西へ東へ
□鬼の子
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助けてくれと叫ぶ奴がいる。
非道だと泣く奴がいる。
殺してやると憎む奴がいる。
そんな連中を、俺はぶった斬って、斬って、斬って……
気付いたら、その場に立っている人間は、俺一人になっていた。
ぼたぼたと刃から零れ落ちた血が、砂を赤黒く染めている。
足元に視線をやる。足元からは、影が伸びていなかった。
ふと空を仰げば、空は灰色に染まり、細かい雨が降り始めていた。
俺は、幕臣殺しの攘夷浪士を追っていた。
奴らは、幕臣を暗殺して逃亡中、真選組の一番隊がたまたま行っていた検問に引っかかったのだ。
奴らは検問を無理やり突破し、逃走した。
隊士を残して、このことを近藤さんに知らせろと命令して、俺は一人パトカーで連中を追った。
深追いはしない方がいいとはわかっていたが、ここで奴らを逃すわけにはいかなかった。
連中は人気のない集落に逃げ込むと、車を乗り捨て、林を抜け、荒れた砂地へとたどり着いた。
そこで、もう逃げられないと悟った連中は、追ってきたのが俺ひとりと確認した途端、斬りかかってきた。
こうなればこっちのものだった。
俺は逆に、連中をばさばさと斬ってやった。
そして今に至る。
「ちいとやり過ぎたか」
我を忘れるほど、刀を振るったのは久しぶりで、だからこそ、我を抑えることが出来なかったのかもしれない。
「怖いねえ」
どこからか声がして顔を上げると、雨の中、紺色の番傘を差した、辻ケ花模様の渋い紫色の着物を着た若い女が視界に入った。
女は、ねぎやら大根の葉が見え隠れする風呂敷を手に持って、こちらをじっと伺っている。
「あんた、警察のくせして、おっかないんだね。……あ、警察だからおっかないのか」
一人納得して顎を引いた女は、俺の方へとゆっくりと近寄ってきながら、辺りに転がっている男たちをじろじろと、失礼なくらい見た。
「死んではないけど、このまま放っておいたら死ぬよ」
ぴたりと俺の前で立ち止まった女が、断言した。俺は、ふうんと呟いた。
そんなことよりも、こんな若い女が、どうしてこんな場所に買い物帰りのようにひょいと現れたのか、そちらの方が気になった。
「そいつらは、幕臣殺しの悪い奴らなんでさァ」
「悪い奴らだったら、このまま見殺しにしてもいいの? 人殺しだったら、死んでもいいの?」
女の丸い目が、俺を捕らえた。俺は女の目を見返した。
どちらも目を逸らそうとしない。このままでは、永遠と睨めっこをしていそうだ。
俺は仕方なく、その質問に答えることにした。
「さあねィ」
「さあねェ」
女は真似をするように言った。俺が何も答えないでいると、女はねぎやら大根やらが入った風呂敷を漁ると、そこから携帯電話を取り出して、ボタンを数回押してから、耳に押し当てた。
女はここの住所を告げ、早く来てくださいと丁寧に言うと、電話を切った。
「救急車、呼んだから」
「ああ、そうですかィ」
「どうでもいいの?」
「まあ」
「あ、そう」
と、俺と同じくらいどうでもよさそうに吐き捨てた女は、俺に、はい、と傘を差し出してきた。
「何が」
「持ってて。救急車が来るにはまだ時間がかかるみたいだから、私が応急処置をする。だから、あんたは私と、この人殺したちが雨に濡れないように、傘を差していて」
「どうして」
「どうしてって、あんた、とんでもない子供だね」
驚いたというよりも、関心したような言い方に、ん? と俺は首を傾げた。
しかし女は、おかまいなしに、こっちに来てと俺の手首を掴んで、近くの転がっている男の所に引っ張っていった。
それから、女は身を屈めて、男の体をあちこちじろじろと眺めてから、雨が当たらないようにして、と俺に命令した。
俺が大人しく言われた通りにすると、女は満足したように頷いてから、男の応急処置を始めた。
「あんた、何なんですかい。どこのお人よしですかい?」
女が、男の着物を遠慮もなしにびりびりと破いて、傷口を着物の切れ端で押さえながら、軽い口調で言った。
「どこぞのお人よしだよ」
ああ、そうかと、俺は妙に納得してしまった。