treasure

□『幻想プール』
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昼も過ぎ、夕暮れ。
事務所は陽の光を浴びて黄昏色に輝く。
我が輩はソファーで眠る少女を見やり、ふぅと息を吐いた。
日曜日の今日は私服姿。
横たわった少女の服装から、季節が変わりゆくことがわかる。

学校や探偵業で疲れたのであろうか。
アカネが紅茶をブレンドしている間に待ちきれず寝てしまったようだ。

テーブルにはティーカップとクッキー缶が5つ置いてある。
食い気より眠気か……。


コツコツと音がして、我が輩は秘書の方へ振り向く。
ボートには
「起こしちゃダメですよ♪」
と書いてあった。
ペンを握り締めたおさげは、我が輩の返事を待つようにその黒い身体を揺らす。
「ふん……、我が輩の知ったことか。」
我が輩がまた少女を一瞥し唇を上げて笑うと、アカネはカタカタとパソコンを打ち始めた。

「起こすな」と言われて起こさない魔人がどこにいる。
我が輩は少女の傍まで行き、少々行儀が悪いがテーブルの上に腰を下ろした。

頬をつねっても、表情1つ変えずに眠りこけている。
そういえば、今週は夜遅くまで事件に時間を割いた日が多くあった。
余程寝ていなかったのだろうか。

金色の髪が陽の光に反射して、きらきらと輝く。
白い肌は黄昏色を帯び、細すぎる身体が健康そうに見える。
いつもやかましい声を出す口からは静かな寝息だけが漏れて。
そう言えば、余り寝顔を見たことはないな。
頬をつねっていた手を離し、顔にかかる髪を撫でる。
絹糸のような髪が我が輩の手から滑り落ちる。

何かよくわからない気持ちに駆られ、我が輩は少女の名を呼んだ。
「ヤコ…。」
何故だかはわからない。
起こしてどうしたいかもわからない。
ただ、急にその名を呼びたくなったのだ。
「ヤコ……。」
「んー……。」
ヤコは眠たそうな声を出しただけだった。
眠りが深いのか、起きる気配はない。
我が輩の呼び掛けを無視するとは……。
仕置きが必要かと思ったその刹那、ヤコが言葉を発した。
「さ…づか…さ……。」
「……!!」

ヤコの口から出た言葉に、我が輩は言葉を失った。


笹塚……?


笹塚と言ったのか……?


穴が開くほどヤコを見つめても、先程と同じ寝顔で、その口からは吐息が漏れるだけだった。

何故笹塚の名前を呼ぶ?
我が輩の目の前で。
寝ている時まで笹塚のことを考えているというのか?
我が輩の奴隷でありながら。
食い気より眠気より笹塚なのか?

我が輩の脳髄は一瞬である答えに行き着いた。

ヤコ、貴様は……

「笹塚のことが…ス、キなのか……?」

人間の持つ「恋愛感情」がどういう感情なのかはわからん。
しかし、「恋」の諸症状と、人間の感情の中でも極めて難しく且つ不幸な感情であることは知っている。

ヤコは笹塚を好いている。
もし笹塚も同じ思いなら、2人は結婚するのであろうか。
我が輩の「所有物」であったヤコが、笹塚の「所有物」になるのであろうか。


許さん。
許せん。
ヤコは我が輩の「所有物」なのだ。
他の誰にもやるつもりはない。
例え相手が人間でも、ヤコが幸せになれても。
ヤコは……
ずっと我が輩の側にいればいいのだ。
ヤコが拒むなら、その時は……。

我が輩はヤコの無防備な首に手を伸ばした。
細く白く、少しでも力を加えれば折れそうな首……。

その時は、本当に我が輩の「所有物」にしてしまおうか……。
綺麗なまま、若いまま、我が輩の「桂木弥子」に……。


「ん……。」
「!!」
ヤコが身体をねじり、うっすらと目を開けた。
我が輩の目を見、我が輩のやり場のない手を見、また目を見る。
徐々にヤコの目が見開く。
「え…、ネウロ……!?
何し……」
「……っ!!」
我が輩はその手でヤコの首を引っ掴み、本棚へ投げつけた。
「ギャーーーッ!!」
腹を打って呻くヤコの上にドサドサと大量の本が降り注ぐ。
「痛いじゃんか!!
もう何すんの!!」
「ふん、余りに気持ちよさそうに眠っているのでな。
永眠させてほしいのかと思ってな。」
「そんなわけな……
って、しまった。
私、寝ちゃってたんだ。
あかねちゃん、せっかく紅茶煎れてくれたのにゴメンね!!」
アカネはおさげを左右に振ると、
「どんな夢見てたの?」
とボードに書き、ブレンドし終わった茶葉を出した。
「あ、ありがとう!!
え、夢……?
笹塚さんが石垣さんを料理しちゃう夢。
石垣さん、すっごく美味しそうだったよー。」

恍惚とした表情のヤコを背に、我が輩は窓際に来て身体を黄昏色に染めた。

我が輩は何を考えていた……?
ヤコに何をしようとした……?
あのようなファンタジーまがいな思想が我が輩の脳髄にプールされていたとは……。
「堕ちたものだな、我が輩も……。」
我が輩は自嘲気味にくつくつ笑った。

「ちょっと、ネウロ。
何1人で笑ってるの?」
我が輩の笑い声に気付いたヤコが、紅茶をすすりながらこっちを見ている。
「知りたいか?」
我が輩は満面の笑みを作ってやる。
「え、何その笑顔……!!
どうせネウロの悪趣味な話でしょ。」
「まぁ、悪趣味と言われればそうかもしれん。」
「わー、やっぱり……。」
「とある男の脳髄の話だ」
「の、脳髄……?」


貴様が望むなら、話してやろう。
溜まりに溜まったこの幻想。
知らず知らずにプールされ、
積もり積もって破裂した。


「そうだ。
その男の脳髄はまるで……。」



『 幻 想 プ ー ル 』















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