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□恋したふりしたふりしてた
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「どうやらあたしは恋してなかったみたいなの」
Liptonのレモンティーが入った紙パック、そのストローをガシガシと噛みながらあたしが言うと、恋次が動かしていたシャーペンが止まった。
「……ハァ?」
「いや、だから恋じゃなかったみたいで」
「お前、この前まであんだけ『喜助ちゃん』『喜助ちゃん』騒いでたのにか?」
「ちょ、恋次真似しないでよマジキモい。……うん、まあ、そうなんだけどね」
くっつけた机の間に置いてあったポッキーを摘まむ。
ペキリと歯でへし折った。
「なーんか、気付いちゃって」
喜助ちゃんは、うちの高校の化学教師だ。
年齢は不明。でも多分、結構若い。いつもボサボサの前髪と帽子とで顔を隠しているけど、よく見れば格好良いのでわりと人気だ。授業も楽しい。……まあ、テストは鬼みたいに難しいけど。
あたしはつい一、二週間前まで、彼のいる化学準備室に入り浸っていた。
過去形、だけど。
「あたしはさー、恋したかっただけなんだよ」
「へー」
「格好良い先生に恋しちゃってるのが楽しかっただけでさー。恋してたふり?してたみたいな」
「分かったから、俺のポッキーから手を離せ」
「えへへ」
「キモい」
10日くらい前に、あたしは突然気付いたのだ。
……あれ、これ、恋じゃないよね?と。
告白してきたどうでも良い男子に危うくOKサインを出しそうになって、そのときに。本当に喜助ちゃんのことが好きなのなら迷わずに断っているだろうと、そう思ったのだ。
すると、私の心は急激に冷めた。騒いでいる自分が馬鹿らしくなった。
化学準備室へも、最近は行っていない。
「女って、冷めんの早ぇな……」
「まあねー。よっしゃ、次の恋、いや、真実の愛を探すぞー!」
「の前に、プリント終わらせろ」
「あはは」
もっともだった。あたしと恋次は現在、補修プリントと戦っていたのだ。
「あー、もう嫌だわー、勉強……」
恋というものが消えてしまったあたしの日常は、とてもつまらない。色褪せたものになってしまった。





結局、補修プリントが全部終わったのは、下校時間ギリギリになってからだった。
しかも、恋次の馬鹿は先に帰りやがった。最低だ。
そうして、一人で廊下を歩いていたあたしは。
気付けば、化学準備室の前で足を止めていた。
「…………」
ここに来るのも、久々だ。
通り過ぎようとして、でも、何となく気になって、少し覗き込んでいた。
喜助ちゃんは、室内にいた。
こちらに背を向けた彼は、回転椅子に腰を掛けている。肉のあまりついていない頬。夕日で赤く染まっていた。
喜助ちゃん。
前までのような甘い気持にはならない。でも、切なく感じた。
何故だろう。
「喜助ちゃん、」
何も考えないまま、気が付いたら声をかけていた。
白衣に包まれた肩がそれに反応して、椅子ごとに振り向く。
あたしと目が合った喜助ちゃんは、へにゃり、と気の抜けた笑みを浮かべた。
「おや、お久し振りですね」
でも、あたしはと言うと、何となく気まずかった。ここのところ意識して避けていたのだから、尚更だ。
言葉が思いつかない。
それを見透かしてか、喜助ちゃんはあたしにこう言った。
「久々に、フラスココーヒーでもいかがですか?」





しばらくぶりに入った化学準備室は、相変わらず汚かった。
あたしが通って来ていたときには、毎日のように掃除をしていたものだ。今は、誰も片付けてくれていないのだろう。
フラスコからマグカップに移したコーヒーを、口に運ぶ。苦い。
「……喜助ちゃん、ミルクとシュガー」
「はいはい」
喜助ちゃんはブラック派だけど、あたしはブラックが苦手だ。ここに――この化学準備室にミルクとシュガーを持ってきたのは、あたしだった。
ぼうっとパソコンの画面を見ていると、喜助ちゃんが口を開いた。
「しばらく、いらっしゃいませんでしたね」
「……まあ、色々とあって」
「今日は補修で?」
「そう」
「口元に、チョコが付いてますよ」
「え?」
「ウソです」
喜助ちゃんは、何も変わらない。まるでずっと来ていたかのような態度で、あたしに接する。
気にしているのはあたしだけ。
馬鹿みたいだ。
喜助ちゃんに恋をしているわけじゃ、ないのに。
「……喜助ちゃん」
「アタシはね、アナタが来てくれなくて寂しかったですよ」
そして、そんな彼の言葉は、完全に、不意打ちだった。
マグカップを取り落としそうになって、必死で持ち直す。
 横目で見ると、喜助ちゃんは相も変わらずコーヒーを飲んでいた。
「いつも来てくれる人がいないと、寂しいんですよ?」
「え、あの、」
「また、今まで見たいに来てくださいね」
 マグカップから口を離してそう言った彼の表情が、あたしには久し振りにハッキリと見えた。
 笑顔だ。
 いつものものとは、違う。

「……もちろんですよ」

 ああ、そうだったんだ。知ってる。知っていた。
 怖くて、しんどかった、だけなんだ。
 喜助ちゃんに断られることが。嫌われることが。
 明るいふりして切なさを隠すことに疲れただけで。
 あたしは、
 あたし、は




 本当はやっぱり、喜助ちゃんのことが、好きなんだ。







『思春期』様へ提出させていただきました!)
(青いのは私です^^)

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