BACCANO!

□白沢さんから!
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「ストックホルム症候群、ご存知ですか?」

誘拐犯のお兄さんはいつものように丁寧な口調で言った。お兄さんと出会ったのは5時間前。今ではもうすっかり日の暮れた道路を、お兄さんと私はドライブしていた。

お兄さんは全開に開けた窓に肘をたてて、その手で傾いた頭を支えながら運転する。目が見えないほど長い髪も風になびくのに、顔は全然見えない。魔法がかかっているみたいだ。

「誘拐された人が、誘拐犯に恋をすること? 誘拐犯をかばったりしちゃうっていう」
「よく知っているね」
「馬鹿にしないで」

助手席で笑う私とちらりとも見ないで、お兄さんの目線はまっすぐ前へ。暗い道路を、定間隔で電柱が照らしている。人の気配が全く無い。それもそうだろう、この周りはお店なんてひとつもないし、家にすんでいる人なら、最近は物騒だから外で夜遊びなんてしない。もう完全に、私とお兄さんの世界。

「君はそれだね」

お兄さんはくつくつ笑いながらそう言った。人気の無い十字路を、赤信号を無視して通り抜ける。悪いことをしている気分。

高速道路のレーンに入って、眠そうな制服のおじさんといくつかやりとりをする。それからはスピードをぐんと上げて、北に走る。ここでもすれ違う車なんか滅多に無い。車についている時計のデジタル表示が、深夜を示していた。いつもならもうとっくに寝ている時間。

「お兄さん、私、眠いわ」
「お眠り」

お兄さんは甘い、どろどろとした声で、優しくそう言った。そんな風に喋ったら、ひとつも抵抗できなくなるような声。甘ったるくて、まるで、お兄さんは頭のおかしくなる毒を出す蛇みたいだ。

「ねぇ、お兄さん、眠る前ににひとつだけ教えて」
「何だい?」
「どこへ行くの?」

お兄さんは手にのせている頭の角度を少しだけ変えて言った。

「とても楽しいところだよ」










目が覚めると、まだ車の中だった。意識を飛ばしたときと違うのは、もう空が明るかったことと、窓の外の景色がどうやら高速道路ではなかったこと。道路の脇にはいくつも畑や、大きな家が見えた。道路だって、コンクリートで固められたものじゃない。お兄さんはまだ車のハンドルを握っていた。

「おはよう」

お兄さんが私が目覚めたのに気づくと、またそうやって笑って言った。お兄さんは私が眠ったときと、また出会った時と同じように、綺麗な顔をしたまま前をみつめていた。寝癖の跡なんかはちっとも分からない。

「お兄さん、寝たの?」
「いや」

お兄さんはけらけら笑いながら頭を横に振った。朝日に反射して、髪が美しい色をしている。

「眠くならないんだ。私は丈夫なんだよ、そこらへんの人間よりね」
「どういう意味?」
「そのうち分かるさ。それよりお嬢さんはどうだい?」
「心地よい目覚めよ」
「それはよかった」

お兄さんは頭を支えていないほうの手で私の頭をなでると、またハンドルへと手を伸ばした。

そういえば、私の家族はどうしているだろう。夜遊びなんてしたことがないから、きっと昨日の夜から警察とかに電話をかけて、同級生の親に電話をかけて……きっと今も慌てている。

「お兄さん、どこまで行くの?」
「昨日も言ったろう、楽しいところさ」
「地名は?」
「……」

お兄さんは口の端を上げて、また首を横に振った。秘密、ということらしい。

「朝は何を食べようか。朝からお菓子なんか食べちゃ体に悪い−−雪でも食べるかい? 砂糖をかけて」
「何を言ってるの?」
「ああ、すまないね。独り言さ」

ふふ、とお兄さんはまた笑った。





そしてどこの夜に帰るのか

















愚人裁判の白沢さんから!)

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