅酒をグラスに注ぎいれると、手に取った。


「毒は入ってないですよ」

「どうだかなあ。じゃあ、同時に飲むぞ」


はいはいと呆れながら笑い合って、どちらからともなくグラスをかつんと合わせて乾杯をした。


「遅くまでお疲れ様でした」

「お疲れさん」


くいっとグラスを傾ける。口に滑り込んできた梅酒は、思った通り、甘くて濃厚な味がした。
はあっと息を吐くと、鼻から梅の芳香が抜けていった。


「少し濃いな。水割りにしたほうがあっさりしてうまいかもな」

「ソーダ割りでもいいですね」

「ソーダあるのか?」

「ええ」

「それじゃあ、何か肴あるか?」

「ありますよ」

「肴持って、縁側で飲むか」

「そうしましょうか」


そうと決まれば早い。夕飯の残り物と昨日の夜漬けたばかりのきゅうりの漬物を持つと、冷えたソーダと水に、梅酒のビンを持って縁側へと向かった。

そうして、縁側に二人並んで腰掛けて、私は梅酒のソーダ割り。十四郎さんは水割りにして再び乾杯をした。


「そういえば、今年も梅の実はもうなる頃だよな」

「そうですね」

「またもらったら、梅酒作ってくれよ」

「もらえるかどうかわかりませんけどね」

「たぶん、もらえるだろ」


どうかしら、と首を傾げると、十四郎さんは夜空を見上げて言った。


「そうしたらまた来年、月でも見ながら飲むぞ」


彼はくいとグラスを傾けて、空になったグラスを私に渡してうっすらと微笑んだ。


「はい」



来年も、そのまた次の年も、ずっとずっと、この人と並んで微笑み合えますようにと、夜空に浮かぶ星に祈った。







20130523

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