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□ワンルーム
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 私を置いてあの駄犬はこの家を出て行きました。本当にありえない。
 仕事が終わって帰ってきたら、机の上にはあたしのカップ麺が空になって置いてあった。あいつが好きだと言って借りてきたDVDは置きっぱなしで、あいつが買ってきた妙なアクション漫画もそこらに放っておいてあって、あいつがつけてたピアスも何故か一個だけ転がってて、空になった七色のスプレーだってあった、のに、
 戌井はいなかった。
 机の上にはメモ書きがあった。きったない字。もうすこし綺麗に字が書けないのかと言ったら「俺日本育ちじゃないし」と返された。死んでしまえと思った。全部平仮名とか読みにくいんですけど。
『しまにいく』
 黒いマジックインキで書かれた文字。とても短く簡潔で、でも、意味はよくよく伝わる言葉で書かれていた。意味は伝わったのに、あいつの心はちっともあたしには伝わらない。何? 何が島に行く、よ。何処の島かくらい書けよ。……知ってるけどさあ。どうせあの頭の狂った島に行くんでしょ。本当に勝手な男。いっつも、勝手だ。馬鹿野郎戌井。島で野垂れ死んでしまえ。野垂れ死ぬような奴じゃないってことくらい知ってるけど、手当てしてくれる人間がいない辛さを知れば良いんだ。あたしがいつもどんな気持ちで手当てしてあげてたか、その大事さに気付けば良い。
 本当に戌井は、馬鹿で、勝手だ。
 馬鹿で、三流映画が好きで、うるさくて、気紛れで、暴れてばっかで、チャラくて、派手で、のくせジャージで、本当、なに、あいつ、
 それなのに、なんであんなに格好良いんだ。
 メモはぐしゃぐしゃにして、ゴミ箱に放り投げた。入らなかった。面倒だったけども拾って、今度はちゃんとゴミ箱へと捨てに行く。ゴミ箱の中には虹色スプレーがこぼれたのを拭きとったティッシュがあった。にじいろ。スリッパを掃いた足で踏みつけて、圧縮する。虹色の髪が脳裏を過ぎる。ちらり。
「ばか戌井、」
 何処にも行かないで、なんて言えなかった。
 ワンルームマンションの私のおうち。二人暮らしにはちょっと狭い家。もし戌井が私といてくれるんだったら、もう少し大きい部屋に引っ越そうと思っていた。戌井の稼ぎなんて期待できない(どうせ海賊行為で稼いだどっかの国のお金だもの)から、もっと働いてお金を貯めて、それで、もっとちゃんと戌井と暮らそうと思っていたのだ。でも、まだ買っていなかった。こうなることが、分かってたから。
 好きなのに。好きなのに。好きなのに。なんであいつはいっつもあたしを置いて行くの。あたしが一緒に住みたいって思ってるのを知っていて、どうして知らないふりをするの。
 最低、だ。
 気が付いたらメイクがぐちゃぐちゃだった。幸いにも洋服は汚れていない。部屋の隅に落ちていたメイク落としを引っ張り上げて、とりあえず顔を拭いた。泣いてはいない。涙はもう、止まった。
 ラーメンのカップをゴミ箱に捨てる。DVDは返しに行かなきゃならない。期限はいつだろう。漫画は段ボールにでも入れておこう。確かDVDとかもあったはずだ。スプレー缶は当然ゴミ箱へ。ピアスは……ピアスは、耳にぽちりと付けた。
 虹色が、揺れる。
 ワンルームマンション、一部屋。私のちっちゃな部屋。独りで住むには丁度良い。人を待つにはぴったりの広さだ。
 ピアスを片耳に、あたしは待つ。
 いつ帰るかも分からない、虹色の髪をした駄犬のことを。











(がるぐる読んだよ!)

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