リクエスト
□確信犯
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何気なく町を歩いていると、ふと花屋に並んでいる花に目が止まった。
そこは、屯所から歩いて数分の商店街の花屋だ。
ビオラや葉が出てきたばかりのチューリップなど、冬から春へと移り変わろうとしているこの季節に、春を先どるように色とりどりの花が揃っている。その中に、一つだけ枝ものが置かれていた。
尺鉢から伸びた枝は、しなやかな弧を描いて枝先を垂らしている。その枝のラインが美しく、まだつぼみが出てきた段階のそれは、背の低い花の中で目立っている。
桜か梅か、はたまた桃か。花に詳しいわけではないので、見分けがつかない。
しかし、名前や値段のついた札は見当たらない。
なんだか妙に気になって、歩を止めて花を眺めていると、店内から店員が出てきた。
「いらっしゃいませ」
買うつもりはなかったので、しまったなと思いつつも折角なので聞いてみることにした。
「これは桜か?」
「はい。し垂れ桜です。菊しだれという品種で赤紫色の花をつけます。八重桜なので、とても華やかですよ」
「へえ」
「でも残念ながらこれは取り置きされているので、お売りする事は出来ないんですが」
それを聞いて少し安堵する。
買うつもりはなかったけれど、そこまで説明されてああそうですかと帰るのも気まずいと思っていたので助かった。
「あ、いらっしゃいませ」
「すみません遅くなって。引取りにきました」
店員と二人で話しているところにやって来たのは、若い女だった。女は、店員に頭を下げた。
「お金持ってきましたので、桜、持っていきますね。あ、植え替えまでしていただいて、本当にありがとうございます!」
女が俺にも遠慮がちに頭を下げる。なんとなくその場から離れるタイミングを失ってそのまま突っ立っている間、女が会計を済ませた。
どうやら、例の桜を買ったのはこの女のようだった。
「この桜、この辺ではあまり見ないのですっごく嬉しい」
「そういえばあまり見かけませんね。あ、もしかして歩いて持って帰るつもりですか?」
「ええ。そのつもりです!」
「でも、結構重たいですよ。店が終わってからでよろしければ、お届けしますが」
「でも、すぐに持って帰りたいんです。明るい内に置く場所を決めたいし。抱えて持って行きます!」
「家まで10分くらいの距離でしたよね?ちょっと厳しいと思いますよ……」
女は細い腕を振って大丈夫と明るい声で言っているが、陶器で一尺分の土がたっぷり入った桜を抱えて10分も歩くのはどうにも無理がある。
持ってきてもらったらいいだろうにと心中で思っていると、女はとりあえず持ってみるといって腰を屈めて桜を持ち上げた。しかし、持ち上がったはいいがぶるぶると手が震えている。これじゃあ一分も持たないだろう。
見かねた店員が、それじゃあと声を上げた。
「ちょっと待っていてくださいね」
店員が奥に引っ込んでいき、すぐに店先に現れた。
手には、「すぐに戻ります」と雑に書かれた紙が一枚と、ガムテープ。手早くガムテープをちぎって、紙を扉に張ると、エプロンのポケットに無造作につっこまれていた軍手を取り出してそれをはめる。
「すみません。お客様、ちょっと出てきますが、よろしいでしょうか?何か御用がありましたか?」
今しがた俺の存在を思い出したかのように店員が聞いて来て、俺はいいやと首を振った。見ているだけだからと答えると、店員はにっこりと笑った。
「すぐそこなので、行ってきます」
店の鍵も締めずに、店員は女が下ろした桜の尺鉢をひょいと持ち上げる。軽々とした調子で、それじゃあいきましょうと言ってすたすたと歩き出した。その後を、慌てたように若い女が追って行く。
意外と力持ちだ。って、……ちょっと待て。持っていくのはいいが、店はこのままでいいのか?
電気もつけっぱなしだし、店の戸だって鍵は閉まっていない。今誰か来たらどうする?すぐ戻るの紙だけでどうにかなると思っているのか?
あまりの無用心さに声をかけようかと思ったが、店員の足は早くてすでに道の角を曲がって姿は見えなくなっていた。
今泥棒に入られてレジのお金をまるごと持っていかれたらと思うと、俺はその場を離れるのをためらった。
何かあったら警察がいたのにと批判されるかもしれないし、怪しい男を見たと俺の目撃証言が上がってきたらたまったもんじゃない。ただでさえ真選組は評判が悪いのに、また叩かれてしまう。
そういうわけで、俺は結局花屋の店先に立ったまま、なんとなく鉢花を眺めて店員が帰ってくるのを待っていた。
すると、10分も経たない内に店員が走って帰ってきた。なんという速さだ。
店先にいる俺を見つけるなり、店員は息を荒げてすみませんと謝った。
「お待たせして」
言いながら、扉に張ってあった紙を取り払うと、店の扉を開けた。
俺が何か用があると思ったのか、どうぞと中に入るように促した。
「いや、違うんだ……」
別に要件は特にないんだがと口ごもると、店員ははっとした。
「あ……!もしかして、店を開けていたので、心配して店番、していてくれたんですね!本当にすみません!ご迷惑おかけ、しました!」
呼吸が整わないまま、店員は何度も頭を下げた。それから、ようやく呼吸が整ってきたところで、店員は店の中に入るように再度促した。俺はなんとなくそれに従って店に入った。